睡眠時間は削らない…「よく寝るグズ」の生存戦略

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 40歳になるまでにいろいろ「やめた」。必要なのは、未来を見据えた諦める力と、幾許いくばくかの経費。結果として手に入れるのは、したくもないのに続けていた物事によって奪われていた、本来は自分のものであるはずの、自由な時間。

 傍目はためには「何もしていない」と見える時間の余白、ノリシロがないと、私はまともな社会生活を送れない。同僚が息抜きのおしゃべりをしている間、一人だけじっと黙っているのも、地下鉄で行ける場所へタクシーで急行するのも、あるいは車を拾うべき距離をわざわざ遠回りして徒歩で帰るのも、わずかな隙間を縫って「何もしない」時間を確保するためであり、そうした充電時間を確保してようやく、私は人間社会と足並みを揃えることができる。

 時間が惜しい、時間が惜しい、自由な時間がまったく足りない、と嘆くと、たまに「泳ぎ続けていないと死んでしまうワーカホリックな人」だとか、「要領と手際がよく、ものすごく大量の仕事をテキパキこなす人」などと勘違いされてしまうのだが、とんでもない。私はけっして時間の使い方が上手うまいほうではない。ものすごく下手なのだ。生活スタイルを一言で表すと「よく寝るグズ」。だからこそ、自由時間の捻出にここまで執拗にこだわるのだと思う。

ショートスリーパーとは比較しない

 私はとにかく寝汚い。たまの徹夜や早起きは苦にならないが、睡眠時間をならすと一日最低8時間以上は必要で、予定のない週末はぶっ続けで12時間以上寝ていられる、ロングスリーパーである。全体的にバイオリズムが間延びした感じで、海外出張の時差ボケを解消するのにも1週間はかかる。若い頃は、自分のこの体質に大変な焦燥感を抱いていた。なぜって「時間が惜しい」から。

 学生時代の恩師は「毎日の睡眠時間を3時間ずつ削れば1週間を8日にできて、人より1日余計に働ける」という思想の人だった。つまり1日のうち21時間起きて働き続ける計算だ。20代の私はこれに憧れて睡眠時間の短縮を試み、そして見事に挫折する。すぐ不眠症になって著しく体調を崩し、当時勤めていた会社に通えなくなり、心療内科で抑うつ症状を訴えると「寝れば治る」と呆れられた。ロングスリーパーとショートスリーパーとでは、あらかじめ人生に与えられた起きて活動する時間の尺が違う。それは心がけの問題ではなく、体質なのだと。

 長い目で見れば「寿命が短い」といった個体差とそう変わらないことでもある。ロングスリーパーのまま早死にするのはちょっと損した気分だが、健康に気をつけて長生きすれば、太く短い人生を駆け抜けた人々とも変わらぬ充実を得られるだろう。3時間睡眠で週に8日ペースで働ける体質の人や、世界中を忙しく飛び回ってもまったく時差ボケが響かない人への憧れは消えないが、私は今世において自分と彼らとを比較するのは、もうやめた。

 寝ずに頑張る訓練に無益な時間を費やす暇があったら、ぐっすり寝ながらすべきことを頑張ったほうがよさそうだ。深酒をやめ、夜遊びをやめ、徹夜の無駄撃ちをやめ、起きたまま将来を思い悩む時間の浪費をやめて、家へ帰って少しでも睡眠時間に充てるようにした。「よく寝るグズ」には「よく寝るグズ」なりの生存戦略が求められる。活動時間が半減するなら、一つの仕事に常人の倍近い時間がかかる計算で、過度なスピード競争や体力勝負の持久戦には不向きだろう。量が増やせないぶん集中力を高め、覚醒中の凡ミスを丁寧に減らしていったほうがいい。

 もちろん、この世のすべての職業が、そんな悠長なワークスタイルを保障してくれるわけではない。だとしたら、肩書や働き方そのものを変えるという選択肢もあるだろう。私が最初の仕事を「やめる」決断をしたのも、そんな考え方にもとづいてのことだった。自分ではどうしようもない弱点は、誰にだってある。努力と根性でそれらすべてを完璧に克服することにかまけていたら、それこそ人生の時間がいくらあっても足りない。

「人生のノリシロ」つかんだら手放さず

 遅いといえば、子供の頃から短距離走のタイムもずっと学年最下位だった。50メートルを走る間、気ばかりが前へ前へと焦って空気をくばかり、肉体の動きがまったく追いつかない。本を読んでフォームの研究をしたりもしたけれど、まったく上達しない。周囲から口々に「運動神経、良さそうなのにね」と言われるのも重圧だった。みんながイメージする通りのスポーティでスピーディな私に生まれ変わらなければいけないのではないか、どうして自分はそこに至れないのかと、いつも恥ずかしく思っていた。

 あるとき、「脚を速くする」ために割いていた時間を、「かけっこせずに生き延びる」工夫へと切り替えた。逃げ回ると必ず追いつかれる鬼ごっこでは、かくれんぼの戦術で鬼の死角を探す。バスケットボールの試合ではゴール下に陣取り、ドリブルの駆け引きよりシュートの精度を高める。できないことはしない、直線距離のスプリントだけで勝敗の決する状況を回避し続ければ、遅いなりに遅いまま、猛スピードで追いかけてくる鬼から逃げ切って勝つこともできるのではないか。

 私が私なりに時間の効率化を大切にしているのは、結局のところ、何をするにも人より「遅い」、余計に時間を必要とするからだ。テキパキ気質の人ならば自然と備わるような人生のノリシロを、この手につかむだけでも一苦労。だから、掴んだものはなるべく手放さずに生きていきたい。

 定年まで勤めるつもりだった会社を辞めて30代前半で転職をした、35歳で渡米した今は別の肩書きで働いている、という話を聞きたがる人は多い。退職金は幾らか、年収は上がったか、失業中の貯蓄はどれだけあったか? お金の話が、やっぱり多い。あるいは極端にふんわりと、それで夢が叶ったか、望む人生を得られたのか? などとも訊かれる。「まだ道半ばだけれど、ぐっすり眠れる時間が増えた」と答える。他の人にとっては些細ささいなことかもしれないが、私にとっては、それが何より重要なことなのだ。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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