朝5時半。眠い目をこすりながらお茶を飲んでちょっと一息――。今日も、新しい一日が始まります。メールチェックをして、子どもが起きたら午前8時には保育園に送っていきます。その後は、オンラインでの打ち合わせや商談で午後5時過ぎまで働き、夕飯の準備。その間、夫が保育園に迎えに行き、夕食、お風呂、寝かしつけを終えたら、また仕事の資料をまとめて午後10時頃に就寝。福島の本社に出社する日は子どもが寝た頃に帰宅します。
バリキャリで苦しかった20代
東京・立川市で生まれ育ち、大学卒業後は国家公務員として衆議院調査局、経済産業省で働き、その後、民間の大手シンクタンクに転職しました。振り返れば、いわゆる「バリキャリ」で、男性に負けないようにと肩ひじを張っていたと思います。
「何かが違う」。なんとなく違和感を抱いたのは、民間企業に勤めていたころでした。しかも、その「モヤモヤ」がうまく言語化できなかったため、なかなか周囲から理解してもらえなかったり、逆に「弱い」と格下レッテルを貼られてマウントをとられたり、なんとも精神的に苦しい日々が続きました。気がつけば、十円ハゲができていました。
何も考える余裕がなく、とにかく寝ずに忙しかった20代。日常の何げない暮らしの断片一つひとつなんて、ほぼ記憶に残っていません。仕事ばかりの私を、いつだったか誰かが「鉄の女」と呼んだこともありました。
「産休・育休=迷惑をかけるかもしれない」
「子育て=長時間労働で出張も多い中、仕事と両立できる気がしない」
こんな方程式が、自分の中で勝手に出来上がってしまい、「子どもを産む」なんていう選択肢は1ミリも考えられませんでした。
そんな私の方程式は、福島県の農家さんたちとの出会いで一変しました。
太陽と人が育む桃
福島県の最北端にあり、宮城県と接する国見町。阿武隈川流域の豊かな土地で、桃、ぶどう、りんご、柿などが年間を通して栽培されています。
私が初めて福島県を訪れたのは、国家公務員として働きはじめた2010年。その後、転職したシンクタンクでも縁あって何度も通うことに。
地域の方々の温かさ、土地に根ざした文化、おいしい日本酒や食材、知れば知るほどその魅力にひかれていきました。「ここは何もない土地だから」と地方に暮らす人たちのお決まりの言葉を何度も打ち消し、まだ芽吹いていない多くの種の存在に心を奪われていました。
「活用の仕方次第で、素晴らしい実や花をつけるはず」。2017年に会社を辞め、人口約9000人の小さなこの町で、「株式会社陽と人(ひとびと)」を設立。規格外品の農産物の流通や加工品の企画販売など、地域資源を活用した事業展開を目指しました。
「太陽が昇ったら動いて、沈んだら休む。雨が降ったら休み。いつもお天道さまと一緒。夏場は日中暑くて働けねえけどな」
桃を植えて3年。農作業に汗を流す農家の人たちは、そう言って、木の成長を見つめながら、剪定、摘心、摘果を繰り返し、収穫の日まで手塩にかけて育てていきます。
私が関わっている農家さんの多くは、夫婦で力をあわせて農作物を育てています。そのため必然的に「パートナー」として、お互いを尊重して支え合って生きています。家族で過ごす時間が長く、子育てもチームで総力戦。子どもや孫をとっても大事にし、家族以外の子どもたちも地域ぐるみでかわいがってくれます。
自然と共生する人間の本質・生活リズム、満員電車で親子が怒鳴られたり、ひじ打ちされたりすることのない環境、子どもを見る優しいまなざしの大切さ――。農家さんたちと過ごす日々の中で、徐々に私の価値観は変化していきました。
こらえきれずあふれた涙
会社を設立して2年目で妊娠が発覚。事業がまだ軌道にも乗っていない中で、「短い期間でも働けなくなったら迷惑かけてしまう」と過去の方程式が頭をよぎり、「言えないなぁ……」とため息を漏らしました。
まだお腹のふくらみは目立たず、外見からはどうやってもわからない時期なのに、農家さんたちに妊娠したことがすぐにばれてしまいました。
「重いもの持つな、やっておくから」
「体が第一だぞ」
妊娠したことにビクビクしていたのに、驚くほどみんな赤ちゃんを歓迎してくれました。自宅に戻ると、こらえきれずにわっと涙があふれてきました。
◇ ◇ ◇
私に新しい選択肢をくれてありがとう。これから、国見町で変化していった、様々な人生の価値観について少しずつご紹介していきます。