ローラと新垣結衣が同じに見える異文化圏の目

岡田育「気になるフツウの女たち」

 とある仕事のリサーチで、アメリカ人の同僚と一緒に日本語圏のウェブサイトを見比べていた。彼女は日本語が読めないから、ビジュアル要素だけを眺めている。事前にたくさんのページがブックマークされていて、このロゴデザインは効果的か、この配色は日本人に受けがいいか、縦組みと横組みの印象はどう違うのか、などなど、一つ一つ、意見や感想が求められる。

 証券会社の広告を指さして「彼女、有名なセレブリティなの?」とかれた。日本とバングラデシュの血を引く女性タレントの写真が掲げられている。「そうだね、若い人に人気だよ」と答える。次に、関連リンクから競合他社のウェブサイトへ飛ぶ。「こちらの写真の女性は?」と訊かれて、「主演ドラマが高視聴率を記録した女優だね、初心者でも親しみやすいように起用されたんじゃないかな」と適当なことを言う。

 「だったらこっちは?」と見せられた先には、就職活動ルックの女子大生が微笑んでいた。「彼女も有名人?」「いや、この子は匿名のモデルで、私も名前を知らないな……」と答える。と、同僚が急に声を落とした。

 「ねえ、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、私、いま立て続けに見た三人の女の子、顔の区別がまったくつかないわ。何なら、あなたが彼女たちのどれかと入れ替わっていても気づかないわ。これって、偏見のようなものなのかしら。だとしたら、とてもよくないことよね……?」

異なる個性を見分けられない外国人

 あまりにも真顔で訊かれたので、「いやぁ、そこまで気にすること、ないと思うよ……?」と、こちらがしどろもどろになった。「本当に? 私だけじゃない? あなたも西洋人の区別がつかなくなること、ある……?」と言われて、うん、あるある、しょっちゅうどれが誰だかわからなくなる、と芸能人の顔を幾つか思い浮かべる。そして思い出したのは、つい前の週の雑談だ。

 この同僚の女性と、来客の女性とが、私の作業机の近くでコーヒー片手にお互いのコーディネートを褒め合っていた。陽気があたたかくなってきたからもう厚手のセーターはお役御免ね、春物の服、季節を先取りしていて素敵ね、といった会話の中で、「その淡い色、あなたの髪色と本当によく似合ってる。私が着ると、髪とケンカして沈んで見えちゃうのよねぇ」なんて話していた。

 驚いたので印象に残っている。私には、どちらもほとんど同じ「金髪」に見えたからだ。それで「この間、髪の話をしていたけど、ぶっちゃけ私には二人のブロンドの区別がつかなかった」と言うと、「えー、全然違う、彼女のあのライトゴールドは、サロンできちんと手入れした色よ。私のは伸ばしっぱなしで干し草みたいでダメダメよ、子供の頃は、天使のようなプラチナブロンドだったけど……」と返された。

 もっと大勢のブロンドの女性と知り合って親しくなり、あるいは自分の髪を色とりどりに染めてみたりすれば、徐々に違いがつかめてくるのだろう。でも私はまだ不慣れで、金髪を見分ける「目」を鍛えきれていない。日本企業の広告に登場する女性モデルたちも、よくよく見ると一人一人まるで違う顔貌や個性を持っているわけだが、「目」が鍛えられていない外国人には、細部までは見えていないのだ。

 文化的背景について知ろうともしない相手から、いきなり「おたくの国の女性、みんな同じ顔してるよね」と言われたら、失礼な奴だとムッとする。根底にアジア人への偏見や差別意識があるのではないかと感じたりもするだろう。でも、「それぞれ違うセールスポイントを売り込む広告を見比べているのに見分けがつかないのは、自分の『目』が悪いせいだろうか?」と疑ってかかっていた彼女の気遣いは、とても重要なことだと思う。金髪の違いがわからないと打ち明けた私の発言も、そんなふうに裏表なく響いていることを祈る。

 「そろいの衣装を着た若いアイドルグループのメンバーの区別がつかなくなったら、老化の第一歩だ」と、よく言われる。加齢とともに、差分にあたる個性に興味関心がせて、記憶する意欲がなくなってしまうせいだ。つまり、あれだって「見られる側」ではなく「見る側」の問題が大きい。頭ごなしに「画一的だ」と揶揄やゆする前に、自分自身の視力や分解能について、手を当てて考えてみたほうがいいだろう。

「似た顔」を細かく品評する日本人

 それにしても、ローラと、新垣結衣と、名前はわからないけれど本職のモデルさん、三人の顔と私とを見比べて「区別がつかない」と言われたのは、なかなかにカルチャーショックだった。美女たちと同列に扱われて嬉しいわ、という以上に、「異文化圏からは、そんなに粗く、そんなにざっくり捉えられることもあるのか……」と脱力する。そのくらいのほうが、肩の力が抜けていいのかもしれない。

 当然ながら、日本人との会話でここまでの甘い判定を受けることは、まずないわけである。お互い似たような顔をした日本人同士のほうが、だからこそ、やたらと細かく人の顔を品評したがる。何なら、有名なモデルや女優やアイドルにちょっと雰囲気の似ている女の子たちほど、似ていない点をネガティブに粗探しされたりもする。

 ミリ単位で瞳や唇や眉毛を整形する補正メイクや、七難隠す美肌加工アプリが必需品とされる。みんなと同じリクルートスーツで、制服はスカート丈を揃え、ちょっとでも髪が黒く見えない生徒は学校に「地毛証明書」の提出が求められる。そんな日常を強いられていたら、許される美しさがたった一種類しかなく、その型に自分をめるため、不断の努力をせねばならないような錯覚をおぼえてしまうものだ。

 でもまぁ、別の文化圏から飛来した異星人の目から見たら、地球人類の女性は目があって鼻があって口があって、頭頂に黒とか金とか色とりどりの毛が生えていて、みんな二足歩行していて、とても似ているな、と感じられるかもしれない。「フツウ」の定義は、もう少し広く取られていたっていい。そこそこ揃ってだいたい同じで、それぞれに美しい。そのくらい大雑把な視認で生きていられたほうが、気楽でよいことは間違いない。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。米ニューヨーク在住。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、『天国飯と地獄耳』(キノブックス)ほか。大手小町での連載をまとめた『40歳までにコレをやめる(仮)』(サンマーク出版)を2019年初夏に刊行予定。本連載では挿絵も担当。http://okadaic.net/

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