乱暴な言葉遣い、つり上がった目 僕の知らない妻がそこにいた

これって産後クライシス? (1)

僕は、イクメンではありません。

新聞記者の仕事はいつも帰りが遅いし、休日でも何かあれば飛び出していくこともしばしばです。2000年に入社した時からそんな生活が当たり前だったし、それは2006年に志穂と結婚しても、その5年後、2011年に長男の康太が生まれても、変わりませんでした。

何かを変えようとも思わなかった。

そうして、僕たち夫婦は陥りました。

産後クライシスに。

もともと子どもは好きだったから、「育児は全て妻の役割」という考えを持っていたわけではありません。「やる気」はあったんです。

康太が生まれてすぐ、志穂から1冊の本を渡されました。海外の父親向けの育児本で、100ページくらいの本でした。開くと、最初の数ページにひたすら「おむつを替えろ」と書いてある。

要はちゃんと手伝えばいいんでしょ。おむつくらい替えるし。

そう高をくくった僕は嫌気がさし、本を投げ出してしまいました。一方、志穂は500ページほどある分厚い育児書を食い入るように読んでいました。

最初に訪れた夫婦の意識の「ずれ」は、読みかけの本と一緒に放置されたのです。

もちろん、会社には男性が取得できる産休や育休の制度もあり、活用している記者もいました。ただ、当時の僕には「よほどの事情がある人が使う制度」という程度の認識しかなく、自分が活用することは思いつきもしませんでした。

不穏な空気が、流れ始めます。

康太が生後2か月になったある休日、夫婦で夕食を囲みました。志穂は妊娠中からの禁酒が続いていましたが、僕は大好きなワインを飲んでいい気持ちです。

食後、志穂が康太をお風呂に入れ、僕が康太の体を拭いて、おむつと寝巻きを着せることに。二人の入浴中、ベッドに寝転がって待っていると…………ZZZ……………。

「酔っ払って寝るくらいなら飲むんじゃねーよ!!!!」

え!?なに?誰?

目を白黒させて体を起こすと、顔を紅潮させながら切れ長の目をつり上げ、唇をゆがめた志穂が僕を見下ろしていました。

学生時代に出会って10年以上。見たことのない顔の、聞いたことのない言葉遣いの、僕の知らない志穂が、そこにはいました。

また別の休日のこと。夕飯の準備をしている志穂に声をかけました。
「盛りつけ手伝おうか。きょうの夕飯なに?」
「さんまとトマトのサラダ」
へー、さんまのサラダ。ツナサラダみたいな感じかな。おいしそう。

お皿に野菜を広げ、その上に焼いたさんまの切り身をのせます。それを見た志穂から、「ちょっと何やってんの!?」と突っ込み。

そう、メニューは「さんま」と「トマトのサラダ」だったのです。
「あちゃー、ごめんごめん。あははは……………は?」

志穂が、ぼろぼろと涙を流しています。
「もうやだ。私の料理が台無しにされた。もうやだ」
え、いや、泣くこと? これって笑い話じゃないの?  盛りつけ直せばよくない?

食事を済ませると、志穂は口もきかず、康太と一緒に寝てしまいました。

康太が生まれるまで、僕たちはほとんどけんかをしたことがありませんでした。

志穂はその時、すでにかなり追い詰められていて、心は限界に近かったのだと思います。でも、当時の僕には訳が分からず、二人の関係の何かが変わってしまったこと、自覚のないまま志穂を傷つけてしまったことに、ただ戸惑いを覚えるばかりでした。(つづく)

◇◇◇

産後クライシスとは、産後に夫婦関係が急速に悪化する状況をいいます。2012~13年頃にメディアで取り上げられ、広く知られるようになりました。

読売新聞の政治部記者が、産後クライシスに陥った夫婦関係を見つめ、夫の立場から解決策を探る自らの体験を綴ります。

※記事に登場する家族の名前は全て仮名です。

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小坂一悟(こさか・いさと)

読売新聞東京本社政治部記者

2000年に入社し、千葉支局を経て06年から現職(うち12~14年は盛岡支局)。政治部では主に自民党や首相官邸などを担当。41歳。結婚14年目の同い年の妻と、長男(8)、長女(4)の4人家族。