家庭に炊事を持ち込まない習慣のメリット

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 子供の頃、調理実習で言われた通りの献立を作り、採点を受けながら、これって要するに理科の実験と同じだよな、と思っていた。与えられたミッションのために段取りを組み立てて、失敗しないように手際よくタイムトライアルに挑戦する。手を動かしている間はそれなりに楽しいけれど、不可逆性と向き合いつつ緊張を強いられるし、出来不出来のジャッジも厳しい。同じ時間をかけるなら私は、白い画用紙に絵を描いたり消したりするほうが好きだ。国語と算数、習字と跳び箱とリコーダーのように、人には向き不向きがある。

 それにしたって、調理実習は憂鬱ゆううつだった。きっと家庭科の教師が事あるごとに「大人になったら毎日やることなんですよ!」と説教してきたせいだ。お菓子の計量より化学実験、三枚おろしよりカエルの解剖のほうが楽しく感じられたのは、二度と経験しないかもしれないレアなイベントだったから。蒸発皿の炎色反応を眺めながら、まぁ綺麗だと思うけど、化学者たちはこれを毎日やるのか、よっぽど好きでないと仕事にできないよねぇ、と感心していた。一方で、料理は好むと好まざるとに関わらず、私が毎日やらねばならないそうだ。マジかよ。

台湾の食文化が理想

 料理とは「大人になったら毎日やる」もの。そう教わったのは、女子ばかりの学校に通っていたせいなのかもしれない。この呪いは、じつは結婚後も私を縛りつけていた。新婚当初は、早起きしてパンを焼いたり、何時間も鍋料理にかかりきりになったり、夫好みの味付けを探るように努めたり、キッチンであれこれ頑張っていた時期もある。それが自分の役割だと信じて、胃袋をつかむとまではいかないが、メシマズ嫁とも呼ばれぬよう、なんとか台所に立ち続けていた。

 しかしこの、家庭料理を介した不毛な「新婚ごっこ」は早々に終了した。もともと各々にエンゲル係数が高く、都内有数の飲み屋街から徒歩圏にあるマンションを選んで新居を構え、友達に誘われれば個別にいそいそ出かけていくような私たちは、お互いまったくそんな暮らしを望んでいなかったのだ。ある日、晩酌のつまみにナムルの小鉢を出すと、夫がぽつりと「わあ、家でもやしなんか食べるの、初めてだ」とつぶやいた。私は独身時代、スーパーの見切品もやしをタジン鍋で蒸して毎日のように食べていたので、その一言にがく然とした。

 家でもやしなんか食べてる暇があったら、多少出費がかさんでもいいから、近所に新規開店したあのワインバーに行ってみたいな……。二人揃って内心そんなふうに考えていたのが、見事にバレた瞬間だった。たとえ今後、私がどんなに上達して、絶品の自家製ナムルを作れるようになったとしても、我が家の「うち飯」の満足度は、今を境にこれ以上は高まらないだろう。結婚したら毎日家でごはんを食べるもの。どうしてそう思い込まされていたのだろう?

 そんな我々が一緒にあちこち旅行した先で、とくに気に入ったのが台北の夜市(ナイトマーケット)だ。朝早くから深夜遅くまで市場にはさまざまな屋台が立ち並び、何を食べても安くて美味おいしい。ちょっとしたスイーツの買い食いなども含めれば、一日に四食、五食は当たり前。出先でずーっとちょこまか何かを食べ続けているような、食い倒れの旅だった。

 台湾では夫婦共働きの家庭が当たり前で、キッチンがついていない間取りの賃貸物件も多く、外食文化が定着しているのだという。アン・リー監督の映画『恋人たちの食卓』では、自宅で豪勢な晩餐ばんさんを用意して娘たちを待ち構える親が主人公だったけれど、彼は男親で、かつプロの料理人、家族のために腕を振るうのは毎週日曜の夜だけだ。しかも子供たちは、毎週フルコース料理が供される実家の食卓に、有難くもうんざりしたような表情をしている。台湾が舞台のあの映画を観て「作る側も食べる側も、よほど得意でなければ続かないよねぇ」という感想を抱いたのを思い出す。

 食卓を囲む一家団欒だんらんを何より重視して「毎日やる」文化圏の人々には、老若男女、誰も彼もが野外の道端に座って夕餉ゆうげを済ませる台湾の光景は「非日常」と映るに違いない。でも私たち夫婦は、同じ夜市の屋台飯を堪能しながら、「この食文化、うちにぴったりだね」と何度でも語らった。東京やニューヨークで模索し続けていた「日常」を、理想的に最適化した姿と感じられたのだ。

規則正しく、節制しながら外食を

 「夫婦二人とも食べ歩きが大好きだから、家ではあんまり料理しないんですよ。お子さんがいたりするとまた大変なんでしょうが、大人二人の共同生活なら、自炊しなくても結構なんとかやっていけますよ。仲良く外食を楽しんで、美味しいお店をたくさん開拓しましたよ」……台湾旅行から帰ってからは、何の後ろめたさもなく、明るい口調で、きっぱりこう言えるようになった。

 外食ばかりだと栄養が偏るよ、と脅されることもあるけれど、素人の自炊だって栄養はずいぶん偏るし、味付けだってどんどん濃くなっていきがちだ。薄味が食べたいときは自分で作るほうが早いけれど、家では一汁一菜か二菜くらいに抑えて、肉や野菜は外で思いきり食べるほうがバランスを取りやすい。規則正しく節制しながら外食を続けている今のほうが、家でもやしばかり食べていた頃より、よっぽど体調が良い。まぁこれは、食材管理やたまの自炊の主導権を、夫が握ってくれているおかげではあるが。

 「家庭に仕事を持ち込まない」ならぬ、「家庭に炊事を持ち込まない」習慣が徹底すると、それはそれでメリットも大きい。お手本は台湾、節約は食費以外で工面して、食べ過ぎや体調管理には十分気をつける。40歳を過ぎても強靭な胃袋を保って、この生活が続けられるとよいなと思っている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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