世界各国で500以上のホテルやリゾートを展開している米大手ホテルチェーン「ヒルトン・ホテルズ&リゾーツ」。同社には、「RJET(リージョナル・ジャパニーズ・エレベーター・トレーニー)」と呼ばれる日本独自のエリート人材育成プログラムがあります。新入社員を幹部候補生として育てる制度ですが、いったいどんな人が幹部候補生として活躍しているのでしょうか。プログラムの修了生、田辺春菜さん(26)の働きぶりや、お気に入りのランチについて取材しました。
「毎日が、価格調整との攻防戦」
東京ディズニーリゾート(TDR)に直結のJR舞浜駅から送迎バスに乗り、ほどなくしてホテルに到着。そこからは、キラキラと輝く東京湾が一望できます。田辺さんの職場、TDRの公式ホテル「ヒルトン東京ベイ」(千葉県浦安市)です。
ディズニーファンでにぎわうこのエリアは、合わせて1万もの客室があるといわれる“ホテル激戦区”。田辺さんが所属する「宿泊予約課」では、20人ほどのスタッフで宿泊予約を調整し、全828室がすべて埋まることを目指しています。

調整のカギは、宿泊価格です。各部屋の適正価格には、時期によって目安が設けられています。目安から大きく外れないよう、周辺のホテルの価格をにらみながら、1000~2000円単位で少しずつ宿泊価格を変えていかなければいけません。「価格を大幅に下げて、すぐ満室にすれば良いという話でもないんです」と田辺さん。
インターネット予約が広まった今、価格競争が激化し、予約状況も大きく変動するようになりました。特に、親子連れでにぎわう夏休みシーズンなどは、ファミリータイプの部屋の予約が、価格を変えた直後に5、6件増えることもあるといいます。
上司に代わって、価格を決め、他のスタッフに指示を出さなければいけない日もあり、「最初は、読みが正しいのか不安で緊張していました」と苦笑します。「適切な価格を超えないようにしつつ、お客様に予約ボタンをクリックしてもらえるよう、日々工夫を凝らしています」
地元を思い出すゴーヤチャンプルー
お昼の休憩に入った田辺さんが向かったのは、ホテルの地下にある社員食堂。カレーライスや日替わり定食など、四つのメニューの中から好きな料理を選べます。
サラダバーもあり、1日2食まで無料で提供されます。一人暮らしの田辺さんにとっては、欠かせない場所です。
最近、メニューに並んでいるのを見てうれしかったのが、「ゴーヤチャンプルー」です。田辺さんは沖縄出身。地下にある社食には窓がなく、東京湾を眺めることはできませんが、故郷の海を思い出しながらゴーヤチャンプルーを味わったそうです。
小さい頃から「ホテルは身近な場所」
物心ついた時から、ホテルで働きたかったという田辺さん。観光地として名高い沖縄では、宿泊施設やレジャー施設は、住民の日常に溶け込んだものでした。
家の近くにもホテルがあり、家族でビュッフェを食べに行っていました。利用するのは、誕生日や合格祝いなどのちょっと特別な日。少しおめかししてホテルのレストランに着くと、幼い田辺さんが座れるよう、ホテルマンが椅子をひいてくれました。
「ちょっとしたお姫さま気分でした。『こんなワクワクできる空間に、ずっといられるなんてうらやましい』と思ったのが、ホテル業界を目指した始まりなんです」
最短10年で総支配人に
高校での社会科見学などを通じて、高校を卒業したらすぐにホテルに就職したいと考えるようになったといいます。ところが、リーマンショックのあおりを受け、ホテル業界も採用を抑制。そこで、スキルアップしようと、秋田県にある国際教養大に進学し、中国語を学びました。
田辺さんは当時、あるバッジに憧れていました。それは、ホテルのコンシェルジュの国際組織「レ・クレドール」に授けられるバッジです。優れたコンシェルジュと認められた人だけに与えられるバッジですが、コンシェルジュになるだけでも、ドアマンから始まって10年間はかかるといわれていました。
「プロフェッショナルになるためには、そこからさらに経験を積んでいかなければいけない。女性として結婚・出産もしたいと思っていたので、『産休や育休を経た場合、バッジをもらえる頃に、私はいくつになっているんだろう』と、将来のビジョンが見えず不安でした」
そんな時、ヒルトンの「RJET」を知りました。通常、ホテル業界では、総支配人になるためには新卒で入社して30年ほどかかると言われています。それを、2010年にヒルトンが始めたこのプログラムでは、選抜した新入社員に2年間の特別教育を施し、10~15年で総支配人に育て上げるというのです。
バッジをもらうよりも短い期間で総支配人を目指せることに驚いた田辺さん。「これなら実現できるかもしれない」と考え、15年度採用の試験を受け、6期目の幹部候補社員に名乗りを上げました。
エリート育成プログラムに課せられる“卒業試験”
これまでにプロジェクトに採用された社員は31人。一般の社員は入社後、一つの業務を継続的に行うのが通例ですが、幹部候補生は、1年間ですべての部署の業務を経験し、2年間の研修の締めくくりとして“卒業試験”が待ち受けます。
試験内容は、北海道ニセコ町の「ヒルトンニセコビレッジ」で、3か月にわたってマネジャー業務を担うというもの。スキー観光が盛んで、外国人に人気のこのエリアでは冬季、現地採用のスタッフや外国人スタッフなどが集まり、ホテルで働きます。スキルや国籍、熱意までもがバラバラのスタッフたちを取りまとめるのは、心身ともにハードな業務です。それでも、田辺さんは「当時は大変でしたが、あの経験があったからこそ、今の大変なことを乗り越えられています」と話します。
その後、各地のホテルの総支配人の前で、研修での自身の成果をプレゼンテーションしなければいけません。そこで合格して初めて、プログラムを修了したとみなされます。
17年に配属された今の部署で、田辺さんはマネジャーの立場に就いています。部下は、自身より年上ばかり。やりづらさを感じる場面はないのでしょうか。
「これまでの幹部候補社員のおかげで、『RJET』への理解も広まったので、やりづらいと感じることはほとんどありません」と田辺さん。「ベテランの方々の知識・スキルに助けられながら、日々学んでいます」と話します。
日本人で最年少の総支配人になる
地元・沖縄で初の日本人女性総支配人になることを夢見ていた田辺さんですが、ヒルトンでは今年5月、日本人の女性社員として初めての総支配人が沖縄に誕生しました。
今は新たな目標を掲げています。それは「ヒルトンで日本人最年少の総支配人になること」。
総支配人に就任した日本人の最年少記録は44歳ですが、「RJETがあるからこそ、不可能ではないと思えるようになった。同期の誰よりも早く、いけるところまでいってみたいですね」。屈託のない笑顔で、力強く語っていました。
(取材・文/メディア局編集部 安藤光里、写真/金井尭子)
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