しんどい我慢、無理をし続けてきた私たち

生湯葉シホの生の声

12月の中ごろ、とつぜん声が出なくなった。仕事で人としゃべっていたら、喉から出そうとしている言葉の速度に吐く息が急に追いつかなくなって、つけてもつけても消えてしまうろうそくの火みたいに、発話しようとしても声が途切れてしまうようになった。

打ち合わせがあって久々に外出した日のことで、翌日にも同じような仕事の予定が2件入っていた。やばい、どうしよう、と思いながら、仕事先の人たちと駅までの帰り道を歩く。雑談をしているとさっきよりは自然に声が出てきた。けれど、やっぱりしゃべるたびに息が続かず、苦しい。翌日の予定はリモートに切り替えてもらい、夜、呼吸器科がある病院に電話した。

症状を説明しながら、心細くてしかたなかった。息苦しさに加えて、壁に寄りかかっていないと倒れてしまいそうなくらい体がだるい。新型コロナウイルスの可能性もあるから、と受付の方に替わって電話に出た医師は、私の話しぶりを聞いて開口一番、「うーん、でもいま結構ふつうにしゃべれてますね?」と言った。

すっと鳩尾みぞおちが冷えるような感覚がして、うーん、とかモゴモゴ言った記憶がある。頭で考えるより先に口から出てきたのは、「無理を、していますので……」という言葉だった。自分の言ったことに遅れて気づき、笑いそうになってしまう。無理をしていますので? ひ弱な声でそう伝えながら、溺れているみたいにやっぱり息が苦しかった。

光ってるものはなんであれ明るい

せき止めや気管支を広げる薬を処方してもらって、年が明けるころには症状は落ち着いていた。気管支炎でしょうかねたぶん、ストレスもあるかもしれませんねえという医師の歯切れの悪い言葉を思いかえすたびに、いまただでさえ多忙な病院に負担をかけてしまって本当にごめんなさい、と申し訳ない気持ちになる。

その症状の正体は結局はっきりしなかったけれど、自分がとっさに口走った「無理をしています」という妙な宣言は印象に残った。というのも後日、知り合いの口から同じ言葉を聞いたからだ。

店の看板をしまおうとしているNさんにばったり会ったのは、仕事帰り、家までの道を歩いているときだった。Nさんがマスターをしているその飲み屋には何度か顔を出したことがあったから、立ち話になるのは自然なことだった。「時短営業ですか」と聞くと、「うん、都に従って8時で閉めてるんです」とNさんは言った。

聞けば、緊急事態宣言中は店の営業時間を17時から20時の3時間に変更しているという。東京都の時短営業の協力金は一律で1日6万円だから、店の規模がそれほど大きくない同業者のなかには(普段の売上よりもプラスになるので)時短どころか店を開けない人も多い――と聞いて、Nさんの店は3時間でもそれ以上の利益が見込めるから開けているんだろうと思った。するとNさんはこちらの考えを見透かしたように、「うちはもともと深夜帯にいらっしゃる方ばっかりなんで、この時間開けてても全然こないですよ」と苦笑いした。

去年、コロナの影響で客足が遠のいた分をすこしでも取り返さないと店の存続があやうい、というようなことをNさんはオブラートに包んで話してくれた。それから、「金銭的な理由もそうだけれど、それ以上に、僕にはすべてのバーが閉まっているというのはものすごく絶望的なことのように思えてしまうんですよ。だからちょっと無理をして開けてます」と言う。

「極端な話、別に入っていただけなくてもしかたない。いま、職場で外食禁止ってルールがあって入りたくても入れない方もいますから。でも、帰り道に飲み屋の明かりが一個ついてるのとついてないのとじゃ全然違うと思うんですよね」

Nさんは看板から伸びるコードを手元でぐるぐると巻きながら、「光ってるものってなんであれ明るいから」と、一見格言めいたあたりまえのことを言った。

家にいるって、そんなに簡単なことだろうか

「無理をして開けてます」というNさんの言葉と自分の言葉が重なって聞こえたのは、たぶん単なる偶然ではないと思う。

考えてみれば、私は昨年末にひどい息苦しさで病院にかかる直前まで、過眠と過労をくり返して生活リズムがめちゃくちゃになっていた。その一因には、Zoomを通じた打ち合わせや取材に慣れ始めたころに対面での仕事がまた入ってくるようになり、人とのしゃべり方や距離感が一気につかめなくなったことによる混乱があったような気がする。それは対人に苦手意識のある自分のごく個人的な事情だけれど、あまりに“個人的な”事情だからこそ、こんな大変な時期にそんな些末さまつなことでしんどくなってる場合じゃない、という気持ちが働いたことはたしかだった。

Nさんが別の日の話のなかで、「外でお酒が飲めなくなったことで本当にしんどい思いをしている人って絶対いて、僕のお客さんでも何人か顔が浮かぶんですよ。そういうこと言うとそれくらいいまは我慢してください、私たちみんな我慢してるでしょうって話になって、それはすごく正しいのだけど……」と複雑な顔をしたのを覚えている。ほんとうにそうだ、すごく正しい。すごく正しいけれど、その正しさのもとから逃げたいという個人の気分にまったく目を向けないことは、あまりにも冷たいことじゃないだろうかと思う。もちろん感染予防対策のことを考えれば、とることが推奨されない行動はできるだけ控えるべきだ。けれど、「ちゃんと我慢するけど、我慢するのはすごくしんどい」という訴えを軽視することは、全員の首をゆるやかに絞めていくような行為だと感じる。

去年私たちはみんな、ありとあらゆる無理をしてきたのだと思う。仕事が大幅に減って家賃を払えなくなったという自営業者の友人もいるし、衣食住にそこまで大きな影響はなくても、配偶者と子どもと四六時中いっしょにいなくてはいけなくなったことがしんどい、という知人も、人と食事をすることが唯一の趣味だったのに、それができなくなったいまは生きがいがなくなってしまった、という知人もいる。

人と食事ができなくてつらいとか、ライブに行けなくてつらいとか、成人式や修学旅行がなくなってつらいという人の言葉に「黙って家にいられないなんて」とSNS上でマウントをとる人を目にするたび、悲しくなってしまう。私も食事はひとりでとるほうが好きだし、学校行事も苦手なタイプだったけれど、それがほんとうに楽しみでしかたなかった人の気持ちは想像したいし、想像しようとしない社会は健全じゃない。

たぶんこれからも無理をしなきゃいけない時期はもうしばらく続くから、それぞれのしんどさが隠されてしまうことが今年はせめて減るといい。しんどさをもうすこしカジュアルに吐露できる土壌がないと、我慢強い人以外なにも言えなくなってしまう。だからこそ、月並みな言葉だけれど、こんなめちゃくちゃな社会のなかで2020年を生き延びた私たちは本当にすごい、と何度でも言いたい。Nさんの言葉を借りるのなら、光っているものはなんであれ明るいのだから。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06