パラリンピックで、車いすでも尊重される社会に

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2020年の東京パラリンピック開催まで10か月となりました。国際パラリンピック委員会(IPC)の教育委員会メンバーであり、1998年の長野冬季パラリンピックの金メダリスト、マセソン美季さんは、誰もが生きやすい社会の実現に向けて教育分野での活動に力を注いでいます。これまでの活動の手応えやパラリンピックへの期待などについて聞きました。

 自国開催での声援が力に

――長野のパラリンピックでは、アイススレッジスピードレースの500、1000、1500メートルで金メダル、100メートルで銀メダル。どんなことを覚えていますか。

観客席にあんなに人がいっぱいいるところで競技したことがなかったし、自分の名前の横断幕もあって、びっくりしましたね。一番メダルが狙えると言われていた100メートルが最初の種目だったのですが、舞い上がっちゃって、気がついたらレースが終わっていたんですよ。だから、もう1回やらせてほしいって思いましたね。

長野パラリンピックのアイススレッジスピードレース500メートルで金メダルを獲得したとき(左)と、1500メートルで金メダルを獲得したときの松江(現・マセソン)美季さん(高梨義之撮影)

――自国開催での応援は、力になりましたか。

 スポーツ選手がよく「応援が力になりました」って言っていますよね。その意味をわかっていなかったんですけど、長野で体感しました。本当につらい、もう体が動かない、という状況で、「がんばれ!」と言われたら、格好悪いところを見せられないし、いいように作用してくれて。日本語だったからよかったんですよね。海外だったら、なんだかわからなかったと思う(笑)。自国開催は、すごく意味があります。

 パラリンピックを通して教育

――20年の東京パラリンピックは、サポートする側ですね。IPC公認の教材「I’m POSSIBLE」の日本版の開発責任者ですが、どういう思いを込めて作ったのですか。

IPC公認の「I’m POSSIBLE」日本版教材。マセソンさんが勤務する日本財団パラリンピックサポートセンターで(東京・赤坂)

I’m POSSIBLE 小学生から高校生までを対象に、パラリンピックを題材に共生社会への気づきを促す教材で、日本では民間団体の支援などにより、17年4月に全国各地の学校に配布されました。同年12月から各国で導入されています。

 日本では、パラリンピックはまだあまり知られていません。先生たちにとって、知らないことを教えるのは難しい。ですから、いろんな方の話を聞いて、使いやすい教材を作ったつもりです。母校の東京学芸大の同級生たちが教育現場にいて、本音を聞くことができたのがよかったと思っています。

――学校に行って、授業もしているのですか。

 ゲストティーチャーとして行くこともあります。あるとき、「障害のある人はかわいそうで助けてあげたいと思っていたけど、車いすって、ただの動くいすなんだから普通に接すればいいんだよね」という感想を聞きました。そう、そういう感覚です。私たちが伝えたいことが伝わっていると実感できて、うれしかったですね。教員の研修も、これまでに37都道府県、約8000人に行いました。もっと浸透させたいし、20年以降も続けられたら。

施設よりも態度のバリアフリーを

――アメリカへの留学経験があり、現在はカナダ在住ですが、日本との違いを感じますか。

違いは感じますね。日本では、障害のある人は我慢を強いられるし、「消去法」で生活している。例えば、食事に出かけたいとき。タイ料理を食べたいと思っても、車いすで行けるところを考えて、気づいたら中華料理になってしまうとか。そういう思考が当たり前になると、自分がやりたいことではなくて、車いすでできることは何かを考えるようになる。とても、息苦しく、居心地が悪いんです。アメリカでも、カナダでも、「美季は何やりたいの?」と聞かれる。私の思いを尊重してもらえるんです。

――アメリカやカナダの方が、バリアフリーが進んでいるということなのでしょうか。

設備じゃなくて、人の言葉や態度の違いかな。日本にいると、言葉は通じるけど目の前の人との間に、変な壁がある。私は20歳までは普通に歩いていたのですが、事故に遭って車いす生活になった途端、みんなの接し方が変わった。私自身は何も変わっていないのに。ショックを受けましたね。

アメリカでは、英語をしゃべれないということが、私にとっての障害でした。障害は周りの環境で左右されるものだと気がつきました。受け皿さえあれば車いすに乗っていることが気にならないけれど、足かせになって選択肢も居場所もなく、差別や偏見の対象になって生きづらくなってしまうこともある。

車いすを使っていてイラッとしたり、うれしくなったりするのは、施設や設備に対してではなく、たいてい人に対してなんです。社会を構成する人が変われば、社会の居心地が変わってくる。そのために、教育が大事だと思います。

――ちなみに最近、イラッとした体験はありますか?

 エレベーターに乗ろうとしたとき、さっと横はいりしてきた人がいて、私が乗る前にドアを閉めたことですね。日本人は優しいと思われていますけど、弱者に対してすごく強気。障害者になるまで知らなかった。混雑した電車に乗ったら、車いすを蹴って「邪魔なんだよ」と言ってくる。私はそれでもまた電車に乗るけど、心が折れちゃう人もいる。人に迷惑かけたり、嫌な気持ちになったりするなら行かなくていい、という思考回路になってしまう。カナダにいると、「ご迷惑をおかけしている」という心の負担があまりないですね。

日本では謝ってばかり

――日本では「すみません」「すみません」と言ってしまいますか?

 14歳と11歳の息子たちに、「お母さん、なんでそんなに謝るの? 悪いことしてないんだから、謝らなくていいんだよ」って言われます。さらには、「お母さん、荷物みたいだよね」って。日本では人として扱われてないと感じているみたいです。

――障害者スポーツに関しては、日本でも環境が整ってきたでしょうか。

 身近な場所でどこに行っても障害のある人がスポーツができるかというと、まだまだです。専門の指導員がいないとか床が痛むとかいって断られることが多い。お役所でたらい回しにされることもあります。

 段差なしで通勤できますか

――パラリンピックの開催が、社会にどんな変化をもたらすと期待していますか。

 金メダルや世界記録を持つ選手でも、競技を離れれば、様々な制約を受けています。就職にしても、レストランに入るにしても。パラリンピックをきっかけに、そういうところにも目を向けて、障害のある人たちが活躍できる社会をつくるために、自分たちに何ができるかを考えてもらえるようになったらいいですね。

 試しに、自宅から職場まで、「段差なし」のルートで帰ってみてください。使い慣れている通勤路でも、「エレベーター、どこにあったかな?」と、戸惑うと思うんです。今まで見えていなかったことに、目を向けてくれる人が増えれば、確実に社会は変わっていくはずです。だから今、できるだけ種をまいて、そのための一歩を踏み出すのです。

(聞き手・大手小町編集長 小坂佳子、写真・鈴木幸大)

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マセソン美季(ませそん・みき)
国際パラリンピック委員会・国際オリンピック委員会の教育委員会メンバー、日本財団パラリンピックサポートセンター・プロジェクトマネジャー

1973年、東京都出身。大学1年生の時に交通事故で脊髄を損傷し車いす生活となる。98年長野冬季パラリンピック、アイススレッジスピードレースの金メダリスト。大学卒業後、イリノイ州立大学へ留学。パラリンピック教育を通じてインクルーシブな社会をつくるため、教材作成、普及啓発活動に取り組む。カナダ在住。カナダ人の夫と2児との4人家族。