「男役」から何を学ぶ 素の自分を出す?出さない?

タカラヅカが教えてくれたこと(8)

     歌舞伎とタカラヅカは、よく対比して語られます。歌舞伎の演者は男性だけで、「女形」が女性を演じます。タカラヅカで男性を演じるのは「男役」の女性です。

    歌舞伎との違い ファンの幻想にこたえる

     ただ、歌舞伎とタカラヅカはまったくの対称形でないと、私は思うのです。タカラヅカの男役は舞台の上で男性を演じますが、舞台を離れても「男役スター」という役回りを演じなくてはなりません。「演じなくてはなりません」という明文化された規則があるわけではないのですが、髪はショート、スカートははかず、体の丸みが目立たない服を選ぶ、低音で話し、少し脚を開き気味に座るなど、男役ならではの「形」を維持します。もちろん男性との交際などは絶対に表面化しません。歌舞伎の女形は、物腰こそたおやかな方も多いですが、舞台を離れれば一般的な男性の服装になり、女性との結婚なども含め、男としてのプライベートを隠してはいませんね。

     タカラヅカのファンは、「男役」を「男性」の代替として考えているわけではありません。あくまで「男役」としての独特の美とスタイルを求めているのです。ただ、本当は女性であることを十分理解しつつも、素の女性性が見え隠れするのを好まないファンは多い気がします。ある時、男役スターの私服姿を目にして、ブラジャーのラインがわずかに透けているとわかり、いたく憤慨している人がいました。

     そうしたファンの夢、もしくは幻想に応えていくのも、タカラヅカスターの仕事なのです。楽屋や稽古場の出入りをファンが並んで見守る「入り待ち」「出待ち」の場などで、にこやかに手を振りつつさっそうと歩いていく男役スターを目にします。体調の悪いときもあるだろう、そうそう笑顔でいたくはないだろう、たまにはスカートを翻したいだろう、と推察しつつ、自分を律して一定のイメージを保持する努力には、素直に頭が下がります。

    素の自分を出していいか

     そして、企業人として数十年生きてきた自分自身を振り返り、思うのです。部下を持っても管理職になっても、(一昔前の男性上司のような)権威や力を振りかざすことはしたくない、周囲とは気さくでフラットな関係を維持し、今までと同じ「素の私」でいよう……と、私自身は考え、行動してきたのです。でも、果たしてそれで良かったのだろうか。もしかしたら、周囲は私に、もっと重みのある上司らしさ、管理職らしさを望んでいたのではないか、そうした「求められるイメージ」に応じる努力が、自分には欠けていたのではないか。

     仕事のことでこんなふうに思い悩んで帰宅したときは、CS放送のタカラヅカ専門チャンネルが救いなのですね。そして、そのトーク番組などを見ていて、最近は男役スターたちのありように、少し変化を感じました。女性として自然な声のトーンで、言葉遣いやしぐさなどでも「素」を見せる人が多くなった気がするのです。舞台から客席にウィンクを飛ばすキザな男役が、案外かわいらしい声で「そんなことないですぅ~」などと女子トークをしていたり。ファンは「ギャップえ」をするのかもしれませんが、こちらは年を取ってきたものですから、むしろ「ああ、きっと良いお嬢さんなんだろうなあ」と、感心しながら見ています。

     もしかしたら、私は間違っていなかったのかもしれない。「素の私」は隠さずに、「らしさ」を求められるときに、きちんと役柄を演じきればいいのではないか。今はそんなふうに思えてきました。

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    太田姫いのり(おおたひめ・いのり)
    タカラヅカ愛好家

     東京都出身。タカラヅカの初見は、(たぶん)1968年新宿コマ劇場雪組公演。その後、今はない松竹歌劇団のレビューにもはまり、伝統芸能から小劇場までさまざまな舞台を見てきた。情報通信業のそこそこ大手で働き続け、現在は上位幹部職員。