評価の高いパティシエに贈られる国際的な賞に、日本人女性として初めて選ばれた庄司夏子さん(32)。作り出す芸術品のような美しいケーキは予約困難な人気ぶりだ。並外れた発想と行動力で、逆境を逆手にとって存在感を示してきた。
独自のケーキ
高校卒業後、レストラン勤務などを経て24歳で独立し、東京都内でケーキ店を始めました。開業時、金融機関に借りられたのは1000万円。通常の開業資金よりかなり少なく、実績のない若い女性である自分の社会的信用度を突きつけられました。

「もっと貸してほしい」と思う一方で、「もし失敗したら死ぬしかない」という恐怖感も強かった。万が一、資金繰りが悪化したときに備えて生命保険に加入し、命がけで起業しました。
人を雇う余裕はなく、自分で調理から販売までできるものをと、完全予約制のケーキを選びました。目指したのは「3秒でどこの店か分かるケーキ」。開業前に有名なケーキを食べ歩きましたが、振り返った時、どこの店の商品かまでは思い出せなかった。だから、人の記憶に刻まれる商品を目指しました。
思いついたのは、マンゴーの果肉をバラに見立て、ぜいたくに飾り付けたタルト。よくある白い箱ではなく、黒い化粧箱に敷き詰めました。ケーキが軌道に乗ったあと、1日1組限定のレストランを始めました。1人で対応可能な仕組みにしただけですが、かえって特別感が増し、話題に。いずれも資金や人手に恵まれなかったからこそ生まれたアイデアです。今では、スタッフを2人雇えるまでになりました。ありがたいことに、開業以来、増収増益を続けています。
受賞 財産に
お菓子作りに目覚めたのは中学生のときです。調理実習でシュークリームを作り、オーブンの中で生地が膨らむ様子に感動しました。家で試作し、完璧に出来たものだけを学校で配ると、友人が「おいしい」と大喜び。それを見て、料理人を志す決意をしました。食べた人の笑顔。これが今でも私の原動力だし、原体験でもあります。
若い女性は仕事をする上でデメリットも多い。特に男社会である料理の世界では、同業者や顧客らから甘く見られがちです。でも、逆に言うと若い女性は珍しいし、その称号は使えると思った。
だから、30歳で「フード界のアカデミー賞」とも呼ばれる「ベストレストラン50」の特別賞「アジアのベストパティシエ賞」に選ばれたことは、大きな財産となりました。注目を浴び、あこがれのアーティストである村上隆さんとの協業も昨年、実現できました。
人が喉から手が出るほどほしい、と思うものを創り出し、30代のうちにもっと大きな賞をとりたい。魂をささげて創作を続け、若い女性の目標になれるよう、長く活躍したいです。
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【取材後記】「死にものぐるいで」「生きるか死ぬかという気持ちで挑む」ーー。取材中、庄司さんの言葉はどれも気迫に満ちていた。競合が多く、浮き沈みの激しい業界で、果敢に戦い続けているからだろう。強い表現を使うことで、自分自身を奮い立たせているようにも感じた。
仕事の姿勢はストイックそのものだが、部下として働く女性スタッフには「ずっとこの業界で働いていきたいと思って欲しい」と最大限の配慮をする。体調にあわせて仕事量を調整したり、母の日には、仕込みが忙しくて時間がないスタッフに代わって花をプレゼントしたり。これも全て、女性料理人の少ない業界を変え、盛り上げていきたいという思いの上での行動だという。
30代に入り、仕事に慣れてくると、効率性を重視しがちだが、何よりもひたむきで真摯な姿勢こそが良い仕事につながる。当たり前だが、働く上で最も大切なことに改めて気づかされた。(読売新聞生活部 野口季瑛)
「30代の挑戦」は、各界で活躍する女性たちにキャリアの転機とどう向き合ったかを、読売新聞の30代の女性記者たちがインタビューする企画です。