「あれが最後のケジャンだったなんて! 悔しい……」
私の知り合いの中で一番グルメな友人の言葉です。
「韓国料理のカンジャンケジャン(生のワタリガニを醤油ダレに漬け込んで熟成させた料理)を食べたら、口の中がはれ上がったの。驚いて医者に行ったら、カニ・アレルギーなんだって。あれが最後のケジャンと知っていれば、もっと味わって食べたのに。悔しい!」
痛くてつらい目に遭ったことより、突然のフード・アレルギーへのショックより、カニへの未練を語るなんて。食いしん坊の彼女らしいと思いました。
考えてみると、物事にはすべて終わりがあります。
でも、ほとんどの場合、「これが最後なのだよ」と誰からも知らされず、気がつかないまま最後を迎えます。後になって、「そういえば、あの時のあれが最後だったんだ」と気づいたとき、後悔や切なさ、いろいろな思いが交差する――、ということがありませんか?
例えば、幼い子どもを抱っこする(すぐ成長しちゃう)、家族全員がそろった食卓(家族が欠けていく)、仲良しの友人との旅行(互いの環境が変われば機会も減っていく)などなど。あっという間に、周りが変化して、失うものも増えていきます。
仕事でも、様々な「終わり」があります。取引先との契約が終了して、通い慣れた会議室ともお別れ。異動時期に、定例会議に集まるメンバーの顔ぶれが一新。新しいビルが立って、ランチタイムに眺めていた外の景色が一変。(嫌な)上司との業績評価の面談だって、最後の日は来るのです。
「もしかしたら、これが最後かもしれない」と意識することで、いつもと同じ景色がガラリと変わることがあります。
仕事がいとおしくなった瞬間
35歳、銀行員時代。私はあるプロジェクトメンバーの一員になり、休日返上で働いていました。目が回るほど忙しいけれど、つらいとか辞めたいとか、まったく思いませんでした。ただ、「これにも、いつか終わりがある」と、どこかで意識していました。
プロジェクトが終盤に近づいた日曜の朝。いつものようにガランとした会社の廊下を歩きながら、ふと、「休日出勤もこれが最後かもしれない」と思いました。そして、「大変だったけど、後になって振り返れば、仲間との良き思い出に変わるのだろうな」という気持ちになり、一抹の寂しさとともに、目の前の仕事がいとおしく思えたのです。この時の思いは、達成感や満足感とは別なものでした。
嫌な相手の見え方が変わる!
苦手な上司・同僚・取引先などは、一生付き合うわけじゃないと頭でわかっていても、人間関係が原因のモヤモヤは消えません。
先日、女性だけのセミナーで、参加者に上司への不満を尋ねたら、それまで静かだった会場が一気に盛り上がりました。上司への不満や「こうあってほしい」という願いは、十人十色。改めて、様々な思いを共有できた時間でした。
残念ながら、その切なる願いが、かなうことはないのが現実でしょう。そんなストレスを少しでも軽減するために、嫌な上司と接するときは、「もしかしたら、これが最後になるかもしれない」と妄想してみたらいかがでしょう?

「あした、上司が異動になるかも」「ほかのプロジェクトに呼ばれて、この上司ともお別れかも」「宝くじが当たって、会社辞めちゃうかも」。その妄想に一瞬浸ることで、上司との接し方に、ほんの少しゆとりができるのでは。角が立つ場面でも、角が少し丸くなるかもしれません。
「あらゆるものに、いつか必ず終わりがくる」
今年も残すところ、2か月を切りました。残り少ない平成30年を気持ちよく過ごすために、「これが最後になるかも」を試してみてはどうでしょう。妄想の時間が視点を変えてくれるなら、試してみる価値はあるかもしれません。
気休めかもしれないけど、意外とバカにできません
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