一度の人生「何もしない」をしていたい

岡田育「40歳までにコレをやめる

 初雪をやり過ごした11月半ばの火曜日、久しぶりにお茶した女友達は、ハンガリー系アメリカ人で35歳。かつて同じ美術大学に通っていたクラスメイトだ。私が1年半かけて卒業した美術大学の同じプログラムを、4年ほどかけて今年ようやく修めたばかり。といっても、留年したりサボッたりしていたわけではない。もともと独学でグラフィックデザイナーになった彼女は、休学可能期間をフル活用して学業と職業とを両立させながら、こつこつ単位を取得して学歴を築いた社会人学生である。

 1年分の近況報告をするなかで面白かったのは、彼女が一時的に医療機関で働いていたという話。来年以降はまたデザイン業界に復帰予定だが、卒業後すぐ元の暮らしに戻るのが嫌だったのだという。高給の安定した資格職は学費返済にも都合がいいし、精神科の重症患者と接しながら回復の手助けをするのは、得難い人生経験になったそうだ。

 そして来年は、市内にあるヨガ道場のレジデンシャルプログラムに1年間参加し、朝晩瞑想しながら住み込みで共同生活を始めるとのこと。シェアハウス形式の宿坊といったイメージだろうか、月々の家賃が安くつくのも魅力的。「私は今、40歳手前で、彼氏はいるけど結婚はしていない、子供もいない。長い人生、今のこの時間を何に使ってみたいか、考えた結果だよ。向こう一年、お酒は禁止だけどスイーツは食べられるから、またこうしてお茶しましょうね!」と言う。

 一つのシナモンロールを二人でつつき、「パーティー大好きのあなたが、本当に、お酒やめられるのー?」と笑い合うときの、静かな興奮、あのワクワクを、きちんと伝えられる自信がない。こう書くと、なんだかとてもエキセントリックな女性を思い描かれてしまいそうだ。彼女にとって、我々にとって、誰にだって、「あってもいい」生き方のはずなのに、日本語で書き下すのは、どうしてこんなに難しいのだろう。

「I have my life!」を貫く人々

 ニューヨークで聞く「job-hunting」(職探し)という言葉は、文字通り孤独な「狩り」を想起させる。時に年単位で準備期間を取り、学歴や必要資格など条件を整えて、人脈を駆使し、風を読み、狙いを定めた高待遇の獲物を一撃で確実に仕留めるまで、根気よく牙を磨く。100社200社にコピペのエントリーシートを送りつけて芽が出るのを待つ、自分が狩るのではなく畑の作物になって刈り取られるのを待ちわびるような、あの日本の新卒一括採用とはずいぶん違う。

 一番の違いは景気と市場規模なのだろう。一つの会社に長年勤める人も多いけれど、群れから離れて獣道へと彷徨さまよい出ても、道端にはポッと医療機関の求人が落ちていたりする。そんな豊かな土地でなら、狩猟中心生活でも飢え死ぬことはない(ビザさえあれば)。今現在は無職だと名乗る人々も、みんな抜かりない狩人の目をして、お互いの実力をこれまで狩ってきた獲物の数や大きさで測り合う。所変われば価値観も変わり、空白期間のない履歴書よりも、豊富な転職経験や有意義に過ごしたギャップイヤーこそが勲章となる。

 そして狩猟民族は、自分が食べ、家族を養うのに必要なだけの仕事を狩ったら、後は獲りすぎない。アーリーリタイアメントが理想とされるし、誰もが羨む超一流企業での恵まれた肩書を易々と手放し、新たな猟場へ向かう人も多い。なぜ、と問うと「I have my life!」と返される。私には私の人生がある、金のための仕事に縛りつけられるのはごめんだ。人は「私のもの」である時間を最大化するために生きている。大人が子供にそう教え続けてきたのかもしれない。

 ヨガ道場で暮らすデザイナーの女友達の話を、「アラフォーにもなって定職に就かず結婚もせずにフラフラしている」と感じる人が少なからずいるのは、私にもよくわかる。「必要なものを必要なときに臨機応変に調達する」このライフスタイルは、日本に生まれ育った私が旧時代の大人から教わった人生訓とは、あまりにもかけ離れているからだ。「この子はいつか、人間をやめる!」今は亡き大叔母に、そう叱られたのを思い出す。みんなと同じ道で一緒に頑張らないと、そのうち独りだけ脱落して、飢え死にしてしまうよ。私が子供の頃には、そう教え諭されていた。

「せっかくなので」と捉えて動く

 だから私もかつては、「大学を出て就職が決まったら、その企業の正社員として60歳70歳まで勤め上げる」のがあるべき姿だと思っていた。バブルが崩壊して就職氷河期が直撃し、いつしかロストジェネレーションと呼ばれるようになり、一緒に働く仲間に占める非正規雇用の割合が増し、友達がどんどん転職を繰り返しているのになお、「あるべき姿」とは、二十歳そこそこで切り結んだ社会との関係性がガッチリ固定されて一生微動だにしない大人の姿であると、どこかで信じていたのだ。

 学生時代までは、バイトを幾つも掛け持ちするのが好きだった。一番時給が高い家庭教師のほか、飲食店で働いたり、スーパーで働いたり、シンクタンクに出入りしたり、編集者の真似事をしたり。そうして複数の収入源を持っていると、どこか一つが明日消滅しても飢え死にしない。今日の自分と明日の自分とがてんでバラバラの肩書を名乗り、昨日とは別の社会のハジッコで拾い食いをしながら、不思議と生かされているような状態が、理由もなく好きだった。

 それでも23歳のとき、大叔母の脅しが効いたのか、私は数多あまたあるバイトを一つ一つ辞めて、やっぱり会社員になった。「もし明日会社が消えてなくなったら、どうする?」と質問されたことがある。同僚の一人が「今までのスキルを活かして、同業他社に雇ってもらう」と答えた。たしかにそれが無難だろう。同意するつもりが、水を向けられた私は、「うーん、せっかくなので、全然違う業界で働くのも面白そうですよねー」……気づけばこう答えていた。私は、人生の不意を衝く空白を、「せっかくなので」と捉える人間なのだ。

 その後は、自分が口にした通りの人生を歩んでいる。せっかくなので転職したし、せっかくなので文筆家になり、せっかくなのでテレビに出たり、せっかくなので結婚したり、せっかくなので渡米して、せっかくなので学校へ通い直し、せっかくなので現地で働いて住み続けている。獣道へとフラフラ彷徨い出て、棚から落ちた食えそうなボタモチは何でも拾って食った。幸い、今のところはまだ一度もお腹を壊して死んではいない。

ぽっかり空いた時間は「自分のもの」

 大志を持って海を渡ったわけではないけれど、40歳になる前に、私はとうとう「日本に住むのをやめた」。そして、違う文化の下で育ち、似たような価値観を持った、一緒に年齢を重ねていけたら楽しいだろうな、と思える友達とたくさん知り合った。どうせいつかは必ず死んでしまう人生、死なずに生きていられる程度には、何をしたっていい。あるいは、しなくたっていいだろう。ヨガ道場に住んで、1年だけ酒をやめたっていい。日本に住むのをやめて、知らない国で別の仕事を始めたっていい。たっぷりの余白を、好きに使えばいい。

  やりたいことが多すぎる、と叫びたいときも、やりたいことが見つからない、と焦るときも、物事の優先順位は、足し算ではなく引き算で決めていたい。「そんなに何でもかんでもやめてしまって、空いた時間で、いったい何をするんですか?」と質問されたら、「『何もしない』をしていたいんですよ」と答える。この静かな興奮、ワクワクを、きちんと伝えられる自信がない。日本語で書き下すのは、どうしてこんなに難しいのだろう。なんだかとてもエキセントリックな女性を思い描かれてしまいそうだ。

 せずに済むことを手元で一つ一つ数え上げて削いでいく。世の中には、してみてもいいことが多い。しなくてもいいことだって、多い。何でもかんでもやめてしまって、ぽっかり時間が空いたとしても、恐れることは何もなく、慌てて埋める義理もない。その時間こそが「自分のもの」だ。私にとって、あなたにとって、誰にだって、「あってもいい」ものなのだ。

※「40歳までにコレをやめる」は今回で終了します。2019年初頭から新たに岡田育さんの連載コラムがスタートします。どうぞお楽しみに!

【あわせて読みたい】
「何かにしがみつく人生」未練を絶たせた2つの言葉
睡眠時間は削らない…「よく寝るグズ」の生存戦略
親戚も友達も…人づきあいは“付かず離れず”

岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

天国飯と地獄耳 [岡田育]
価格:1620円(税込み) (2018/6/4時点)