私のまわりの個性豊かな老人たちの思い出

生湯葉シホの生の声

生湯葉シホの生の声9回目。個性豊かな老人たち。老夫婦の写真。

担当編集氏から「おじいちゃん・おばあちゃんの思い出を聞きたい」と言われたので、祖父と祖母について思いかえしてみる。

私が生まれるよりも前に亡くなってしまったから、私は母方の祖父に会ったことがない。祖父にまつわる記憶として唯一思い出すのは、子どものころ、仏壇に供えていたごはんのことだ。私は毎晩の夕食時、炊飯器からよそった小さめのごはんを祖父の仏壇に置きにいく係を母から与えられていた。その仕事はたしか小学校低学年のころからはじまったのだけれど、私は正直に言って「いやだなあ」と思っていた。

リビングのすぐ隣にある部屋に祖父の仏壇はあったのだが、ほとんど物置と化していたその部屋は夏場でも薄ら寒く、祖母が趣味の和裁をかして作った日本人形や、絵画教室に通っている母が描いたピエロの絵(?)などが飾られていた。仏壇・人形・ピエロのある部屋ときたら子どもが怖がるモチーフのデパートみたいなもので、小学生の私はできれば一瞬たりともその部屋に入りたくなかったのだ。それでも「生前に大好きだったおじいちゃんへのお供えもの」のような大義名分があればなんとか頑張れたかもしれないが、言ってしまえば「写真でしか顔を見たことがない老人に、ミニチュアサイズに盛ったごはんを届けにいく」という謎のイベントが毎晩7時ごろ発生しているという認識だったから、なんでこんなことのためにあの怖い部屋に、と納得がいかなかった。

生湯葉シホの生の声9回目。個性豊かな老人たち。仏壇の写真。

おじいちゃんと舎弟たち

そんな私を見かねた母が、生前の祖父がどんな人だったかを話して聞かせてくれたことがある。祖父は警察官だったのだが、母いわく「あんなやくざ者の警官は見たことがない」そうで、毎晩馴染なじみの居酒屋で酒を飲んで泥酔しては他の客と喧嘩けんかする、というありさまだったという。それでいてよくも悪くも兄貴肌というか、自分を頼ってきた人は誰であれ見放せない性格だったようで、母の子ども時代、実家には背中や腕に入れ墨を入れた知らない男の人たちが何人も居候していたそうだ。あまりにできすぎていてフィクションみたいな話だけれど、「本当よ、あたしその人たちから『あねさん』って呼ばれてたもん。おじいちゃんがよそで喧嘩売られるとその人たちが迎えにいくからみんなギョッとして逃げちゃったらしくて、おじいちゃん一度も喧嘩に負けたことないんだって」と母が言うので絶句してしまった。

それ以来、「ちゃんとお祈りしてからお供えしないとおじいちゃんが化けて出るよ」と母にからかわれるたびに、泥酔した祖父が入れ墨の男の人たちを連れてニコニコとこちらに歩いてくるという見たこともない光景を想像するようになってしまい、ものすごく律儀に時間をかけてお供えをするようになった。

ドラマのキャストのようなおばあちゃん

一方の祖母はというと、彼女も彼女でひと癖ある人だった。

私が中学生のころ、祖母は介護施設のデイサービスに通っていたのだけれど、母と私が夕方に祖母を迎えにいくと、彼女はいつも決まって部屋の中央に置かれたアップライトピアノのそばにいた。施設の利用者のなかにピアノを弾ける人がいたようで、その人の演奏を聴いていたのだ。車椅子に悠然と座り、にこにこと微笑ほほえみながらピアノ演奏に耳を傾ける祖母の姿はさながら倉本聰のドラマの登場人物のようで、職員さんたちから「トワコさん(祖母)は本当にすてきな方ですね」「私もとしを重ねたらあんなおばあさんになりたいです」なんて言われることもままあった。母はそんな評価を耳にするたび、「はあ」とか「ええ」とか歯切れの悪い返事をしていた。

というのも、祖母は迎えにきた母が運転する車に乗り込むなり、「あ~のじいさんピアノまったく上達しないでやんの」「お昼ごはんの漬物ったら本っ当にまずかった、あんなもん食べさせられてたら寿命縮んじゃうよ」と施設や利用者たちの悪口を散弾銃のように言いまくるのだ。母も母でそういう祖母をおもしろがってしまう底意地の悪さがあり、「オッ、いいねえ」「それからそのじいさんどうしたって?」と落語のような合いの手を入れながら話を聞いていた。私はというと、後部座席でただただ冷や汗を流していた記憶がある。

生湯葉シホの生の声9回目。個性豊かな老人たち。パチンコの写真。

ちなみに晩年の祖母の趣味はパチンコで、勝つたびに上機嫌で私にハーゲンダッツを買ってくれたりもしたのだけれど、パチンコ好きだと家の外で言うことは一度もなかったと聞いている。祖母はパチンコでめたとおぼしきヘソクリをずっと家のなかに隠していたが、家族がそれに気づいたのは祖母の葬儀から数年後のことだった。「おばあちゃん、私たちに隠れてめちゃめちゃお金貯めてやがった」と母が笑い泣きしながらビニール袋に入ったお札の束を見つけ、リビングに持ってきたときのことをいまでもよく覚えている。へそくりは祖父の仏壇の奥から見つかったのだった。

お経を覚えてくれない僧侶のこと

ふり返ってみると、祖父も祖母も破天荒な人ではあったけれど、よくも悪くも外面がいいというか、仕事場や介護施設では「立派な人」「いい老人」的な評価で通っていたというから苦笑いしてしまう。けれど、それが彼/彼女なりの処世術だったんだろうと思うと、すこしくるしい。以前、仕事でご一緒した方が「日本は、ある程度歳をとった人たちを『老人』枠に勝手に当てはめて、想像上の『老人』像のようなものからはみ出ないでいてほしい、人に迷惑をかけない『いいおじいちゃん/おばあちゃん』でいてほしいという空気がちょっと強すぎますよね」とおっしゃっていたのを連想し、複雑な気持ちにもなる。

じゃあ、自分がいつかかつての祖父や祖母くらいの年齢になったとして、どんな「老人」でいたいか。そう考えてみたときにふと思い出すのが、母方の親類が葬儀や法事のたびに代々お世話になってきた僧侶だ。

というのも彼は、僧侶としてのキャリアはおそらく30年以上になるはずなのだが、ちょっと信じられないくらいお経をまちがえる人なのだ。祖母の葬儀の際にも、読経の途中で「むーん、むーん」とごまかしながら慌てて経本に目をやり、忘れたフレーズを確認していたので、「信じられない、ちゃんとしてくださいよ……」と親類たちに小声で責められていたほどだ。

そんな彼は、法要が終わり、参列者たちによる会食がはじまると途端に生き生きする。「ちょっと飲みすぎだから」と母や母の従兄弟いとこたちに心配され、挙げ句の果てに酒を隠されるほど飲酒し、歌い、故人との思い出を大声で語りだす。そういう彼の姿を見るたび、父は「僕もいずれ自分の葬式であの人にお経まちがえられるのかなあ」とおびえ、母はただただ「あのなまくら坊主が」とブチギレているのだけれど、私はなんだかちょっとホッとしている。

世間体や好感度をいっさい気にせずあんなふうに生きている「老人」もいるのか、と思うと、まあ自分の好きに生きりゃいいんだわ、と気が楽になるのだ。なんとなく彼のような人がいちばん長生きしそうだという予感があるので、さすがに私の葬儀の番がくるころには、お経は覚えておいてほしいのだけれど。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06