ピンクの髪はハート形…武装した女子の発するメッセージ

岡田育「気になるフツウの女たち」

先日ワールドカップで通算四度目の優勝を果たしたが、差別発言を繰り返すトランプ大統領とは真っ向から対立してホワイトハウス訪問を拒んだ、女子サッカー米国代表。そのキャプテン、ミーガン・ラピノーがニューヨーク市庁舎前で行った凱旋スピーチは、じつに胸を打つものだった。

黒のTシャツにサングラスで登壇し、「我々のチームはタフで、なにものにも動じない。ピンクの髪がいて、紫の髪がいて、タトゥーとドレッドロックスがいて、白人、黒人、その間にいろいろな子がいる。ストレートの女の子も、ゲイの女の子もいる……」と多様性を説き、「我々はもっと良くならなくちゃ、もっと愛し合わなくちゃ、憎しみは減らしてね」と続け、男女の賃金格差問題に言及する。最高にイケてる動画があちこちで拡散されているので、詳しくはそちらをご参照ください。

タトゥーでゲイでピンクの髪、とはラピノー自身のことである。「個性」を表現するには「定番」の髪色だ……と言うと、どうにも言葉に矛盾が生じてしまうけれど。何かしら主張や思想を伴う髪色や髪型というのはあって、それがマイノリティにとってスタンダードと化しているからこそ、同じ毛色の誰かと共通のメッセージを伝達し合うこともできる。

たとえば米国で知り合った漫画アニメ好きの若者には男女問わずやたらと青髪が多い。ナードは青く染めなければならない、という決まりでもあるのかと思うほどだ。どんな起源かは知らないが、私もオタクで、二十歳の頃は青髪だったから、なんとなく気持ちはわかる。髪色が薄い人種にとっては地毛にそのまま載せやすいのもあるかもしれない。ピンクに紫、青に緑といったビビッドな色は、「自宅で簡単に染められる」とうたうヘアカラーの宣伝でもよく見かける。

ヘアスタイルのジェンダーレス化

ラピノーのことは動画ニュースで観たきりだが、先日も街中でピンク髪の女の子を見た。ロウアーイーストサイド、チャイナタウンの入り口あたり。ショッキングピンクに染めた髪をベリーショートにして、耳の上から襟足にかけてをごっそり刈り上げていた。後頭部は左右から斜めに下ろしてきたエッジがよく目立つ鋭角を作り、頭頂はつむじのところがちょっと跳ねて分かれている。つまり真後ろから眺めると、ピンク色の大きなハート形を頭に載せているように見えるのだ。

襟足は、それはそれは見事なスキンフェードだった。0ミリ〜2ミリといった単位の非常に薄い刈り上げで、地肌が透けるような緻密さで作られたグラデーションが特徴のスタイルである。いつ頃からのブームだったか、80年代に流行したハイトップが徐々に変化していったのか、若い男性、とくにラティーノは最近、判で捺したようにこぞってこの手のフェードにしている。

そして近年はジェンダーレス化が進み、美容院に通う男性がいれば、理髪店に通う女性だっている。あの襟足はおそらく、熟練のプロに頼んだ刈りたてほやほやだろう。ちょうど、女性が多く通うニューヨークの老舗理髪店の記事を読んだばかりだった。私も行ってみたいな、とハート形をまじまじ観察するが、追いかけて店名を訊くにはちょっと距離が遠い。

すると向こうから、がっしりと体格のいい男性がやって来た。推定ラテン系、年齢はわからないが甘めの童顔で、頭はフラットトップ、いわゆる角刈りだ。鍛え上げた大きな肉体は誇らしげだが、格別スタイリッシュな感じもない、日本でいうと男子校の運動部員みたいな、素朴な若い男の子である。同じ道で対向するピンク頭の「強い」ルックスに視線を送り、ギョッと凝視してひるむのがわかった。

マッチョな男性とフェミニストの女性は一触即発の関係である。「女のくせに男みたいな格好しやがって」と、あんまり露骨に不快な顔をされると、距離を置いて真後ろを歩く私、メンズのスニーカーにメンズの麻シャツを羽織り、ずっと髪を短くしているこの私まで、いたたまれない気持ちになる。どう出るだろうか、と心配していたら、男の子はふと表情をゆるめ、彼女に道を譲った。

サイドの髪を刈り上げた男の子が、サイドの髪を刈り上げた女の子に、軽く微笑んで体を斜めに傾け、「あなたの行く手を阻みませんよ」と極めて紳士的な仕草を示したのである。ピンク頭の表情は読めないが、とくに礼も言わず、進路も変えずにずんずん歩いていった。そうやって道を塞いで闊歩かっぽすることが、自分に課せられた使命であるかのように。

ラブを多め、ヘイトを少なめ

真の男女同権の実現を急ぐフェミニストの一部は、レディファーストも即刻撲滅すべきだ、と断固拒絶の構えを見せる。しかし私はこんなとき、男性側にわざとらしく一歩退いてもらうことを、そこまで嫌だとは感じない。まぁ古臭いとは感じるけれど、「何でも男並みがいいって言ったろ」とゴリ押しされて、力負けで女の歩みが止められてしまうよりは、ずっとマシだ。実際に不自由しているのだから、どんな小さな協力でも有難く受け取ればいい。あずかった恩恵は、また別の問題を解決するときお返しすればいい。男たちだって不自由だらけの世の中だ、今後、我々のほうが彼らを援助して何かを是正する局面だって、多々訪れるはずである。

男女の間には賃金格差が横たわり続け、性的少数者や障害者への偏見もなかなか拭われず、大きな成功を収めているのに不当に低く評価される人がいる。肌の色やヒゲの形だけで犯罪者予備軍と見做みなされる人、帰化して納税して議員まで務めているのに、狭量な為政者から「出て行け」とののしられる人がいる。男の子が若いうちから身体を鍛えるのも、女の子が奇抜な色に髪を染めるのにも、単なるオシャレ心だけでなく、そんな社会に反発し立ち向かうための武装、という意味合いがある。少なくとも、二十歳の私が青髪のソフトモヒカンにしたときは、そうだった。

性別や文化的背景の「差」を見て両者一歩も譲らず、縄張り争いのように道端でいがみ合うより、ほんの少しの理解、小さな共通点を探って、共に歩みながら無言の声援を送り合ったほうがいい。ラヴを多め、ヘイトを少なめ。「最初はどんなクレイジーな奴が来たのかと思ったけど、近づいてよくよく見ると、オレら結構似た髪型だな、イケてるね」。近づいてきた男の子の顔にはそう書いてあって、女の子の表情は読めなかったが、後頭部のピンクのハートは、誇らしげにずんずん凱旋パレードを続けて行った。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。最新刊は、大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/