温かなもてなしと酒造りへの熱意 日本酒ファンの心をつかんだ「天の戸」の杜氏が急逝 

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「この風景をビンにつめたい」。森谷康市撮影(秋田県横手市の道満峠から)

OTEKOMACHIの昨年10月のイベントに出演した浅舞酒造(秋田県横手市)の杜氏とうじ、森谷康市さんが、7月30日に亡くなりました。享年62歳。蔵から半径5キロ内でとれた米と水で醸す酒が、多くの人の心をつかみ、海外にも進出し始めたばかりでした。8月24日に同市内で「思ひ出を語る会」が開かれ、各地から集まったファンや関係者らが人柄や功績をしのびました。

トークで場を盛り上げる

森谷さんは昨年10月、東京・大手町で開かれた大手小町のイベント「発酵食でもっとキレイに~杜氏と味わう秋田の銘酒~」に出席し、「高清水」(秋田酒類製造)の杜氏・加藤均さんと共に酒造りについて語り、来場者に「天の戸」を振る舞いました。お酒の味のイメージを女優にたとえて紹介するなど、場を盛り上げました。

2018年10月の大手町でのイベントで酒造りについて話をする森谷さん(中央)と加藤さん(左)
イベント参加者に日本酒の説明をする森谷杜氏(右から3人目)=高梨義之撮影

突然の訃報に加藤さんは、「嘘だろ!と、信じがたい気持ちです。残念至極としか言いようがありません」と、肩を落とします。「イベントに慣れていない私を心配してくれました。熱烈なファンもたくさんいて、うらやましく思えました」と振り返ります。

地域の風土を酒に表す探求者

森谷さんは、全国流通する酒米を使わず、半径5キロでとれる米にこだわり、横手の風土を酒に表すことに力を注いできました。夏は農家として稲を育て、冬は蔵に入って酒を造る「夏田冬蔵」を貫きました。夏に田んぼを見て回りながら試飲する「稲の花見」を企画するなど、飲み手に造り手の思いを伝える工夫をしていました。

2017年2月、蒸し米に麹菌を振る森谷さん(左)
「稲の花見」と称して、酒米の品種ごとの違いなどを説明した(2017年8月)

「唯一の尊敬する杜氏でした。酒造りの歴史や先輩杜氏の思いや技術を掘り下げ、自身の経験と思いを原動力に、将来どうあるべきかを常に探求していました。決して楽な方を選ばず、生き方全てが“森谷文化”として輝いていました。杜氏としての円熟期を迎え、これから“ひのき舞台”が始まるはずでした」と、加藤さんは悔しがっていました。

日本酒文化の伝道師

8月24日に開かれた「思ひ出を語る会」には、各地から酒販業者やファンら300人以上が集まりました。

森谷さんが醸した酒で追悼する参加者

東京から参加した鈴木里香さんは、蔵見学に行ったのがきっかけでファンになったそうです。「杜氏が試飲のお酒やお手製の酒粕料理を出してくれて、まかないも一緒にいただき、酒造りについて楽しくわかりやすく話してくれました。今まで感じたことのない温かなもてなしを受け、日本酒が世界に誇れる文化だと知り、すっかりとりこになりました」と振り返ります。

鈴木さんは、会社員から東武百貨店池袋店のお酒売り場に転職したほど影響を受けたそうです。「毎年毎年、いろんなアイデアが広がって、発想力と実行力でさらなる高みを目指している方でした。森谷さんからご縁が広がり、日本酒を知れば知るほどはまっていったので、その幸せの恩返しをしたい。杜氏に教わった一番大切なことは、『酒は人を喜ばせるもの。幸せにするもの。そして、人をつなぐもの』ということです。造っている人たちの人柄などを伝えて、日本酒の裾野を広げたい」と話していました。

森谷杜氏について語る山本洋子さん

会では、日本酒と食のジャーナリストの山本洋子さんが、「森谷杜氏が伝えたかったこと」と題して、取材や講演などでの森谷さんの言葉を紹介しました。スライドとともに、「私たちは稲の種を醸して飲んでいる」「稲刈り時期に『もや』『朝霧』のかかるところはいい酒米が取とれる」といった言葉が紹介されると、会場のあちこちからすすり泣く声が聞こえました。

「語る会」であいさつする蔵人たち

会の最後には、森谷さんが歌った「酒屋唄」が流れました。大手小町のイベントでも、歌声を披露して、場を盛り上げてくれた森谷さん。お酒そのものだけでなく、さかなや作業唄、稲作など、お酒を取り巻く全てのものを日本酒文化、地域の文化として伝えようとしていました。

イベントへのご協力に改めて感謝申し上げるとともに、心よりご冥福めいふくをお祈り申し上げます。