ヨレヨレシャツの男児に寄り添う「銀幕の大女優」風美女の正体

岡田育「気になるフツウの女たち」

 ニューヨークのダウンタウンに「クァルティーノ・ボッテガ・オルガニカ」というイタリアンレストランがある。オーガニックのワインと自家製パスタが売りで、具材は野菜が中心。味付けが濃すぎず、値段も良心的。贔屓ひいきにしていた日本の手打ち蕎麦そばを出す店が閉業して以降、我が家では「蕎麦屋」と同等の扱いを受けている。そのくらいあっさりしたヘルシーなパスタを出す店である。

 その日は夜から予定があったため、18時前にここで軽い夕食を済ませることにした。ディナータイムには小さな間口が連日満席になっているが、さすがに17時台となると、店内はがらんとしている。バーカウンターで酒を飲んでいる初老の男性、これからデートに出かける様子のカップル以外は、小さな子供連れが何組か。

 大きな鏡が張られた壁を背にした席に、ひときわ美しい女性がいた。すぐ横に座らせた小学校低学年くらいの男の子と二人、一皿のパスタをのんびり取り分けて食べている。薄暗い夕暮れの店内、一人だけ古い映画の中から抜け出してきたような強烈なオーラを放っていて、いやでも目が惹きつけられてしまう。

優雅な主婦の普段着か、キャリアウーマンの通勤着か

 最初に思い出したのは、1958年のニューヨークを舞台にしたドラマ『マーベラス・ミセス・メイゼル』だった。アップタウンに暮らす裕福なユダヤ人の専業主婦が、スタンダップコメディアンとしての才能を開花させていく物語だ。作中では、今とさほど変わらぬグリニッジヴィレッジの下町風情が描かれ、ヒロインは今では珍しくなった当時の「普段着」をまとってそこを闊歩かっぽして、周囲から華やかに浮きまくる。

 鮮やかな色の外套がいとうに帽子、手袋、カーラーで完璧にセットされた髪とつけ睫毛まつげ、体にぴったりフィットするドレス、美容体操で鍛え上げたプロポーション。ひなにはまれ、とはいえ2019年現在でもアップタウンの高級アパートメントになら、50年代で時計の針を止めたような、そんな優雅な奥様たちが生息していたって不思議はない。

 お金持ちの夫とかわいい子供の幸福だけを考えながら母親業に専念し、誰に見られているわけでもないけれど、外を出歩くときは完璧にオシャレする習慣がついている、コンサバティブな既婚女性。そうして時には学校へ子供をお迎えに行くついでに、気ままにダウンタウンまで足を伸ばして、夫の帰りを待つまでの暇潰しをしたりするのかもしれない。

 しかし、どうにも違和感がある。息子の身なりがあまりにも凡庸なのだ。美意識の高い有閑マダムがつきっきりで子育てをしているのなら、その子女だって母親と同じくらい毎日パリッとした服装でも不思議はないはずだ。とても優しく献身的に息子の世話を焼いているから、自分の容姿外見のことしか考えていない自己中心的な女、というふうにも見えない。だとすると、育児中の母親だけが8Kスーパーハイビジョン対応みたいなビジュアルで、肝心の息子の輪郭があんなにぼんやりしているってこと、有り得るのだろうか。

 次に思い至ったのは、これは彼女の「通勤着」なのではないか、ということ。たとえば彼女はウォール街勤務の有能なキャリアウーマンで、毎日必ず16時までにきっちり仕事を終わらせ、残業なんか絶対せずに、子供と過ごす時間もたっぷり取る。きれいに巻き上がった頭のてっぺんから、高すぎず低すぎない絶妙なヒールのパンプスに覆われた爪先まで、肌の露出を抑えたクラシックな服装で決めているのは、彼女自身の趣味嗜好というより、勤め先の旧態依然とした社風に合わせているのではないか。

 職場から直に駆けつけるから子供のお迎えはいつも臨戦状態だが、家で夕飯を作る気力など残っていないので、こうやってしょっちゅう外食で済ませている。全身からバリバリと音が出るほどの美しさを誇る彼女も、本当は電池が切れる寸前。誰かからのおさがりだろう、サイズの合わないヨレヨレのシャツを着た息子のほうが、この家族のリアルを示している。帰宅すると同時にママのほうも即、クタクタのスウェットに着替えてカウチに倒れこむのかもしれない。

ロウソクの裸火に照らされた「母」の姿

  ダウンタウンで普段見かける子連れの男女は、多くがもっとカジュアルな服装で出歩いている。「ボッテガ・オルガニカ」の店内を見回しても、子連れでパスタを分け合っている他の若いお母さんたちは、ヨガウエアやジーパン、足元はぺたんこ靴。極限までエフォートレスに、素顔のまま出歩くほうがイケてるのだ、食事中の子守はスマートフォンに任せるのだ、というスタイルを貫く現代の女性たちだ。

 そんな中で、このミセス・メイゼルだけが、銀幕の大女優のような貫禄を放っている。気になる。名家へ嫁いだ専業主婦にせよ、古風な企業に勤めるワーキングマザーにせよ、まだまだ手のかかる小さな子を育てながら、同じくらい手間のかかりそうな自分のファッション哲学を、こんなふうにビシッと貫くことができるものだろうか。

 いつもと同じアーティチョークとトマトのタリアテッレを頬張りながら、ふと、第三の選択肢が頭をよぎった。もしかして彼女、あの男の子の「母」ではないのではないか。ちょうど会計を終えて立ち去るところを凝視してみたが、布地をたっぷりと贅沢ぜいたくに使ったコートのシルエットが美しい後ろ姿を、ぼんやり見送るしかなかった。

 まるで母親のようにしか見えない、母親の代わりに子供を迎えに行った、おばあちゃん、という可能性もある……。だとすると、コスプレぎりぎりの50年代風ファッションも、蕎麦屋のようなイタリアンでのやたら食が細い食べっぷりも、うなずける。共働きの子夫婦が適当なシャツを着せつけた金髪の息子と対照的な、豊かなブルネットの髪も、ウィッグだったのかもしれない。

 「ボッテガ・オルガニカ」の店内照明は、ロウソクの裸火だけ。夕方は開け放ったエントランスから外光が差し込んで明るいが、日が落ちてかげりゆく時刻ともなれば、遠くの席に座る人物のディテールまでは読み取れない。三つの可能性、どれであってもおかしくないのだけれども、選べるなら私は三つ目を推す。孫がいる年齢になっても8K対応可能な大女優が、街にあふれるまぶしすぎる蛍光灯の光を避け、一夜限りの「母」を演じる舞台装置に、この店を選んだと思っていたい。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる(仮)』(サンマーク出版)を2019年初夏に刊行予定。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/

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