春の足音が近づくなか、駿河(静岡県中部地域)へと出かけました。起点となる静岡駅まで東京から新幹線で約1時間。首都圏に暮らす人にとっては、気軽に訪ねることができる旅先のひとつです。一帯は日本有数のお茶どころとして知られていますが、ここでのお茶の楽しみは、ただ飲んで味わうだけではありません。早春の駿河で、とっておきの“お茶活”を体験しました。
色と香りに癒やされる、心地よい書の楽しみ

ほんのりと漂う抹茶の香りに心地よく包まれながら、心をこめて文字を書く――。そんな特別な体験を楽しめるのは、墨汁の代わりに抹茶を使う書道「抹茶書(R)」。手がけるのは、静岡市を拠点に世界各地で活躍する書家の松蘭さんです。
松蘭先生にご指導いただき、見よう見まねで挑戦してみました。まず、筆の持ち方や姿勢を教わり、基本的な止めや払いを練習します。「筆で字を書くのは苦手だなあ」と思いながら臨んだのですが、意外や意外、半紙の上で鮮やかに光る抹茶の色と優しい香りに癒やされ、なんとも気持ちがいい!
使用するお茶は、書道用に加工されたものではなく、飲んでおいしいお抹茶。駿河の茶畑で生産された上質な抹茶を、飲むときと同じようにたてて、それを筆に含ませて使います。こんなぜいたくができるのも、お茶どころならでは。

背筋をピッと伸ばし、楚々とした雰囲気で筆を滑らせる松蘭さんは、経歴もユニークです。静岡市に生まれ育ち、ニューヨークの大学に留学。卒業後は、日本の航空会社の客室乗務員に。その後、書を教えていた祖父の跡を継ぎ、書道教室を開いたといいます。やがて「書で世界をつなぎたい!」という志が芽生え、2015年にロサンゼルスへ単身渡り、書道パフォーマンスや墨彩画などに活躍の場を広げました。2016年に帰国して以降は、国内外に向けてオンラインで書道教室を開催しながら、作品を作り続けています。
ひたむきに書に向かう松蘭さんが「抹茶書」を考案したのは、「生まれ故郷である静岡の文化であるお茶と、日本文化の書道を国内外に発信したい」という思いから。祖父が開いていた書道教室は、静岡県掛川市の広大な茶畑の中にあったと言います。そんな美しい景色の記憶も、彼女を突き動かしているのかもしれません。

完成した作品は、色紙に入れて持ち帰ることができます。「書いた直後の字は鮮やかな緑色ですが、時間がたつにつれ、だんだんと茶色になっていきます。植物である抹茶だからこその経年変化も味わえますよ」と松蘭さん。
かすかな香りに心を傾け、心を静めて一筆一筆に向き合い、心地よい非日常感を味わうことができました。
優しい風合いのサステナブルな「お茶染め」
徳川家康によって駿府城が築かれ、城下町文化が花開いた駿河には、「駿河和染め」という伝統工芸があります。その技法を生かし、染色家の鷲巣恭一郎さんが手がけているのが、「お茶染め」です。

鷲巣染物店5代目の鷲巣さんによるお茶染めは、その背景も魅力的です。お茶を作る過程で出る、商品にならない部分の茶葉をじっくりと煮出し、漉して煮染めているのです。さらに、煮出した後の茶殻は、木くずやおからなど廃棄物と混ぜ、堆肥へ加工しているのだそう。
環境に配慮した点も現代にマッチしているし、私はなにより、お茶染めの有機的で優しい風合いにすっかり魅了されてしまいました。以前、駿河を旅した際に購入したクラッチバックは、丈夫な刺し子生地に茶染めが施されていて、ハードに使ってもまったくへたることがありません。旅先でレストランに入るときなどはとても便利で、いつも旅行かばんに入れています。
そんなお茶染めの布でオリジナルアイテムが作れる(しかも、鷲巣さんが直々に指導してくださる!)と聞いて、駿河の伝統工芸をテーマにした体験型施設「駿府の工房 匠宿」を訪ねました。

体験は、お茶染めしたミニトートバッグや布マスクに、たくさんの型紙の中から選んだ柄を抜染して仕上げるので、不器用でも心配無用。所要時間も20~30分ほどで、旅の合間に気軽にトライできます。
私はミニトートバッグに、かわいらしいトカゲの型で抜染してみました。日常使いしていて、使うほどに愛着が湧いています。
五感で味わう駿河の恵みとティーペアリング
旅の締めくくりは、とびきりのグルメ。日本一深い駿河湾からもたらされる海の幸を食べずに帰るわけにはいきません。駿河茶と料理を組み合わせるティーペアリングのコースがあると聞いて、静岡市中心部にある和食店「覚弥別墅」に足を運びました。メニューを考案した勝呂文洋統括料理長は、「全国技能グランプリ(日本料理部門)」の銅賞をはじめ数々の賞を獲得している、駿河を代表する料理人です。
このティーペアリングは、単に料理と合うお茶が出てくるだけではありません。どの畑の茶葉を使うかというところから、お茶をいれる温度、量、器にいたるまで、料理とお茶を最大限においしく楽しめるよう、計算しつくされています。

お茶をいれるのは、「マルヒデ岩崎製茶」の茶商・岩崎泰久さん。茶商とは、茶農家から買い付けた荒茶(収穫した生葉を蒸してもみながら乾燥させた状態のもの)を焙煎して味と香りを引き出し、産地や品種の異なる茶葉を合組(ブレンド)して味わいを整え、商品に仕上げる人のことをいいます。いわば、茶葉の味や香りや色を見極める、お茶のエキスパート。勝呂料理長とのコラボレーションも楽しみです。

食前酒のように最初にいただいた「蔵出し茶」は、やや濃いめ。疲れた体を元気にしておいしくコースを食べるべく、最初の一杯はあえてカフェインが抽出される高温で淹れているのだそうです。
若緑色が春らしい抹茶豆乳豆腐、昆布と茶葉でだしをとったお椀、真鯛の昆布締めならぬ“茶葉締め”……と、見た目も美しい料理が続きます。そして、焼いた鰆と希少なお茶「まちこ」とのペアリング。お茶を一口飲んだ瞬間、ふわっと桜葉の香りを感じます。これは、茶葉に含まれる天然の成分によるもの。飲み終わった後の余韻も、幸せな気持ちにさせてくれます。

「1杯目はすすり茶風に、2杯目はお湯出しでお楽しみください」と、岩崎さんが出してくださったのが、高級茶の「頂ITADAKI」。すすり茶というのは、茶器の蓋で茶葉を押さえ、すするように飲むことを言います。今回は、蓋のない小さな茶器に茶葉を入れ、ごく少量の水で抽出し、すするように頂きました。お茶のうま味をダイレクトに感じられて、まるでお出汁を飲んでいるかのよう。豚肉の紅茶しゃぶしゃぶがよりおいしくなります。
デザートではサプライズも。ほうじ茶ブリュレに合わせたのは、コーヒーとほうじ茶のブレンドでした。
まさに茶商による合組のなせる技! 目の前でほうじ茶を煎る香ばしい香りがまた、スイーツをおいしくさせます。「食事を終えて肌寒い外に出る前に、体を温めるほうじ茶をお飲みください」と岩崎さん。
ひとしきり駿河の恵みを楽しんだティーペアリングは、「コース料理には絶対にお酒!」と信じて疑わなかった私の概念を覆すものでした。お酒は一滴も飲んでいないのに、ほろ酔いのような心地良さを感じたのは、気のせいでしょうか。
なお、前述の抹茶書と、ティーペアリングは、セットでアレンジが可能です(1人2万5000円~)。書に触れ、お茶と駿河湾の恵みを楽しむ、なかなかぜいたくなアクティビティーです。問い合わせ、予約はFIEJA(フィージャ)へ。
(取材・芹澤和美/写真・Studio GRAPHICA 伊東武志、協力・するが企画観光局)
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