家事は機械に任せ…お金で「何もしない時間」を得る

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 「貨幣とは鋳造された自由である」という言葉がある。原典を一ページも読んだことがなくとも、社会に出て働く大人なら一度は耳にしたことがあるはずだ。私だってドストエフスキー『死の家の記録』をちゃんと読んだかなんてまったく記憶にないが、平気で引用してしまう。

 「自分のポケットの中にある小銭は、他人のポケットの中の大金に優る」という言葉もある。これも大人はみんなそらんじていて、私もうろ覚えで書いてから慌てて検索をかけ、セルバンテス『ドン・キホーテ』の一節だったと再確認したが、きっとまたすぐに忘れる。

 この二つの言葉を強引に組み合わせると、「ささやかに暮らす我々が手元のお金を使って買うことのできる唯一のもの、それは人間一個分の自由である」といった思想が立ち現れてくる。元の小説における文脈はとうに離れて、現代人がお金にまつわるこうした金言を好む理由ばかりが、くっきり透けて見えてくる。

 ここで言う「自由」とは、「時間」に置き換えられるかもしれない。もちろんそれは、俗世のあれこれを片付けるために費やされるせわしない時間であってはならない。もっと純粋な魂の休息、自分自身のためだけの「何もしない時間」だ。

アイロンがけをプロに外注

 新社会人の頃、最初に借りた木造アパートは部屋に洗濯機を置くことができず、週末になるとたまった洗濯物を担いで近所の銭湯にあるコインランドリーを往復していた。盗難注意の貼り紙があちこちに掲げられた空間の隅、ありとあらゆる柔軟剤の匂いが入り混じって熱せられたムッとする空気の中で、置いてある週刊誌や持ってきた文庫本を読んで時間を潰す。雨の日も風の日も、ドラム式洗濯機が完全に停止するまで、私はどこにも行けない。人間が動作を見張っていなければならない機械を「全自動」と呼ぶのはおかしいじゃないか、とそのことばかり考えていた。

 資金を貯めて引っ越した先では、玄関先にやっと念願の洗濯機を設置した。とはいえ、まだ不満は残る。当たりの悪い北向きの部屋に大量の部屋干し、じっとり湿度の上がるなか、汗だくになりながらアイロンがけをする。シワのばしスプレーを買い、襟袖汚れの専用洗剤を買い、高機能の柔軟剤と洗濯ボールを買っても、カレーのシミは落ちず、セーターは縮む。失敗するたび豆知識をググッては参考にして試行錯誤、やっぱり「全自動」には程遠い。高級住宅街に素敵なマンションを買ったばかりの年上の知人が、「毎日スーツで働いてると、とにかくシャツのアイロンがけが億劫おっくうよね」と嘆いていた。こんなお金持ちでも私と同じことに煩わされているのか、と驚いた。

 そんな折り、最寄駅前の商店街に、高度なシミ抜き技術によって全国区の知名度を誇る小さなクリーニング店があることを知った。ダメモトで持ち込んだスカートのシミが評判通りきれいに落ちて感銘を受けていると、ガラス戸に貼られた料金表に目が留まる。「シャツ・ブラウス立体仕上げ、120円から」……これもまた人気の秘密だろう、当時としても目を疑うほどの安さだ。その場で会員登録して以来、私はこのクリーニング店を文字通り使い倒した。

 スーツやコートやオシャレ着、何でも出しまくるうち、家で洗える安物の服をたくさん買って一つ一つ台無しにしていくより、お気に入りの服を丁寧に手入れして、5年10年と長持ちさせて着るほうが、ずっと私の性に合うことに気づいた。クリーニング代を生活費ではなく服飾費に換算しはじめると、洋服の買い方まで変化する。店頭で専門家と雑談を交わすので、独学で手洗いしていた頃より豆知識も増えた。何よりも、一日着ただけでドロドロになったシャツブラウスが、即日パリッと純白になって戻ってきて、缶コーヒーよりも安いとは。

 毎月の衣食住に私とは桁違いの金額を払っているような裕福な人たちが、「アイロンがけが面倒だ」と嘆く様子に「わかりますー」と心にもない相槌を打ちながら、私はもうずっと、ハンカチ以外のアイロンがけをしていなかった。家や車を即金で買うより、夜な夜な高価なワインを開けるより、毎日違うブランド物のバッグを提げて暮らすよりも、そして缶コーヒーなんぞ我慢してでも、1回120円でアイロンがけをプロに外注し、「家事をやめる」ことに使ったのだ。

家事の最適化は機械に任せる

 数年前に転職してからは人前にスーツ姿で出る機会が激減し、どこへ行くにも家で洗えるクタクタの服ばかり。白シャツはずいぶん長いこと着ておらず、毎月のクリーニング代も、かつてのようには家計を圧迫していない。だからあれは、人生のいついかなるときも絶対に必要な出費、というわけではなかった。それでも、忙しく働いていた若い一時期、たまたま名店の近所に引っ越した幸運に乗じて、苦手な家事を「やめる」という選択に、私はとても正しくお金を使ったと思っている。

 昭和の残り香漂うコインランドリーで待ち時間を潰しながら夢想していた「全自動」とは、余計なことにいちいち頭を悩ませずに済む状態のこと。人類にとって、こうした解放感よりも高い価値のある、お金を出して買うべきものなんて、めったにないはずだ。だからこそ、文豪たちがつづったお金にまつわる金言が、そこだけ切り取られて敷衍ふえんされていく。「しない」時間は、お金で買える。自分のポケットの中にある小銭なのだから、他人が大金を投じないものにだって、自由に使えばいい。

 今は人間のプロが営むクリーニング店も、いずれは真の意味で「全自動」化され、さらに価格破壊が進むことだろう。AI(人工知能)に仕事を奪われる、とおびえる人もいるけれど、家事の最適化手順なんてものこそ、早いとこ機械に任せたほうがよいのだ。我々人類がいくら真心こめてタンブラー乾燥を回し、愛情たっぷりにアイロンがけをしようとも、感情を持たずに淡々と天然洗剤を適量投じ、黙々と吊り干し乾燥する業務用マシンのほうが、ずっと仕上がりが美しいのだから。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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