アパレルメーカー「アダストリア」(東京)の坂野世里奈さん(38)は、病気や障害などにかかわらず、みんながおしゃれを楽しむ「インクルーシブファッション」のプロジェクトをスタートさせた。きっかけは、父の介護経験だった。

父の介護
私が中学生の頃から20年以上、父はがんや脳 梗塞など様々な病気と闘ってきました。もともとはミーハーでおしゃれが好き。元気な時は、父娘でよくおめかしして出かけました。
専業主婦からIT企業に再就職した2016年に、父の症状が悪化しました。私は2人の子どもを育てながら働き、週末には静岡の実家へ。母と交代で介護しましたが、急激に弱っていく父に戸惑うばかりでした。
17年に、父は64歳で亡くなりました。私は翌年、好きなファッションの世界で働きたいと、アダストリアに転職しました。生活が落ち着いてくると、「父に対して、もっとできることがあったんじゃないか」と思うように。服を贈るととても喜んでくれたのに、寝たきりになると着られる服が減り、着替えの際も好みなど考えられなくなりました。
すぐ行動
「きょうは何を着ようかな」。服を選ぶ時のワクワクした気持ちは、当たり前のものじゃないと、父と過ごした最後の時間を通して学びました。だからこそ、普段感じているファッションの楽しみを、病気や障害のある人も含めた全ての人に届けたい。昨年秋、新規事業の社内公募に挑戦しました。プロジェクト名のインクルーシブは「包括的」という意味です。
アパレルメーカーで働いているとはいえ、私の仕事はデータ分析。服作りは未経験でした。まず当事者の声を聞こうと、病気や障害を持つ人が働く系列の事業所を訪ね歩きました。
中心メンバーとなってくれた当事者3人と、工夫を凝らしました。例えば、車イスの男性と作ったパーカは、車輪をこぐ際に巻き込まれないよう、袖は短めに。車輪が当たる内側にパッチをつけました。デザインはシンプル。男性の「袖の内側が汚れるので諦めていたけれど、本当は白が着たい」という声からパッチ以外は真っ白です。「着られる服」でなく「着てうれしくなる服」を追求しました。

病気や障害などの理由で身長の低い人向けのジャケットとパンツなどを、今年10月、オンラインショップで販売し始めました。ビジネスとして軌道に乗せるのが目標です。
その時々で「やった方がいい」と感じたら、すぐ行動し、がむしゃらに取り組んできました。将来が見えず不安な時もあったけれど、今回のプロジェクトで全てが生きたと感じます。これからもその感覚を大事にしていきたいです。
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【取材後記】やった方がいいと感じたら、すぐに行動する――。
坂野さんが「やりたいこと」ではなく「やった方がいいこと」という言葉で表現したのが印象に残った。今回のインクルーシブファッションのプロジェクトはもちろん、さまざまな場面で自分の行動を考える時に、「社会や誰かのためになる」「明日につながる」といった意識を持っているのだろう。
その背景には、きっと、育児や介護、仕事に追われた日々があるのだと思う。家族の世話があれば自分に費やせる時間は限られるが、複数の役割を担う過程で見えるものがある。「やった方がいい」という発想のきっかけも、こうした日々にあるのかもしれない。
坂野さんは「色々な経験をして、共感し合える人が増えた」とも話してくれた。20代の頃と比べて、現実を突きつけられる事も多い30代だが、困難を乗り越えた先にあるものに期待し、しっかり向き合いたいと思った。
(読売新聞社会部 大石由佳子)
「30代の挑戦」は、各界で活躍する女性たちにキャリアの転機とどう向き合ったかを、読売新聞の30代の女性記者たちがインタビューする企画です。