カードゲーム興じる旅行者、古風な光景によみがえる記憶

岡田育「気になるフツウの女たち」

この冬、ニューヨークの街中で立て続けに似たものを見かけた。といっても、トレンドウォッチングではない。二度、三度、四度ほど、カードゲームに興じる人たちを見た、それだけのことだ。どちらかといえば古風な光景で、別に珍しくも何ともないのに、あまりにも久しぶりすぎて目が驚いてしまった。そしてつくづく思うのだ。2020年現在、私はもうずいぶん長いこと、カードで遊んでいない。

最後の記憶を辿たどると、旅先でカジノ見学をした後、離陸が遅延した飛行機の中で。いやしかし、あれは座席に備え付けの個人用画面で遊んだブラックジャックだ。つまりコントローラーを操作しただけ。複数名で輪になって、実物のカードを触って、何時間でも飽きずに同じゲームをする。そんな経験はもう何年も前のお正月、親戚の集まりで子供たちを相手にしたとき以来、思い出せない。

スマートフォンの普及と無関係ではないだろう。今、ゲームで遊ぶといえば多くはアプリのこと。友達と集まるのもソシャゲの仮想空間で、離れ離れで対戦プレイや協力プレイをして、ギフトを贈り合うだけになってしまった。

今時の若者がデザート店でウノ

一組は、若い男女の四人連れだった。チョコレートデザートの専門店で、昼日中でも真っ暗な大雨の日だった。程よく空いた店内で私は仕事のメールを書いており、隣に彼らが座った。近所に路面店がある人気ブランド「KITH」の買い物袋をいくつも抱えた、今時の若者たちだ。

どうせみんな、向き合ってもそれぞれの手元でスマホをいじって、注文が来たら皿を並べ替えて写真を撮って、次はそれをSNS投稿するのに夢中になるんだろう、と目をらしかけたところへ、女性が白いダウンコートのポケットからウノの箱を取り出し、デン、とテーブルに置いたので凝視してしまった。念のため書いておくと「UNO」は1971年に考案されて世界中で販売されている、トランプに似たゲームである。赤・青・黄・緑の色カードと、黒いワイルドカードがあって、手札が0枚になった人が勝ち。

ボロボロでもないが新品でもない、ほどよく使い古された箱からカードが抜かれ、慣れた手つきでシャッフルされる。にこやかな中にも真剣な面持ち。条件で揉めるそぶりもない。同世代の友達同士、同じローカルルールで、何度も何度もウノで遊んできた阿吽あうんの呼吸が感じられる。チョコレートクレープにチョコレートケーキにチョコレートパフェ、どんどん皿が到着するけれど、大きなテーブルの中心はずっとウノの札山。彼らはスイーツが来るまでウノで暇潰しをしていたのではなく、ウノがしたくて入店したついでに、スイーツで腹ごなししているのだ。

口も手も休みなく動き、たまに誰かがフォークを伸ばして各種スイーツの味見をしては、何周も続くゲームの進行とは無関係な雑談が続く。飲み物までホットチョコレートにした男子が「いやいやさすがにチョコかぶりすぎだろ」「これだけチョコ味を食べるときはコーヒーか紅茶がいいよねぇー」と残り三人から笑われているのが、身振りだけでも伝わった。何語かはわからないが、響きはポルトガル語っぽい。するとブラジル人だろうか。

金髪に白い肌の女子、同じく白人系だが小麦色の肌の女子と、黒髪に濃い眉毛の兄弟みたいな男子が二人。女二人はこれでもかと厚着していて、暖房の効いた店内でもコートを脱がず、男二人は逆に半袖のTシャツ一枚になっている。朝から続く大雨のため、着るものに工夫が見られるが、家から集まったのなら誰かしら防水仕様のアウターを選ぶはずで、そうでないのは、きっと旅行客だからだろう。

また別の一組は、家族連れだった。日曜日のブランチで混雑する人気レストランで、奇妙に浮いている。六名掛けのテーブルに四人で陣取り、飛行機の預け荷物ラベルが貼られたままのスーツケースやボストンバッグを人数分、その脇に積み上げていた。アメリカ国内の遠方から遊びに来た観光客だろう。

ただ大荷物というだけなら、早朝便でこの街へ戻ってきたばかりのニューヨーカーという可能性もあるが、そうは見えない。短い滞在を終え、おみやげを転がして故郷へ帰る直前の人々だ。頭に花柄のスカーフを巻いた10代の少女と、化粧っけのない20歳そこそこのお姉さんに、素朴なたたずまいの父と母。ちょうどすぐ近くのテーブルに、ツンとすましていかにも都会的な親子連れもおり、しみじみ見比べてしまう。同じアメリカ白人の一家なのに、チワワとドーベルマンみたいに違う。スズメとオオハシみたいに違う。

極めつけは、彼ら四人家族がトランプを始めたことだ。チョコレートカフェでウノをしていた若者たちも、あるいは、グランドセントラル駅の片隅で地べたに座って賭けに興じていたおじさんたちも、ここ最近、立て続けに見たカードゲームする人々は、みんな旅行者だったな、と気がついた。

旅先で遊んだ記憶 懐かしく

学生時代、鉄道で日本縦断する貧乏旅行のお供に、トランプを持参した友達がいた。お金をケチケチ節約する旅は、時間に関してやたらと「待ち」が長い。数時間おきに一本の電車やバスが来るまで、旅館の部屋へ案内されるまで、宿代すら惜しんで朝まで過ごした安酒場で、携帯電話が圏外になる山奥で、寝心地もなかなか悪くない駅舎のベンチで、トランプが退屈しのぎに役立った。

そして同行者とちょっとした賭け事をする。レンタカーの手続きをする係と、みんなの荷物を宿まで預けに行く係、今夜どこで何を食べるか名物料理の情報収集する係。楽な役回りと損な役回り、どれを誰が分担するか。じゃんけんならば二秒で決まるところを、わざわざゆっくり時間をかけて、カードゲームの勝敗で決めるのだ。

ワアッ、と大きな声がして、見ると頭にスカーフを巻いた少女が、手持ちの札を投げ出して突っ伏した。ババ抜きだろうか、父母と姉に勝ち抜けられてしまったようだ。ちょうどステーキやハンバーガーの大皿が運ばれてきて、カードはサッと片づけられる。彼女を待ち受ける「罰ゲーム」は何だろう。帰りの飛行機で、窓側や通路側ではない中央の席になる、とか。家に帰ってから全員分の汚れ物をまとめて洗濯する係、とか。

大富豪が得意だったあの子。神経衰弱が苦手だったあの子。いつでもどこでもミッキーマウスのミニトランプを持ち歩いていたあの子。抜き取られたくないカードをぐいぐい引っ張って抵抗したあの子。角についためくり跡で手札がバレないように、指で隠しながら伸ばしていた感触。頭よりも体でおぼえているそんな体験が、遠い昔のように懐かしく思える。全員がスマホをいじらない旅のひととき、セルフィーが残ることもない光景。どちらかといえば古風で、別に珍しくも何ともないのに、だからこそ、つくづく見入ってしまう。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。最新刊は、大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/