カフェで隣り合わせた微笑ましい「バカップル」に気づかされたこと

これって産後クライシス? (5)

19世紀のフランスの文豪バルザックは言いました。

「人間の心は、愛情の高みを登りつめると休息を見いだすが、憎しみの感情の急坂を下る時はめったに止まらないものだ」

2016年頃、僕の家事や育児に関わる量は、康太が生まれた頃とは比べものにならないほど増えていました。外形的には「イクメン」だったかもしれません。

ただ、それに反比例するように、志穂への嫌悪感は深みにはまっていきました。

ミスに不寛容で非難めいた口調、気分でころころ変わる言い分、計画通りに物事が進められない――そんな志穂の言動ひとつひとつが嫌で仕方がなかった。家事をしていると志穂が非難してきそうなことが頭に浮かび、実際に言われたわけでもないのにイライラすることもありました。

いわば「憎しみの再生産」です。

一方で、かつて志穂に抱いた恐怖症の古傷も痛んでいて、常にびくびくしていました。

休日に仕事でゴルフの予定などが入っても、嫌な顔をされるのが分かっているのでなかなか言い出せない。結局、ぎりぎりになって伝えるものだから、志穂にしてみれば「私の予定も考えて! なんて自分勝手なの!」と、怒り心頭なわけです。

結婚記念日の計画のような前向きなことでも、志穂がどうしたいのか分からずまごまごしていると、「関心ないんだね」と嫌みを言われたり、泣かれたりする。

で、こちらもまた、不愉快になる。

常にどこかぎこちない会話。絵に描いたような悪循環。それを断ち切るきっかけを僕にくれたのは、名前も知らない、あるカップルでした。

仕事で少し遠出をしたその日、昼食のため取材先近くの駅前のカフェに入りました。店員に案内されて席に着くと、隣には若いカップルが座っています。

見ればペアルックっぽい服装の二人。小さなテーブルで顔を寄せ合い、何事かをささやき合っては、うふふ、えへへ、と笑い合っています。

まったく、バカップルの隣かよ。………まあでも、昔は志穂と俺も、どっちかというとバカップルだったか。とりとめのない話を1日何時間しゃべっても飽きなかったな。

カフェの二人は、お互いを見つめる笑顔の途切れることがありません。

あんなふうに志穂と無邪気に笑い合ったのって、最後はいつだったっけ。

…………………。

なんで、今は笑い合えないんだろう。
なんで、こうなっちゃったんだろう。

…………………………………。

会社への帰り道、僕はひそかに決意しました。

悪循環の原因の一端は、僕にある。びくびくするのは情けないし、もうやめにして、志穂の前ではできるだけ上機嫌に振る舞おう、と。

もちろん、簡単ではありませんでした。

上機嫌に話しかけようとして、志穂の強烈な一言であっさり挫折したこともあります。ただ、あまりに言い方がひどいと感じた時は、そのことを志穂に伝えるようにもしました。結果的にけんかも増えたし、志穂を言い負かしてすかっとした次の瞬間、「やっつけることが目的じゃないのに」と後悔したことも、何度あったことか。

でも、それを繰り返すうちに、不思議と二人の会話はだんだんとスムーズになり、志穂にも笑顔が戻ってきたのです。おそらく、志穂も変わろうとしてくれたんだと思います。

僕の心は、感情の坂をまた少しずつ上り始めていました。

2018年の春、康太は小学生になりました。

ある日、康太への接し方で志穂と話し合っていた時のことです。康太は慣れない小学校生活の疲れからか、プチ反抗期を迎えていて、僕たちは何かと手を焼いていました。

僕は、志穂に弱音を吐きました。
「どこまで厳しくしたらいいんだろう。どうしたらいいか、わかんなくなる」
志穂のいない日に、康太につい腹が立って厳しい口調で怒ってしまい、後悔したことを打ち明けたのです。

すると、うまく表現できないのですが、僕に向ける志穂のまなざしに一瞬、柔らかい温かさのようなものが宿ったように見えました。

あ……、こういうことかも。

共に悩み、共に苦しみ、共に育てる――康太が生まれて7年。この時初めて、その感覚の端緒に、ちょっとだけ触れたような気がしたのです。(つづく)

◇◇◇

読売新聞の政治部記者が、産後クライシスに陥った夫婦関係を見つめ、夫の立場から解決策を探る自らの体験を綴ります。

※記事に登場する家族の名前は全て仮名です。

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小坂一悟(こさか・いさと)

読売新聞東京本社政治部記者

2000年に入社し、千葉支局を経て06年から現職(うち12~14年は盛岡支局)。政治部では主に自民党や首相官邸などを担当。41歳。結婚14年目の同い年の妻と、長男(8)、長女(4)の4人家族。