ヘアブラシを使わない女に見えた「ナチュラル」の強さ

岡田育「気になるフツウの女たち」

 アメリカの美術大学に通っていた頃のこと、ワークショップで知り合ったファッションデザイン学部の社会人留学生がいた。豊かなブルネットはくるくる見事な巻き毛で、伸ばしっぱなしだったり、そこらへんにあるゴムで適当にまとめられたりしている。授業中に課題に行き詰まると、わしゃわしゃきむしられたりもする。

  といっても、身なりに構っていないわけではない。むしろ逆。彼女はスタイリストからデザイナーへ転向するために勉強中で、いつも自分で裁ち縫いしたユニークなシルエットの服を着て、ハイブランドの小物を合わせ、着崩れたら鏡を見ながら細かく丈を調整したりもしている。いつどこで会っても、360度どの角度から見ても、計算し尽くされたオシャレないでたちの女性だ。

 なるほど、美しいモノやコトを商売にするファッション業界の人々は、見目麗しくあるのも仕事のうち。彼女のような人々は毎朝の支度にどれだけ時間をかけるのだろう、といつも気になっていた。あっさりその答えが判明したのは、授業中の何気ない雑談から。彼女の自宅へよく遊びに行くという別のクラスメイトが、からかうようにこう言った。

 「この子んち、ブラシがないんだよー! 最初に泊まりに行った朝、起きてシャワー浴びてからブラシとドライヤー借りようとしたら、そんなものこの家にはありません、ってさぁ」

 言った子は私と同じアジア系のストレートヘアだから、髪を洗って乾かしながらくしやブラシでまっすぐに梳かすというのは、毎日必須の習慣であろう。いや、人種はあんまり関係ないか。どんな髪質、どんな長さの人であろうと、洗って乾かしてかすという一連の行為は、まぁフツウの身だしなみだ。

 彼女はそれをやめて久しいそうで、「あのときは本当に困ったよー、午後までずっと髪がキシキシしちゃったもん!」と親友にぼやかれても、平然としている。

 「もう10年以上、髪、梳かしてないな。ほっとけば乾くし、手でこう、こうやってやれば十分じゃない?」と、また頭をわしゃわしゃやってみせる。頭上に黒い雲がふわーっと広がるように、はたまた、顔の上にむくむくの黒い子犬がじゃれつくように、手の動きに合わせて豊かな巻き毛が宙を踊る。

無造作という名の造作

 「無造作ヘア」という言葉が最初に登場したのは1990年代だったろうか。七三分けやオールバック、絶対ほどけない三つ編みなどなど、カチカチ几帳面にかためた髪型はちょっとダサい。毛先が自由に遊んでいるスタイリングのほうがルーズでセクシーだよね、という感覚は、直毛が多数派を占める日本人の間でもすぐ共有されるようになった。

 ところが、一般的なメイクよりもナチュラルメイクのほうが手間がかかるのと同様に、この無造作ヘアも、まっすぐ髪を梳かす以上に甚大な時間を要する。思春期まっさかりの弟が実家の洗面所を小一時間占拠して、ワックスのボトルを片手にいつまでも前髪に「ニュアンス」を加味し続けていた光景などを思い出す。ちまたにあふれる乱れ髪の大半は、「無造作という名の造作」なのである。

 私はこのクラスメイトだってそうなのだと思い込んでいた。元の髪色はまったく別なのかもしれないし、細かくパーマをあてているのかもしれない。あらゆる最新ファッションに目を光らせている職業人がこのように造作しているのだから、近い将来、こういうボリューミーな髪型が世界的に流行するのかもしれないぞ、と。

 ところがそれは「造作」でもなければ「流行」でもなく、彼女の生まれ持った髪質がそのまま、裸の状態で頭上にのっかっているだけなのだった。よく見ると顔もすっぴんで、濃い眉もほとんど手入れされていないが、別段だらしない印象は受けない。

 教室に集まった、おかっぱの子と、ブリーチしている子と、ドレッドの子と、きれいに刈り上げたツーブロックの子と、みんなかわるがわる「寝癖もつかないってこと?」「ちゃんとメンテナンスしないと傷むんじゃないの?」と質問を浴びせるが、訊いてみてから「愚問だな」という顔に戻る。どちらかというとアフロヘアに近い鳥の巣頭、どこまでが寝癖か全然わからないし、キューティクルなんて概念とも無縁そうだ。

 別の留学生が「え? 何? あなたたちロシアの女性って、みんなそうするの?」と訊いた質問だけは、大笑いで否定された。「違う違う、国籍は関係ない! 小さい頃は親に言われた通り、きちんと丁寧に結ったりもしていたけどね。でも、私の髪はこれが一番ナチュラルな状態だから」。

ハイファッションも屈する「個性」

 モードな服を着るとき、なんだか自分の人格が、服に着られている、他人の作った装いに振り回されているような気がしてしまうことがある。ファッション誌の奇抜なグラビアイメージに引きずられてヘアメイクも執拗しつように作り込み、そして大抵は全体がけばけばしくなって後悔することもしょっちゅうだ。

 ところが、彼女のように裸の髪と顔とで着こなすと、どんなユニークな衣服でも日常にしっくりなじんで見える。暴れ馬のように扱いづらいハイファッションが、さらに強烈な彼女の個性の前に屈して、おとなしく付き従っているように見える。少ない労力でバランスよく、計算が行き届いて見える。

 スタイルを構築するときに大切なのは、造作のテクニック以上に、無造作な自分を力強く肯定する勇気なのかもしれない。生まれ持った髪質や肌質や体型を、矯正も調教もせずナチュラルに活かす。風に吹かれたら吹かれたままで、しかし曲がらない強さを持つ。「個性」とは派手な色柄のアイテムを身につけることではなく、そんな勇気を指す言葉なのであろう。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。最新刊は、大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる』(サンマーク出版)。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/