金に糸目をつけないのに無駄遣いが減ったワケ

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 知り合いに、私のことを「金のかかる女」だと思っている男性がいる。何度やんわり否定しても、一度貼ったレッテルを剥がそうとせず、なかなか理解してもらえない。徒労感から次第に諦めがつき、今では私も彼のことを「私を金のかかる女だと思い込んでいる男」だとレッテルを貼り返して認識してしまっている。

 彼とは友達の友達という関係性で、男女の仲になったこともなければ、二人きりでどこかへ出かけたり、一緒に食事をしたこともない。複数名の集まる飲み会やパーティで近況報告し合うだけの関係が数年続いている。ちょっとオシャレをして行くと「まーた、男をビビらせるような高価そうな服着てんなー!」と言って笑う。Instagramに投稿した料理の写真について「いっつもいい店でいいもん食ってるよなー!」と言って笑う。悪意があるというより、邪気が無い。

 でも私、雑誌に載るような高級ブランド品には興味がないし、今日の服は上は古着で下はユニクロ、かばんだってそこらで買った機能最優先のものだよ、普段は絵にならない粗食だから、たまに珍しくごちそう食べたときに撮るだけだよ、と反論するのだが、「要は、こだわりの一点物でしょ? そういうのはブランド物より高くつくんだよ」「あちこち旅行してる時点で、俺たち庶民とは違うよなー」などと、まるで取り合ってくれない。

 どうして私を「金のかかる女」と勘違いしているのだろう。いつもいつも不思議でならない。というのも、この男性、日本有数の某大手一流企業に勤務する独身貴族で、推定年収はどんなに低く見積もっても、私の稼ぎの倍近くある。「持っているお金」の額でいえば、私ごときは彼には到底かなわないはずなのだ。

演劇チケット代を「絶対基軸」に

 それでも彼の口癖は「お金が無い」で、休みの日は数種類の服を着回し、飲み放題プランならじゃんじゃん飲むけれど二軒目以降にハシゴはせず、宝くじやパチンコやソシャゲに課金する奴は愚か者だと熱く語り、漫画も映画も有償ソフトウェアもすべて違法ダウンロードで無料入手するのだと豪語してはばからず、自分がいかに清く貧しく慎ましく、極力金をかけずに賢く生きているかアピールしながら、だから「金のかかる女」を魅力的には思わないんだ、と言う。でも、違法ダウンロードは「清く」も「賢く」もないぞ。

 仕事中はきっとそこそこ上等なスーツを戦闘服にして、エグゼクティブ風に決めていることだろう。私に似た誰か別の女に、たくさん金品をおねだりされて手痛い経験をしたのかもしれない。いつもわざと汚れた靴を履いているように見えるのは、他人の金遣いを過剰に口撃するのは、自衛のためかもしれない。私は自分の払いはいつも自分で済ませるから、そんなに警戒心をき出しにせずともいいのにな。と、この言い方もまた、彼の耳には浪費家っぽく響くのだろう。

 たしかに私は、あるときを境に、金に糸目をつけるのをやめた。収入が倍増したからでも莫大な遺産を相続したからでもない。8年ほど前からミュージカル観賞にハマッて、日本で会社員をしていた頃はとくに、休みさえあれば同じ芝居を何度も何度も繰り返し観る、という娯楽を生活の中心に据えていた。東京近郊はもちろん名古屋や宝塚、はたまたニューヨークまで観劇のためだけの旅行へ出かける。チケットは135ドルか13500円が一つの相場で、小劇場になるともう少し安いけれど、これが私の「絶対基軸」となった。

 おまかせコースの会食1回分、そこそこのワンピース1着分、出張用ホテルを少しアップグレードした1泊分、足ツボ整体マッサージの60分コース2回分、フィットネスジムの会費2ヶ月分、晩酌や飲み会3回分、新刊本10冊分、ホテルでお茶する10回分、クリーニング屋に出すブラウスの立体仕上げ100回分……。日々の出費を何でも芝居のチケット代と比較して、大抵のものを「安い」と感じ、幾つかのものを「高い、これだったら芝居観るわ」と切り捨てていく。

 同じ13万5000円払うなら、ブランド物のバッグより、劇場で二度とない夢のような時間を10回過ごしたほうがいい。一方で、とても手が届かないと思っていたぜいを尽くした高級品の数々も、「なんだ、今月の観劇代くらいで買えちゃうのか」と怖くなくなる。貯金は135万円では心許こころもとないが、1億3500万円なくとも、1350万円あれば、後はどうとでもなりそうだ。運良く長生きしたら、生活費を稼ぎながら芝居が1000回観られる計算である。

 と、観劇にハマッた途端、なぜか貯金が目標額目指して微増するようになった。「軸となる出費」を強く意識することで、自分を取り巻くお金の流れに敏感になり、他の無駄遣いが減ったのだ。それともここは逆に、鈍感になった、と言うべきかもしれない。急いでいるときはタクシーに乗る、体調を崩したら早めに医者にかかる、完全に擦り切れてしまう前に靴底を貼り替える。ちょっとした利便性のために、あらかじめ多めにお金を払うことをいとわなくなった。演劇は時間の芸術だ。日常のあれやこれやにつまずくと、劇場に辿たどり着けず開演時刻に遅れてしまう。

自分の天秤で幸せを量る

 どんなに昇進して給料が上がっても、宝くじに当たろうとも株で大儲けしようとも、お金が足りないと思い続ける人たちがいる。「金のかからない生活」を何よりも大事にする、それを実践しない我々のことを無邪気にからかう、あの堅実なお金持ちの男。彼の前では芝居の話をしたことがない。「たかが芝居に、13500円!?」と笑う顔は思い浮かぶが、最近は会う機会も減ってしまった。

 私にとっての「絶対基軸」と同じような尺度を、あの男は持っているだろうか。社会の中で相対的にやりとりされていく金品の価値とは別に、自分だけの判断基準を持っているのだろうか。それは、人生という流れにさすさおのようなもの、転ばぬ先に多めに突いておく杖のようなもの、あるいは、他の誰でもない自分だけの幸福の価値を量る、天秤の重りのようなものだ。

 そこそこに働いて、ぼちぼち稼ぎ、限られた予算をやりくりしながら、好きな服を着て好きなものを食べ、好きな芝居を観て、それらすべてを自分で払いたい。節約するときも、散財するときも、自分の天秤で幸福を量るように生きていきたい。次に会うときからはせめて「金に糸目をつけるのをやめた女」と呼んでもらいたい。自分にかかる自分のお金について、堂々と胸を張って話がしたい。昔馴染なじみの彼との再会を楽しみにしている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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