「私大卒のキャリア採用で、女性は初めてだ」
これがうそか本当かはわかりませんが、衆議院調査局に入局した当時、男性の管理職から何げなく言われた言葉。確かに国公立大の卒業生が多い職場でしたが、私大卒のキャリア(総合職)採用はもちろんいました。初めてなのは、その「女性バージョン」。
上司のこの発言は、私が人生で初めて「ジェンダーギャップ」を感じた瞬間で、とてつもない衝撃でした。
学生時代は、男か女か、という生物学的性別は関係なく平等に学んでいました。大学時代のクラスには女性が多く、成績優秀者もなぜか女性が多かった。ところが社会に出たら急に「女性であること」が意識され、「ひょっとしたら女性であることで不利な評価が働くのかもしれない」となんとなく焦り、ゾッとしたのを覚えています。
私は仕事において「女性であること」を自分の中で封印し、「いかに男性のように見られるか」を考えることにしました。よく、「小林さんって見た目は女、中身は男だね」と言われましたが、当時の私にとってそれは「褒め言葉」でした。
出産をあきらめ、男性よりも成果を求められているという呪縛
国家公務員から民間企業に転職しても、ずっと「女性活躍=男性として働く」という方程式を持っていました。
当時、保育園にお迎えに行くために早めに帰宅する上司が「仕事ができない」と言われているのを聞いたり、妊娠した先輩が「妊娠、出産とか仕事が困る」と本人の聞こえないところで言われたりしていました。
女性で管理職などに昇進している大先輩たちの多くは、子どもを産まない選択をした、または子どもがいても実家が近いなど周囲の圧倒的なサポートがあった方々。とにかく働きまくっている女性が大半でした。
そういった中で私は、女性だから認められるのではなく、男性が築き上げてきた社会・組織の中で「男性よりも」働き、「男性よりも」成果をあげなければいけない、という呪縛に無意識のうちに縛られていき、気づいた時には自分に対する評価や自分の存在意義ばかりを気にし、考え方や視野が狭まっていました。
自身の健康状態に意識を向けることはなく、ストレスによる生理不順は当たり前。妊娠、出産なんて、したいとも思えませんでした。そんな状態が20代の私の「当たり前」でした。
自分という小さな世界
狭い視野に気づけたのは30歳手前。仕事で深く関わるようになった福島県で、でした。
国見町の農家さんのほか、会津の酒蔵さん、思いを持ってまっすぐ突き進んでいる自治体職員の方々、福島県の新聞社の方々など、本当にたくさんの人にお会いする機会をいただきました。
特に、農家さんたちの暮らしは私のこれまでの働き方・暮らし方とは全く違うものでした。働くことに対する価値観、働き方、自分たちで作ったものを食べる食生活。3~5人の子どもがいることも少なくない。そして、家族、地域ぐるみで子育てをしていました。
そもそも、出世する必要があるのか、長時間労働をする必要があるのか――。太陽が昇ったら起き、沈んだら休む人間らしい生活が、そこにはありました。食べ物は買うのではなく、作ることができる。お金ではなく人間の信頼関係こそが生きていく上でいかに大切なことか。
文字にすると当たり前のことでも、「無意識の呪縛」にとらわれていた私にとっては、ハッとすることばかりでした。ちっぽけな世界で、自分の存在意義を見いだそうと必死にもがいていたのが、なんとも滑稽にも感じるようになりました。
「あぁ、私はこんなにも一部しか見えていないのだ」
それから自分で勝手に背負っていた肩の荷がスッと下り、徐々に自分らしい生き方を模索できるようになりました。

もちろん地域ならではの様々な風習やしがらみ、性別で役割分担はあります。でも私が経験してきたことと「全く違う価値観」だからこそ、たくさんの気づきや学びが得られているのだと思います。
もし今の働き方や暮らし方に何らかの違和感やストレスがあるなら、環境を少しでも変えてみること。そうすると新しい価値観を得ることができるかもしれません。
変化することへの恐怖や、家族との関係など様々な障害が生じることも多いです。私自身も「全く不安がなかったか」と聞かれると、特に経済的な面で、不安はありました。だから一気に環境を変えたのではありません。様々な人、新しい価値観への出会いを積み重ねた結果です。
「環境の変化」は転職一択ではなく、地方でのリモートワークや副業、そして長期の「旅」など、少しずつ環境を変化させていく方法はたくさんあります。これまでの年功序列、終身雇用に代表される日本型企業の在り方が崩れ始めている今は、働き方も暮らし方も模索しやすい時代になってきていると思います。