瀬戸内の島で出会った「風の人」、都会から移住した女性たちの本音

取材していると、「風の人」「土の人」という言葉を時々、聞きます。前者は外からやって来て変化をもたらす人、後者はその土地の伝統を引き継いで支えていく人、といった意味で使われているようです。

「風は/遠くから 理想を含んでやってくるもの/土は/そこにあって 生命を生み出し育むもの」。地域づくりに取り組んだ玉井袈裟男・信州大名誉教授(1925~2009年)は、そう表現しています。

社会の変化でこれまで当たり前だったことが崩れると、日常生活の制約の下に抑えられていた本来の願いや性質が表れるのでしょうか。コロナ禍で働き方、暮らし方が見直される中、「風の人」が増えています。

自分の声を大切に、息を吹き返す

瀬戸内海に浮かぶ淡路島(兵庫県)。昨年、人材サービス大手のパソナグループが東京の主な本社機能の移転計画を発表したことで注目されました。同社とは別に、個人で移住するケースも増えています。兵庫県の委託で移住の相談を受け付けているNPO法人あわじFANクラブによると、昨年は新規の問い合わせが342件。30歳代の女性が最も多かったといいます。1年間の移住件数も例年より増え、把握しているだけで73組121人に上りました。

東京23区とほぼ同じ広さに約13万人が住む島は、ゆったりとした美しい砂浜が点在し、関西では身近なリゾート地の一つです。今のシーズンなら新鮮なはもと特産の甘いタマネギを味わう「ハモすき」など、おいしいものにも事欠きません。とはいえ、そんなに多くの人が移り住んでいるとは。何が起きているのか気になり、島を訪ねました。

私の住む大阪からは電車と高速バスを乗り継ぎ、明石海峡大橋を渡って2時間余りで着きます。近いのですが、何といっても光の強さが違い、広い空と海の濃い青さにくらりとします。島の中央・洲本市で、移住してきた女性たちに会いました。

移住した女性たち
淡路島に移住した女性ら

3月に夫と一緒に大阪市内から転居した女性(36)は、15年間勤務した会社が昨春、一部の社員にしかテレワークを認めない姿勢に疑問を持ったそうです。退職し、以前からよくドライブで巡り、「いつか住みたい」と思っていた淡路島へ。夫は仕事で橋を渡って対岸に通っています。夫婦の願いは、観光で島に来た家族が父、母、子どもとそれぞれ楽しめる場をつくること。「大阪では実現するわけない、と相手にされなかったけど、島の人たちはいいね、と言って、具体的なアドバイスをいろいろとしてくれる。前向きな人が多いんです」。合わない土地を離れて新しい土地に移ったことで、息を吹き返した様子が伝わってきます。

移住して5年目という藤本沙紀さん(29)にも話を聞きました。東京でファッション関係のライターをしていて「やりがいはあるけど、私にしかできないことをやりたい」と、イベントで訪れたことのある淡路島に。暮らしながら感じた島の魅力をフリーライターとして発信しています。島での仕事が評価されて次の仕事につながり、徐々に人の輪が広がりました。昨年、島の男性と結婚。あわじFANクラブで移住に関する相談員も務め、コロナ禍で増えた相談者に「自分の声を大切にして」と伝えているそうです。

風の人と土の人が生む文化

私も会社の異動で、それまで住んだことのない土地に引っ越した経験は何度かありますが、行き先を自分で選び、独力で仕事や暮らしを積み重ねていくとなると、その困難さはもっとずっと大きいだろうと想像します。それだけに、手応えや充実感も大きいのかもしれないと。

冒頭に紹介した文章は、玉井名誉教授が約30年前に地域づくり集団「風土舎」を創立したときの宣言の一節です。風と土が対立するのではなく、「和して文化を生む」ことを呼びかけています。自著「風のノート」で自分は“土”だと思っていたが、50歳になったころに風だと気づいて役目がみえてきたとし、「風は土に向かって吹け」ともつづっています。

コロナ禍という未曽有の事態もあって、自らの本来の姿に気づいた女性たち。島の人らと影響を与え合いながら淡路島の新しい風土をつくっていくことでしょう。

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沢田泰子編集委員
沢田 泰子(さわだ・やすこ)
読売新聞大阪本社生活教育部・編集委員

1968年、大阪生まれ。91年に読売新聞大阪本社入社。福井支局、京都総局、大阪本社社会部、東京本社教育部を経て、2016年より現職。主に行政や教育分野を担当してきた。誰もがのびのびと力を発揮できる社会になるのが夢。女性を含むマイノリティーの生き様に日々、勇気づけられている。

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