小林知世 音楽の色彩、異なる国々で観客と共有

中国・江蘇省の蘇州交響楽団でクラリネットの副首席奏者として活躍する小林知世さん(36)。両親の反対を押し切って留学し、飛び込んだ国々で観客と共有する感動を原動力に演奏活動を続けている。日本での活動を目標に、ベストを尽くす日々だ。

片岡航希撮影

クラリネット

クラリネットとの出会いは中学生の時。吹奏楽部に所属しており、温かく柔らかい音に魅了されました。

富山県の田舎町で音楽とは無縁の家庭に育ち、反対する両親を説得し、音楽大に進学しました。

音楽家になりたいという思いが固まっていましたが、父親が心筋梗塞こうそくで倒れ、卒業するのが難しくなりました。それでも諦めたくなかったのです。大学に奨学金を借りて勉強を続けました。

卒業後、大学教授の勧めでフランスのベルサイユ国立地方音楽院へ留学。3年間の留学を終える頃になって就職先を探したものの見つからず、知人の音楽家のつてでイスラエルに渡りました。

交響楽団に所属できたものの、給料が安い上に物価が高く、極貧生活。友人2人とルームシェアし、自分の空間は寝る場所だけ。ジャガイモ1個を3回に分けて1日の食事にしたこともあります。

気がついたら20代後半。アルバイトでお金をためて、フランスやイスラエル、日本にも一時帰国して交響楽団のオーディションなどに35回挑戦しました。でも、すべて落選。何度やめようと思ったか。でも、両親に顔向けできませんし、後戻りはできません。

中国・蘇州へ

転機となったのは、2015年の日本音楽コンクールです。クラリネット部門は4年に1度の開催で年齢制限があり、当時29歳の私には最後の挑戦でした。本番までの3か月間は毎日12時間練習をしました。本選では2000人の聴衆を前に緊張で震えましたが、3位という結果を残せました。

自分と真剣に向き合い、覚悟を決めて挑戦したことが音楽を続けていく自信につながりました。

イスラエルの指揮者に蘇州交響楽団が発足すると聞き、中国に渡ったのが30歳の時。20か国のメンバーで構成する楽団は平均年齢が低く、発展性があります。近年海外で音楽を学んだ中国人が多く帰国し、中国のクラシック音楽の水準も上がっています。

私自身も、民族楽器の二胡にこの奏者と共演するなど、新たな経験で音楽の幅が広がっています。

音楽の世界は終わりがありません。コンサートは演奏者や観客の状況で、毎回異なる音楽の色彩が生まれます。国は違えどその空気を観客と共有できる楽しさは宝物です。

この先、日本の交響楽団に所属して活動もしたい。やりたいと思ったことは、自分を信じてとことんやってみる。自分が見ているから大丈夫なのです。

◇ ◇ ◇

【取材後記】

イスラエルでの生活を振り返る中で、もうだめだと思った時にも「野心があった」と語る姿にはっとした。結果が出ずに先の見えない状況でも突破できると信じていたという。親しみやすい笑顔に垣間見せるハングリー精神に圧倒された。

音楽一家でも、裕福な家庭でもなかったが、クラリネットが好きな気持ちを貫いて音楽大学に進学したことにも意志の強さがうかがえる。昨年、奨学金の返済をようやく終えて、気持ちが落ち着いたという。

「やると思ったら、やらないと気が済まないんです」。それはプライベートでも一貫しているらしく、現在交際しているイタリア人男性に一目ぼれし、諦めずに好意を伝え続けた話をざっくばらんに教えてくれた。

最近は新型コロナウイルスの影響で公演中止が相次ぐ。「その分、公演の貴重さを実感している。今だからこそ音楽にできることがあるはず」。どんな状況でも、前向きに捉えて力に変える小林さんの音色は観客の心に響くのだろう。

(読売新聞上海支局 南部さやか)

「30代の挑戦」は、各界で活躍する女性たちにキャリアの転機とどう向き合ったかを、読売新聞の30代の女性記者たちがインタビューする企画です。

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小林 知世(こばやし・ともよ)
クラリネット奏者

1985年、富山県生まれ。国立音楽大卒。2016年蘇州に移住。新型コロナウイルスの流行前は、欧州や東南アジア諸国でも公演した。

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