昨年12月17日、出演作で濱口竜介監督の「偶然と想像」の上映が始まってから、まもなく2か月になる。
この間に、濱口監督は前作の「ドライブ・マイ・カー」で全米映画批評家協会賞で4冠、ゴールデングローブ非英語映画賞(旧外国語映画賞)も受賞した。いずれの映画賞も3月の米アカデミー賞の前哨戦と言われており、オスカー発表が待たれるところだ。
そんな世界的な濱口竜介フィーバーもあってか、「偶然と想像」は朝の上映回から満席が続いているという。日本の劇場では珍しく、たくさんの笑い声と上映後に拍手が起こる……などうれしいうわさを聞いて、試写会で1度作品をみたにもかかわらず、私はまた映画館に足を運んだ。
この作品は、3本の短編からなる作品集で、1本目の「魔法(よりもっと不確か)」に私は出演している。共演は古川琴音さんと中島歩さん。モデルの芽衣子(古川琴音)とヘアメイクのつぐみ(私)は撮影の帰り道、つぐみが最近「運命的に」出会った、とある男性・和明(中島歩)について語る。とても良い感じで初対面から盛り上がったが、どうやら彼には忘れられない元カノがいるらしい。彼にまた会いたい。次はどうなるんだろう。と、話し続けるつぐみを家の前に下ろし、芽衣子がタクシーで向かった先は……? という筋書きだ。
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作品をみた方や友人からよく聞かれる質問がいくつかあるので、これまでインタビューや舞台あいさつ等で話してきたことと重複する部分はあるが、改めて自分の言葉で記してみたい。なお、これから映画をみるという方、ネタバレを気にする方は映画をみおわってから以下の文を読んでいただいた方が良いかと思う。
まず、映画が始まってすぐ、夜のタクシー車内での会話シーン。映画の中では10分くらいほぼ1人で話し続けているのだが、実際撮ったシーンは更に長く、1テイク15分くらいだったと思う。映画に使われている部分より前に、話始めのくだりがあったのだ。それを実際に車を走らせながら7、8テイクくらい撮っただろうか。アドリブについてもよく質問されるが、アドリブは一切入れていない。接続詞も、「うーん」とか言葉の合間の声も台本に書かれている文字通りだ。
アドリブが多分に使われていると思われる理由は、俳優の作為的な演技を一切排除する濱口監督の演出方法と、男性が書いたとは思えないあまりに自然で生々しい女子トークの中身だろう。実際あのような会話を普段、私が友人とするかといえば、あまりしない方ではあるけれど、でも20代の頃どこかで聞いたことがあるような、かと言ってありふれたものでは決してない具体的な描写がそこにはある。あれは、濱口監督が喫茶店で隣のテーブルにいた女性同士の会話を参考にしたものらしい。
そしてもう一つ、これはもう有名になってしまったけれど、「セリフは一切、家で覚えてこないでください。リハーサルでみんなで一字一句覚えましょう」と言う濱口さん独特の練習スタイル。たまに映画のレビュー記事などで見かける「濱口監督の棒読みを要求する演出」とか「感情を排除した演技」という評は、実際、濱口さんが言っていることとはちょっと違うのだ。
濱口さんが「感情を排除した棒読み」を要求するのは、あくまでみんなでセリフを覚えるときのみ。セリフを覚えるとき、少しでもそのトーンに感情がこもっていたり、作為的なものが交じっていたりした場合はやり直し。かといって、すらすら読んでもダメで、「相手のお腹の鈴を鳴らすように」――。濱口監督作品に出演するのはこれで2回目だが、このことは前回も言われていた。声を出すことに気をつけねばならない。これによる効能は、なんとなく、自分もお腹の深いところから声が出るようになるし、声に真実味が宿る気がする。そして、少し、相手の心に触れられるような気もする。その後、本番で相手のセリフを聞いて心が動けば、その感情はセリフに乗せても良い。でも、無理に大きく感情を乗せる必要はない。
15分1人でほぼ話し続けるシーンを経験するというのは、ありそうでなかなかないものだ。あったとしても、途中でカットを割って、実際に撮るのは数分間のものをいくつか、ということが圧倒的に多いだろう。でも、この長回しのシーン、全く苦じゃなかった。というのは、私はその「出会い」を「実際に」経験していたから。
リハーサルの時、台本をそれぞれのシーンの演者と覚えたあと、台本にない新しいシーンのプリントを渡された。それは、私がタクシーの中で語るある男性との、バーでの数時間の会話、つまり、「一緒に帰るのか、ここで解散か」の駆け引きが書かれていた。それをまるで映画で実際に使われるシーンと同じように棒読みで覚え、衣装やメイクはなしだったけれど、実際に演じて撮影もした。
「こういうことだろう」と想像するのと、実際に体を使って、それがいくらフィクションの世界とはいえ「体験する」ことはこんなにも違うのか、と改めて深く刻まれる体験だった。想像以上に私は、つぐみはショックだった。自分が思うほどの気持ちが相手にその夜なかったことに。だから、誰かに聞いてほしいのだ。「どう思う?」と。だから、しゃべり続けるのだ。「大丈夫だよ」と言ってほしくて。あのタクシーのシーンは、はたからみれば単なる「のろけ話」なのだろうが、もっとつぐみにとっては切実なものだった気がする。
この「映画に使われない幻のシーン」の稽古のリハーサルおよび撮影は、つぐみと芽衣子バージョンもあったし、内容は知らないが芽衣子と和明のもあったと聞いた。「偶然と想像」を好きと言ってくれる観客の皆さんにみてもらえないのが惜しい程、面白いシーンと珠玉のセリフの数々だった。(次回に続く)
