劇団四季から落語家に…三遊亭究斗「ミュージカル落語」で伝えたいこと

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落語ブームが続く中、世界で唯一の「ミュージカル落語」で全国を飛び回る落語家がいます。劇団四季の俳優から落語家に転身した三遊亭究斗きゅうとさん。修業中の2003年にはミュージカル「レ・ミゼラブル」の主要キャストに抜てきされ、その後、自ら「ミュージカル落語」を立ち上げました。

歌って踊る大舞台から、座布団一つの高座へと移った究斗さんに、チャレンジし続ける思いなどについて聞きました。

「ミュージカル落語」はイチゴ大福

――「ミュージカル落語」とは、どんなものですか。

音楽と歌と語りを入れた話芸です。古典落語やミュージカルの名作、著名人の生涯などをベースに、僕が構成して歌詞をつけて、一人で演じます。一度に両方楽しめるので、シリアスな作品でも笑いが入って分かりやすくなりますよ。たとえるなら「イチゴ大福」ですかね。試す前は「えーっ、イチゴはイチゴ、大福は大福で食べようよ」と思いますが、一度食べたら「これはおいしいね!」ってなる。そういうのがミュージカル落語なんです。

――劇団四季に10年、在籍していたのですね。昔から人前に出るタイプでしたか。

全然! 子供の頃はものすごく内気でしたよ。でもずっとブルース・リーと松田優作が好きでね、高校の進路希望で「役者になりたい」って言ったら、親に「ばかやろう!」って怒られました。それで、なんとなく大学受験をして浪人したり、東京の専門学校に行ったりしました。

21歳で東京の俳優養成所に行きました。でも、故郷の香川県に戻らなくてはいけなくなって、父の土木建築業を手伝いながら田舎のアマチュア劇団に入って、この先どうしようと悶々もんもんとしていたんです。その時、倉敷にすごい霊感占い師がいるというので、仲間と行きました。そこで、「親の仕事を継いだ方がいいですか?」と聞いたら、占い師から「あなた、芸能界が向いているわ。あなたは大きい場所じゃないと認められないから……劇団四季よ!」って言われたんです。

――え、そこで「四季」が出てくるんですか。

そう、ピンポイントで。当時の劇団四季はミュージカル「キャッツ」初演の頃で、テント小屋でロングラン公演をしてるって、ものすごい話題になっていた。僕もたまたま東京で見ていたんです。でも猫の総身タイツで腹式呼吸をしている姿を見て、「うーん、これは俺の世界じゃないなあ」って思いました。ところが占いで「あなた、四季よ!」って言われたら、「ああ俺って、四季なんだー」って素直に思ったんです(笑)。

「自分の時計を見なさい」の意味

――いくつで劇団四季に入ったのですか。

研究生の試験を受けて、2度目で受かりました。25歳の時ですね。(劇団創設者の)浅利慶太先生に教わったことで一番覚えているのが、「自分の時計を見なさい」ということ。人にはそれぞれ自分の時計があって、他人には他人の時計がある。焦らずに、自分の時計を持っていきなさいということです。劇団でもすぐに大役に抜てきされる子っているんですよ。「よかったね!」と思う半面、「うらやましい」「なんで」と思う気持ちもあったけれど、それはそれ、彼女の時計なんです。自分をしっかり持って焦らず、やることをやっていけば、いつか開けていく。これは後に噺家はなしかになっても、身にしみる言葉でした。

1991年元日、合宿稽古中に浅利慶太氏(写真一番右)と。究斗さんは写真一番左

四季ではファミリーミュージカルによく出ていました。僕はけっこう人を笑わせる役をやらせていただきましたね。それで役者をしながら、ミュージカル「李香蘭」やオリジナル作品の立ち上げの段階から台本づくりや制作にも携わっていきました。ただ30歳を過ぎてくると、いろいろ考え始めましてね。このままだと40歳を過ぎたときに中途半端になるんじゃないか……と。それで、何かないかなあと探し始めたら、テレビ番組で見た落語にはまっちゃったんです。

34歳で落語の世界へ

僕は演技でリアリティーを追求することに関心があったんですが、落語だと上手な人ほどリアリティーがある。おそばを食べたり、お酒を飲んだりする所作は本物みたいだし、一人で何役もやる人物描写が見事なんです。「何なんだ、これは!?」と驚いて、次に湧き上がった気持ちが「…やりたい!」。ただ、もう34歳だったし、そこそこ給料もいただいていたし、どうしようかなと考えました。

――その時、どうされたんですか。

そこで……また占いに行ったんです(笑)。当時、福岡で3か月間、ミュージカル「エビータ」に出ていたんですが、劇場近くの商店街に「占い」の看板があって、見てもらおうと。「僕、舞台俳優なんですけど、落語家になりたいんです」って言ったら、急に占い師の顔色が変わって、「うん、向いておる。もう今すぐなりなさい! 今なら道がどんどんひらける」って言うんです。そう言われたら僕はまた、「そうかあ、やっぱり!」って素直に思っちゃうんです。

となると、次は「師匠」。福岡のタウン情報誌を見たら、ちょうど春風亭小朝師匠と柳家小三治師匠と古今亭志ん朝師匠が九州で独演会をするって書いてあったんです。ただ、ほとんどが「エビータ」の公演とかぶっていて見られない。小朝師匠の会だけはちょうど休演日だったので、見に行きました。

初めて生で見た落語はもう、すごかった! 「ああ、師匠はこの人だ!」って確信しましたね。それで決意を手紙に書いて、翌日の佐賀での公演に行ってマネージャーさんに渡しました。しばらくしたら小朝師匠が出てきて、「もったいないじゃないですか、そこそこ劇団四季でやっていらして。噺家の世界も大変なもんですよ」とおっしゃった。でも僕が「大丈夫です、本当にやりたいんです!」って言ったら、その場で「わかりました、じゃあ東京に帰って気持ちが変わらなかったら、引き受けます」って言ってくださったんです。

――すごい勢いですね。

それで劇団を辞めるため、浅利先生に「噺家になりたいんです」って言いました。普通ね、辞めたいなんて言ったら、ギャラの支払いも止まって即クビですよ。でも先生は、「あいつは気が狂ったんだ。そんなやつに何を言ってもしょうがない」と言って、最後に「李香蘭」のシンガポール公演に連れて行ってくれたんです。そこで「東京に帰ったら、噺家やれ。だめだったら戻っていいからな」と言って、送り出してくれました。

破門、そして移籍

――小朝師匠のもとで、どれくらい修業したのですか。

3年、いました。早く売れなきゃと焦っていたんですけれど、小朝師匠は「高座を信じろ」とおっしゃった。僕、前座で高座に上がったら、けっこう笑ってもらえたんです。だから師匠は「今、受けてるだろう? そこを信じなさい」と。でも、焦ってましたねぇ。まさに浅利先生がおっしゃってた「自分の時計を見て」いなかったんです。

「自分より早く入門した人は『アニさん』。入門時、17歳のアニさんに従いました」と究斗さん(撮影・田中昌義)

その後、弟子が次々と破門になった時期があって、次は僕の番だってうわさになったんです。その時、人づてに、今の師匠の三遊亭円丈が「もしあいつが破門になったら、引き受けてやる」と言ってたって聞いたんです。円丈師匠は僕の噺を聞いて、「君は芸人のなんたるかを知ってるね。うちの弟子に一人もいないよ」って褒めてくださいました。

――劇団での経験がいかされたのでしょうか。

どうなんでしょうねえ。それである日、とうとう地雷を踏んでしまって、本当に破門になっちゃったんです。すると本当に円丈から「俺が引き受ける」って電話がかかってきて……でも、もう落語家をやめようと思って、小朝師匠にあいさつに行きました。そうしたら、「焦らずにいろいろと勉強しなさい」って、アドバイスをくださったんです。

それで、狂言や歌舞伎など様々なものを見始めました。ある日、一人芝居を見たんですが、登場人物の会話とか内容がスッと入ってこないなと気づいた。「これが落語ならストーリーがどんどん入ってくるのにな……」と思って、「やはり落語というのは究極の芸なんだ、本当に戻りたい!」って考え直したんです。それで小朝師匠に筋を通してから円丈師匠にお願いしたら、引き受けてくださいました。

「レ・ミゼラブル」を落語に取り入れる

――そこでもまた、大きなチャレンジをしたんですね。

二つ目昇進の前に、ミュージカル「レ・ミゼラブル」(以下、レミゼ)のオーディションを受けたんです、落語の修業中なのに(笑)。四季時代にテレビで海外のレミゼのコンサート版を見て、宿屋の主人・テナルディエをやった役者さんに心ひかれましてね。鼻は赤くて三枚目なんだけど、何か光るものがあった。オーディションがあるなら、ぜひその役をやりたいと思って受けたら、トントンと進みまして、受かりました。二つ目時代の名前「三遊亭亜郎」で2003年夏の帝国劇場と翌年の博多座にテナルディエ役で出演して、その年の7月の「レ・ミゼラブル in コンサート」にも出ました。そして、この経験が「ミュージカル落語」につながっていくんです。

宿屋の亭主・テナルディエをダブルキャストで演じた

劇団四季には役柄を作りあげる方法論で「0幕ゼロまく」というのがあります。脚本の第1幕よりも前に、その登場人物にどんな人生があったかを想像していく作業で、僕はテナルディエの0幕を考えたんです。その頃、今は噺家になったグレッグ・ロービックさん(現・桂三輝さんしゃいんさん)と知り合いましてね。彼はカナダでミュージカルを制作していて、来日後は落語を勉強していたんですが、僕がレミゼの話をしたら「え、なんで噺家がレミゼ!?」って驚かれてね。じゃあ一緒に何かやろうって話になって、彼がつくった音楽でミュージカル落語「テナルディエ物語」をつくりました。これが、受けましてねえ、フランス語の愛しているという言葉の「ジュテーム」と落語の「寿限無じゅげむ」をかけ合わせたりして(笑)。彼とは4作品くらいつくりました。

――世界で唯一の「ミュージカル落語」の誕生ですね!

僕は劇団四季でエンターテインメントについて学んで、小朝師匠で古典落語を学んで、円丈師匠で新作落語を学んだ。あちこちに飛んでいるようで、ちゃんと意味のある、いい流れだったんです。ミュージカル落語は30作品以上つくりました。中でも2009年につくった「一口弁当」という作品から、また流れが変わりましたね。

僕、小学校5年生の時にいじめられた経験があるんです。本名の姓が「雉鳥きじとり」なんですけど、先生が「おい、カラス!」って呼んだら、みんながドッと笑って、それから「カラス」「カラス」って呼ばれて、いじめられたんです。二つ目になったある日、カフェで隣のおばさんたちの会話から「一口弁当」「彼はやり遂げたのよ~」という言葉だけが聞こえてきて、急にストーリーがバーッと浮かんだんです。それで作った噺が「一口弁当」。貧しくていじめにあった少年が、老人から前向きな考え方を教わっていくという物語です。これを高座でやると「ぜひ、うちでも!」と反響がどんどん広がって、2011年からは教育の一環として全国の学校をまわっています。

――うれしい展開ですね。今後の夢はありますか。

世界のいじめがゼロになるように、ぜひ国連でミュージカル落語をやりたいんです! もちろんゼロになるのは難しいんだけど、やらないよりは、やっていかないと変わらない。「みんな同じ人間なんだよ!」って言いたい。自分がやられて嫌なことは、人にやらないのが大事でしょ。相手の気持ちを考えるようになれば、いじめはなくなると思う。ミュージカル落語を通じて、それを伝えていきたいです。

――最後に、「大手小町」の読者にエールをお願いします。

「10年後のワタシは、どうしているんだろう? 結婚している? 子供はいる? 日本の経済はどうなっている? 将来、年金はもらえる?」なんて考えたら、夜も眠れない。美空ひばりさんが生前、「未来っていうのは永遠に来ないの。今、目の前にある人やモノを大切にしない人は、先があると思っているうちに、それらをなくしちゃうのよ」とおっしゃったそうですが、まさにその通り! 今、目の前にあるお仕事に集中して、好きなことに一生懸命取り組む。そうやって今の自分と向き合っていけば、いろいろ気づくことがあるって思います。あとは……「自分の時計を見なさい!」ですね。

(取材・文/メディア局編集部 李 英宜)

三遊亭 究斗(さんゆうてい・きゅうと)
ミュージカル落語家

1963年、香川県出身。88年に劇団四季に入団し、国内外で数多くのミュージカル・ストレートプレイに出演。97年に落語家に転身。師匠は三遊亭円丈。2003年にミュージカル「レ・ミゼラブル」(帝国劇場など)にテナルディエ役で出演。14年、真打昇進。8月8・9日には「ミュージカル落語まつり!6」を開催予定。公式サイトは こちら

「笑いと音楽のエンターテインメント『ミュージカル落語まつり!6』」
 2020年8月8日(土)・9日(日) 15時開演
 赤坂区民ホール(東京都港区赤坂4-18-13)
 チケット 3900円(全席指定・税込み)
 予約・問い合わせは OFFICE究斗

 <8月8日>
 ミュージカル落語「ミス・サイコン(再婚)~所沢ラブストーリー~」
 特別ゲスト:ナイツ

 <8月19日>
 ミュージカル落語「エディット・ピアフ」
 特別ゲスト:三遊亭円丈/林家彦いち/三遊亭丈助
       たん丈改め丈助(真打昇進披露口上あり)

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