「笠地蔵」を知らない異国のジャパニーズガール

岡田育「気になるフツウの女たち」

アメリカでは今週木曜がサンクスギビング(感謝祭)、秋の収穫を祝う大きなお祭りの日だ。街じゅうがいっせいに長めの休暇をとり、家族が揃った食卓で七面鳥の丸焼きを囲む。大混雑の帰省ラッシュがはけた後は、ぱたりと人通りが途絶え、翌金曜はブラックフライデーの大安売り。クリスマス休暇まで続く年末商戦の始まりだ。

住んでみるまで実感がわかなかったが、「つまりは日本におけるお正月だ」と説明されて、いろいろと合点がいった。どんなに忙しい仕事人間でも年に一度は田舎へ帰り、おふくろの味を堪能してプレゼントを贈り合い、実家でダラダラ過ごす。出かけるといえば百貨店主催のパレード見物や教会行事くらい。なるほど、初詣と初売り以外はシーンと静まり返る、三が日の光景とよく似ている。

紅葉に染まる街路樹とカボチャのデコレーションとで町全体が黄金色に輝いていたハロウィーンから約一ヶ月。とっくに初雪が降り、連日の外気温が摂氏0度あたりを上下するニューヨークでは、みんながモコモコ着込んで冬支度を終えたところだ。ふと、昨冬に友達と話していたことを思い出した。

日本の絵本に感動

私は35歳になるまで一度も外国で暮らしたことがなかった。そのためか、海外生活経験者と知り合っても、彼らを「帰国子女」といった非常に大雑把なカテゴリに放り込んで、みんな似たものだと捉えていたフシがある。だが実際には、イギリスに一年留学した人、幼少期にブラジルに五年住んだ人、インドと中国の現地法人に十年勤めた人、ドイツ人と結婚してフランスに住み続けて二十年の人、それぞれに異なる体験を重ねているものだ。そして世界全土を見渡してみれば、生まれ故郷を離れずにいる私のほうが、珍しがられることもある。

ニューヨークに転居して、「その歳までずーっと国を出たことがなかったの? 一度も?」と驚かれる機会が増えた。同じ日本人から「そっかー、だからそんなに日本語が上手なんだね!」と感心されたりもする。「英語が下手」の婉曲えんきょく表現だろう。その日のパーティーに集まったのも、興奮すると日本語より先に英語が飛び出してくるようなジャパニーズガールばかりだった。幼少から海外生活が長く、日本社会には馴染なじまず、世界へ羽ばたいてバリバリ働いてきたような、在外邦人の大先輩たちである。

国籍、年代、性別、肌色も顔立ちも「同じ」日本人という認識でいた相手が、よくよく話を聞いてみると、人生の大半を私とは「違う」土地や文化とともに過ごし、母語とは「違う」言語を読み書き会話して物を考え、結婚して子供を産み育てたりしている。渡米三年、ようやく日常生活に慣れてきたばかりの私にしてみれば、出会いの一つ一つが新鮮で、それまでの己の視野の狭さを恥ずかしく思うほどだ。

お酒が進み、小さな子供を夫に預けてきたメンバーが、「夜、寝かしつけのときにどんな絵本を読み聞かせるか」という話題を持ちだした。あれこれ挙がる名作絵本の英語題を聞いても、咄嗟とっさに日本語訳のタイトルが思い出せなかったりする。ある友達が、英語まじりの日本語で熱っぽく語り始めた。

「こないだ実家の母から送ってもらった絵本が、ものすごく感動的でよかったのよ。日本のトラディショナルなお話だと思うんだけど……心優しいおじいさんがね、大雪の日に、道端の恵まれない子供たちにアウターをシェアしてあげる話なの。その子供たちっていうのがね、人間じゃなくて、ほら、あるじゃない、石でできたお人形なのよ。あれって天使の像とかと同じで薄着でしょ。だから、雪が降っても寒くないようにって、おじいさんがハンドメイドの帽子やジャケットを着せてあげるの。ソー、ハートウォーミング! あれ、なんていうんだっけなぁ、なんか茶色い素材の、私、息子にかれてちゃんと説明できなくて、慌ててスマホで調べたのよ……ねえ、あなた日本語のエッセイストだから詳しいでしょ、この話、知ってる? あれ、何?」

「フツウ知ってる」に根拠なし

何?もなにも、笠地蔵である。真顔で訊かれた私のほうが面食らってしまった。「え……お地蔵さんだよ、道祖神。子供の姿をした神様みたいな、や、地蔵菩薩だから仏様かな。笠と蓑を着せてやるって、めちゃくちゃ有名な昔話だよ。カサ。や、違う違う、アンブレラじゃなくて、円錐形の帽子みたいなやつ、円錐、コーン。素材は……ワラ? 違うな、すげ笠って呼ぶから、スゲ……? とにかく植物を編んだものだよ。え、マジで知らないの!?」と言い返すが、常識だろ、という態度をとる割に、私だってろくな説明ができていない。

バイリンガルの息子に『笠地蔵』の絵本を読み聞かせていたママは、「さすが、物知りだね!」と喜んでいる。驚いたのは、彼女以外のメンバーも、まるで初耳という顔で感銘を受けている点だ。「道端に子供の神様ってカワイイね」「プラントベースでウォータープルーフのアウター、今風にリメイクして売ったら流行るんじゃない? 浮世絵のイラストを包装にしてさ」「それでね、この後にハッピーサプライズが起こるんだよ」「えー、続きが気になるー!」と、大変な盛り上がりである。

おじいさんが笠を売りに出たのは、年越しの餅も買えないほど貧しかったからだ。ちっとも売れなかった笠を無償で分け与える、という善行のお返しとして、大晦日にお地蔵さまが正月の餅や祝い飾り、冬を越す食糧や小判などをどっさり届けに来てくれる。おかげで老夫婦は無事に新年を迎えることができた。結末まで説明すると、一同、今度はしみじみワイングラスを傾ける。

「全然知らなかった。私が通った香港の日本人学校では教わらなかったよ」「宮崎駿にアニメ化してもらって世界へ広めたい」「たとえ自分がビリオネアでなくたってチャリティの精神は大事だよ、って子供に教えているけど、いい言い伝えがあるもんだね」……異文化圏で育った人たちにゼロから祖国の民話を語り聞かせているのだと思えば、ごくごく自然な反応だ。日本人ならフツウ知ってるでしょ、という私の感覚に何の根拠もなかったことを思い知らされる。どんな物語を読んで育つかということに、国籍や民族なんてちっとも関係ない。地球人類77億人規模で考えたら、『笠地蔵』を知らない人生もまた「フツウ」の範疇はんちゅうなのである。

「でもさ、この話のどこがニューイヤーなの? お餅って賞味期限が長めだし、ストックしておけばよかったんじゃない?」と一人が首を傾げた。最初のうちは戸惑っていた私も、その頃までにはすっかり場の空気を把握している。親の仕事の都合で人生の半分以上を北米各地で過ごしてきた、という彼女の素朴な疑問に、ばっちり答えることができた。

「あなたたちの感覚で言うとね、せっかくのサンクスギビングにスペシャルディナーが準備できない清く貧しい家庭に、神様ができたてのターキーとパイとギフトを届けてくれた、って感じだよ。日本ではお正月だけど、もし舞台をアメリカに置き換えたら、これはきっとサンクスギビングのお話になると思うよ!」

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。最新刊は、大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/