「隣に瀬戸内がいないなんて……」66歳下の秘書が寂聴さんと過ごした11年

作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが、2021年11月9日に99歳で逝去しました。100歳を迎える予定だった2022年は、関連書籍の刊行が続々と予定されています。1月には最後の長編エッセー「その日まで」(講談社、税込み1430円)が、寂聴さんの秘書を11年務めた瀬尾まなほさんの著書「寂聴さんに教わったこと」(講談社、税込み1320円)と同時発売。瀬尾さんに、秘書として過ごした日々について、みとりを経ていま感じることなどを京都・寂庵で聞きました。

――最新エッセー集が、瀬戸内寂聴さんの新刊と同時発売となりました。

瀬戸内は文芸誌で、私は全国の地方新聞で、同時期にエッセーを連載していました。そして、瀬戸内が100歳を迎える年の1月に同時に刊行されることは生前から決まっていて、一緒に取材を受けようねと話していたんです。まさか今日、隣に瀬戸内がいないなんて……。

もう瀬戸内がいないという実感がなく、2か月以上たったいまも、まだ入院しているんじゃないか、ひょっこり書斎から出てくるんじゃないかと思う時があります。お堂にしつらえられた祭壇を見ても信じられない感覚です。

5年間続き、今回1冊にまとまった私のエッセーには、その時々の瀬戸内の様子が綴られています。後半になるほど体力的に衰えてきて、「しんどいが口癖」「早く死にたいと言っている」「もう100歳」などのワードがよく出てきますね。それでも、生き生きとした様子がしっかりと書かれていて、良い記録になったと思います。

元気になって退院すると信じていた

――今回の本では、新型コロナウイルス感染拡大後の暮らしぶりも垣間見えます。

この2年は、コロナ禍により寂庵での毎月の法話が中止になり、来客もなく静かな毎日でしたから、生活に張り合いがなくなったという点では多くの皆さんと同じかと。瀬戸内は文芸誌、新聞、週刊誌に計5本の連載を抱えていましたが、何を書くか悩んでいたようです。それでも、99歳で書く場所があることが自信につながっていましたし、書くことで生き続けられたと言っていました。

実際、かつて圧迫骨折をして半年寝込んだ時も、心臓や脚のカテーテル手術、胆のうがんの摘出手術を受けた時も、いつも見事に復活していました。ですから、9月末に風邪をこじらせて「気管支肺炎」と診断され入院した時だって、本人も私も必ず元気になって寂庵に帰れると信じていました。

――退院の準備を進めていたのですね。

11月14日、得度記念日を寂庵でお祝いするつもりでした。けれど10月の初めに一時退院した後、すぐに心不全を起こして再入院となり、10月末に容体が急変、そのまま病院で亡くなったのです。瀬戸内の娘さん、お孫さんと一緒にみとりに立ち会うことができました。

瀬戸内は葬儀のことなどを一切決めていなかったので、ご家族と相談しながら手探りで進めることに。まず近親者だけで密葬を行い、12月9日に寂庵でしのぶ会を開催、お堂を開いて約1000人もの読者の皆さんにご参列いただきました。そして12月21日には本葬が、天台宗の寺院・妙法院で催されました。出版社主催のお別れの会が、今年開かれる予定もあります。

文章を書くきっかけをくれた人

――亡くなった直後の出版ということで、つらいこともあったのでは?

2月にも書き下ろしのエッセー本の刊行を控えているのですが、いずれも時期的には瀬戸内の死に触れないのは不自然だと思いました。すぐに自分の気持ちを書く気分ではありませんでしたが、考えたのは瀬戸内ならどう言うだろうということ。きっと「いまだからこそ書きなさい」と、背中を押してくれたに違いありません。

この時代に本を出せるということが、どんなにすごいことか、難しいことであるかを常々口にしていました。「チャンスの波はいつでも来るわけではない、波を逃さないことだ」とも。

泣きながら書きましたが、いま思うと本当にそうしてよかった。あの瞬間のリアルな気持ちは、あの時でなければ書けなかったでしょう。私が文章を書くきっかけをくれた瀬戸内は、「私が死んでも書いていける。書いていきなさい」と応援してくれたので、約束をまっとうできた気がします。

瀬戸内寂聴さんの秘書瀬尾まなほさん
瞳を潤ませながら、瀬戸内さんとの思い出を語る瀬尾まなほさん(1月12日、京都市・嵯峨野の寂庵にて)

――生前託されたことはありますか?

瀬戸内は自分が死んだ後、寂庵をどうするかについては具体的には決めていませんでした。遺言を書くように何度催促されても、死んだらどうなってもいいと思っているところがあって、なかなか書くことができなかったようです。ただ、寂庵は本当に良い場所だから、なくしてしまうのは惜しい、ならば保育園にしたらどうだろうという話はしていました。

そんなアイデアが生まれたのは、私が息子を出産後、4か月の産休を経て仕事に復帰したことがきっかけです。瀬戸内は、子どもが生まれたらきっと私は秘書を続けられないだろうと思っていました。女性も社会進出すべきだと考え、応援もしてきた瀬戸内ですが、やはり戦争を経験し、男女不平等の時代を生きてきた人ですから。でも、私が「保育園があるから働ける」と説明すると、世の中が変わってきていて子どもがいても働くことはできるとわかってくれたんです。

――寂聴さんとの出会いが瀬尾さんにもたらしたものとは何でしょう。

かつての私は、できない理由を探して、自分が傷つかないように挑戦を避けるところがありました。でも、後ろを振り向くと瀬戸内がいて、背中を押してくれたことが大きかった。瀬戸内とともにすごしたことが財産になっているから、それで大丈夫だと今でも思えます。

また瀬戸内には、よく「日本と自分、世界と自分、宇宙と自分を意識しなさい」と言われ、自分のことだけを考えて生きるのはつまらないと思うようになりました。誰かのために、社会のために動くことが大切だと学び、現在理事として携わっている「若草プロジェクト」の活動などにつながりました。

私が経験したように、人生は人との出会いで大きく変わることがあります。そしてその人がたとえいなくなっても、自分の中に残るものがたくさんある。私が教えてもらったこと、感じたこと、そして素の瀬戸内のことをもっとたくさんの方に知っていただくために、今後も発信していく機会があればうれしいです。

(聞き手・読売新聞メディア局 深井恵)

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瀬尾 まなほ(せお・まなほ
瀬戸内寂聴秘書

1988年兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学科卒。2011年3月寂庵に就職。2013年、長年勤めていたスタッフ4人が退職し、1人で秘書を務めることになる。困難を抱えた若い女性たちを支援する「若草プロジェクト」理事。著書に「おちゃめに100歳! 寂聴さん」「寂聴先生、ありがとう。」などがある。瀬戸内寂聴さんとの共著に「命の限り、笑って生きたい」「寂聴先生、コロナ時代の『私たちの生き方』教えてください!」。2月、瀬戸内寂聴さんの最期の日々とみとりの瞬間までつづった「#寂聴さん 秘書がつぶやく2人のヒミツ」を刊行予定。

 

 

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