子どもたちの「お~い」の声に泣きそうに

新しい家に引っ越してきてからふた月ほどたった。前住んでいた街には飲み屋がやたら多かったけれど、今度住みはじめた街には犬と子どもが多い。

私は犬(とくに、人に抱きかかえられている状態の)を見るのが好きなので、いままではそれを見ようとわざわざ近所の公園のそばをうろついたりしていたのだけれど、ここではそれをしなくても勝手に犬がたくさん家の近くを通ってくれるので、ありがたい。

学校帰りの子どもたちもよく家のまわりを全力で走っている。犬や子どもがのびのびしている街はいい街だなと思う。

卒業生の記念撮影で起きたできごと

近所に小学校がある。月の末に近くを散歩していたら、校門から終業式を終えたばかりの子どもたちがワーッと飛び出してきた。学年ごとに下校時刻をすこしずつずらしているようで、校門のそばに立った先生が「4年生のみんなはもう帰る時間だよ~」などと声がけをしていた。

フェンスの向こうの校庭にふと目をやると、最後に残った卒業生の子どもたちが、胸に花のコサージュをつけ、集合写真の撮影をはじめるところだった。

ああ、ここにいたら私も写り込んでしまう、と思い、あわててフェンスの前を早歩きで通りすぎる。すこし進んで振り返ってみると、私のいた場所あたりに、卒業生に比べるとすこし背の小さい、おそらくは低学年の子ども何人かが集まってじゃんけんをしていた。あ、写っちゃうよ、と思ったのが先だったか、写真撮影の子どもたちの声を聞いたのが先だったか覚えていない。

4列に行儀よく並んだ卒業生たちは、フェンスの向こうの子どもたちに、「お~い」と一斉に声をかけた。それに続いて、「写っちゃうよ」「どいて~」とばらばらに声があがる。じゃんけんをしていた子たちははっと顔を上げ、「ごめんなさい~」と走っていった。

私は小学校の横の道を通りすぎ、家に向かって早足で歩きながら、しずかに感激していた。軽く鳥肌さえ立てながら、「お~い」だよ、「お~い」だって! と思った。

家に着き、パートナーの部屋のドアを急いであける。たったいま見た光景を、興奮ぎみに説明した。「子どもたち、みんな一斉に『お~い』って言ってた。面識のない人に声をかける第一声が『すみません』とかじゃなくて『お~い』なんだよ、それってすごく……なんかすごくないかい? うまく言えないんだけどあたしゃ、ちょっと泣きそうになっちゃったよ……」と、高揚のあまり『ちびまる子ちゃん』のモノマネみたいな口調になりながら報告すると、「ああ、なんとなくわかる」と言ってもらえてホッとする。

「軽やかに声をかける」ことのまぶしさ

「お~い」の何がそれほどまでだったんだろう、と私はいまになって考えている。たぶん、人が見知らぬ人に声をかけるシーン自体を久しぶりに見てうれしくなった、というのはひとつある。

コロナ禍になって、ちょっとした用件で人に声をかける、という行為のハードルがとても高くなった。これまで私は、観光地や駅などでわりと気軽に人に道を聞いたり聞かれたりするほうだったのだけど、緊急事態宣言が出ていたときは、それがぴたっとやんだ。飼い主と散歩している犬に「オッ、かわいい~」と声をかけることも、すれ違った人と数秒の立ち話をすることも、遠慮しなければいけないような空気があった。

歩いていて落としたものをとっさに拾ってくれた人が、なぜか「すみません」と申し訳なさそうにそれを手渡してきたこともあるし、転倒した高齢者が起き上がるのを自分が支えていいものか、おろおろと迷っている人を見たこともある。他者と自分との物理的な境界が、どんどん強固に分厚くなっていくのを感じるばかりの日々のなかで、嫌でも仕事で人と接する機会がある大人ならまだしも、まだ小さい子どもがその影響を受けているとしたら、ちょっとかわいそうだな、とぼんやりと感じていた。

だから、少なくともその子どもたちが、無関係な大人の余計な心配を受け流すような軽やかさでやりとりをしていたことを知れて、無性にうれしく思った。いや、子どもってそんなもんだよ、とお子さんがいる人なら笑うかもしれない。でもそのときの私には、「お~い」という伸びやかな響きが、人が見知らぬ他者を漠然と信用して関係を築こうとする、その善意の象徴みたいに感じられた。こちらの一方的な気持ちを押しつけるようで、あの卒業生たちにはほんとうに申し訳ないけれど。

コロナ禍で人との接触が減った社会をさみしく感じるという、言葉にしてみればただそれだけの話で、こんなことはもう何千回も書かれ尽くされていると思う。けれど、さみしく感じる、ということを忘れないようにするだけでも、何かの意味にはなるのかもしれないと思う。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター・エッセイスト

1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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