「新型コロナ」で新常識…好まれる人と好まれない人は

サンドラがみる女の生き方

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緊急事態宣言は解除されましたが、新型コロナウイルスとの闘いは長期に及びそうです。各種の規制が緩和されても、以前のような完全に自由な生活を取り戻すのはしばらく不可能でしょう。「ウィズコロナ(感染症との共存)」の時代、今までの常識や価値観そのものが変わりつつあります。

「詰めてください」は昔の話

バスなどの公共交通機関を利用する時、「コロナ以前」は、なるべくたくさんの人が乗車できるように、乗客と乗客の間を「詰める」ことが当たり前でした。席に座る時も、なるべく隙間をあけないことが常識でした。しかし、新型コロナの感染が拡大してからは、なるべく人と離れて座ることが暗黙の了解となり、いわば新常識となっています。バスにしても電車にしても、「一人でも多くの人が乗れるようにと、ギュウギュウに詰めた状態」は、今や歓迎されていません。仕事など不要不急ではない外出の際に電車に乗る時は、なるべくすいている車両に乗るようにしている人も多いのではないでしょうか。

スーパーマーケットのレジに並ぶときも、今までは「詰める」ことが常識でした。でも今は、社会的距離(ソーシャルディスタンス)を保つことが重要であるため、列に並ぶ人は互いに約2メートルの距離をあけて並ぶことが多くなりました。

筆者が先日、コーヒー豆を買いにスーパーマーケットに行ったところ、コーヒー豆が置いてある棚の前でレジ待ちの人が行列を作っていたため、コーヒー豆にたどり着けませんでした。コーヒー豆の棚に近づくと、レジ待ちの人との距離が近くなってしまうからです。

「こういう問題も出てくるんだな。不便だな」と思いましたが、不便だと思うのも、自分の中でまだ「コロナ以前の感覚」が抜けていないからなのかもしれません。でも、もしコロナ禍が長引けば、そのうち店のレイアウトなども「今風」(つまりはウィズコロナに合わせた)に変わってくるかもしれません。

「明るくハキハキ」は評価されず

新型コロナが登場するまで、筆者は「飛まつ」について考えたことさえありませんでした。でも、メディアで「感染を避けるためには、飛まつが飛ぶのを避けるべきだ」と報道されたり、安倍首相の記者会見でイタリア人記者が「首相はなぜマスクをしていないのですか」と質問をした際に、首相が「距離をとっているので、私の飛まつは(記者らに)届かない」と答えたりと、「飛まつ」という言葉をよく耳にするようになってからは、筆者自身もかなり意識するようになりました。

ついこの間まで、多くの外国人が「なぜ、日本の電車では会話が少ないのか?」と不思議に思っていました。「ヨーロッパの電車みたいに楽しく話したほうがよい」という意見があれば、「本来、日本の電車は静かに過ごすものだ」という意見もありました。

でも、「コロナ以後」は、この手のことはもうあまり話題にならなくなっています。ウイルスのことを考えると、会話をせず静かにしているのが適切だからです。筆者自身も最近、「基本的に人とあまり会話をしない」日本の電車をありがたく思うようになりました。

こんな光景は当分見られなくなるのかもしれません

その一方で、人と付き合うなかで、「明るくハキハキ話す人」があまり評価されなくなったのはちょっぴり寂しいです。コロナ禍の前は、「大きな声でハッキリ話す明るい人」というのは比較的、評価されていたように思います。ところが今や、「明るくハキハキ話す人」は、ヘタをすると「飛まつを飛ばす人」という扱いを受けかねません。残念ではあるのですが、新型コロナの脅威で、このように評価や価値観が変わっていくのも仕方のないことなのかもしれません。

筆者の母国ドイツでは、以前は道を歩いていて偶然、友達や知人に会ったら、かけ寄って抱き合ったり、頬と頬を合わせたりしてあいさつすることが普通でした。しかし、コロナ以後は、道で友達に会ったら、「遠くから大きく手を振って挨拶をする」のがスタンダードになりました。

ドイツでも浸透しつつある「マスク」というマナー

コロナ以前のドイツでは、外出時にマスクをする習慣がありませんでした。そればかりか、まれにマスクを着けていると、銀行強盗だと思われたり、不審者として扱われたりすることもあるため、マスク着用はいわばタブー視されていました。それが今や、買い物の際や電車に乗る際のマスク着用が法律で義務付けられているわけですから、まさに180度変わったといえます。

もちろん、マスク着用が義務付けられているからといって、国民全員がマスク着用に賛成しているわけではありませんが、こういったご時世ですので、「仕方ない」と諦めて着用する人は確実に増えました。

今まさに、世界中で「今までの価値観や常識」が覆されています。人間関係に関しても、どこの国でも、「何かあったらすぐに駆けつける人」より「遠くから見守って、そっと手助けできるような人」が好まれるようになりました。物理的な距離はあっても、心の距離が縮まれば、このつらいコロナ禍も乗り切れるのではないか――そんな気がするのです。

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サンドラ・ヘフェリン
サンドラ・ヘフェリン
コラムニスト

ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住22年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」
著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ)、「満員電車は観光地!?」(流水りんことの共著 / KKベストセラーズ)、「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)。