近年の日本ではLGBT(性的少数者)をはじめ、外国人やハーフなど、日本でマイノリティーとされている人々にスポットが当たることも多くなりました。どんな人でも居心地が良いと感じる社会が理想とされ、仕事の面においてもそれぞれの個性が生かせるような「多様性」がうたわれています。
その一方で、マイノリティーに対する「ステレオタイプ的な期待」はなくなっていないと感じます。たとえば、私は母が日本人、父がドイツ人の「ハーフ」ですが、世間は「ハーフ」に対して「英語がペラペラなのではないか」「美人なのではないか」と期待する傾向がいまだにあります。当然、期待に沿えないとがっかりされます。
実際には、マイノリティーであっても「いろいろ」です。はたから見たら「同じ枠」に属す人であっても、それぞれに「いろいろ」なバックグラウンドがあるため、マイノリティー全体にある種の期待をかけることには、慎重になる必要があります。
女性について語るとき、いまだに「女性ならではの細やかさ」だとか、「女性ならではの気配り」というような発言がなされていることからも分かるように、この手の期待はまだまだなくなっていません。当たり前ですが、女性も「いろいろ」なので、この手の期待がなくなったほうが女性は生きやすくなるでしょう。
私自身に関しては、「相手が男性だから」という理由で力仕事を頼むことはあまりしなくなりました。力持ちの女性もいますしね。
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