看護師からボートレーサーへ転身した孫崎百世さん「自分の弱さに向き合う」

ボートレーサーの孫崎百世さん(33)は、看護師から“水上の格闘技”と呼ばれる世界に転身した異色の経歴を持つ。「直感に従って生きてきた」という20代。好不調の波を幾たびも乗り越え、どんな自分とも向き合えるようになってきたと語る。

孫崎百世さん
吉川綾美撮影

ボートレース

実家近くにスキー場があり、小中学生の頃は、選手としてアルペンスキーに打ち込みました。

高校時代は親の勧めでニュージーランドに留学。帰国後、看護学校を受験し、京都で看護師になりました。

孫崎百世さん救命救急の現場でやりがいを持って働いて4年半が過ぎ、「国内外の違う病院で働いてみようかな」と思い始めたころ、転機が訪れました。知人から「ボートレーサーは? あなたに合っていそう」と突然、勧められたのです。

ボートレースは、看護学生時代に1度見たことがある程度でした。でも、調べるうちに応募資格には29歳という年齢制限があると知り、「今しかできないのなら」と挑戦を決意。26歳でした。

働きながら挑んだ最初の受験は失敗。2度目で合格し、福岡の養成所に入りました。1年に及ぶ寮生活は厳しく、スマホ使用も外出も原則禁止。同期の多くは20歳前後で、知識や技術の習得も早くて最年長である自分との差を痛感しました。友人らが続々と結婚、出産をし、心が揺れた時期もありましたが、「自分で決めた道」と、つらい訓練に耐えて卒業。28歳でデビューしました。

男女混合戦

ボートレースの魅力の一つは男女混合戦です。多くのレースで男女が同じ条件で競います。最高時速は85キロですが、水面ぎりぎりを走ると体感では120キロほどに。疾走感やスピードはスキーに似ていて楽しい。

一方、勝負の世界は厳しく、常に自分との闘いです。勝敗はスタート時の0.1秒でほぼ決まる。接触により相手を負傷させたり、自分がケガを負ったり。ボートが“凶器”に見えて、スランプに陥る時もあります。

孫崎百世さんそんな時に思うのは、同じ漢字でも「楽しい」と「らく」は違うということ。つらいとつい「楽」を求めて逃げたくなりますが、レース直前まで波や風を読み、プロペラやモーターを調整するなど、できることを粘り強く続ける。それが納得できる走りや楽しさ、心地よさにつながると信じ、自分の弱さから逃げずに向き合うようにしています。

「置かれた場所で咲きなさい」が好きな言葉です。30代になり、結婚と流産を経験しました。いつか子どもがほしいし、選手として昇級もしたい。咲けない時でも踏ん張って根を張り、時が来たら花を咲かせられたら。悩むより前を向いて、心躍る瞬間を大切に自分らしく生きていきたいです。

◇  ◇  ◇

【取材後記】

唯一無二のキャリアがまぶしく、会ってみたくなった。

「選手としては『欲がなさ過ぎる』と怒られますし、心身の不調の波もあり、昨年はつらいことが多かった」

さぞかし明るく強気な人なのかと思いきや、時折目を潤ませながら、悩みや不安も率直に語ってくれた。

30代を迎え、様々な局面で「大人である」ことを一層求められるようになった気がする。自分自身に強いている人も多いのではないだろうか。孫崎さんもそうだったという。ほぼ同年齢。共感できることが多く、親近感が湧いた。

写真撮影でレース服に着替えると、取材時から印象は一変。群馬・桐生の空っ風が吹き下ろす寒い日だったが、笑顔を絶やさず自信に満ちた振る舞いで「プロ魂」と強さを感じた。

勝負の世界で生きるレーサーである自分、自然をこよなく愛し、看護師としての誇りを持ち続ける自分――公私のバランスを模索し、もがきながら前を向く孫崎さんの姿に励まされた。(読売新聞教育部 江原桂都)

「30代の挑戦」は、各界で活躍する女性たちにキャリアの転機とどう向き合ったかを、読売新聞の30代の女性記者たちがインタビューする企画です。

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孫崎百世(まごさき・ももよ)

1988年、北海道生まれ。看護師として勤務後、2016年にボートレーサーに。1年間の出走数は180回ほどで全国を転戦する。ランクは4階級中、上から三つ目の「B1」級。

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