委託するのに罪悪感?「家事」という言葉に連想すること

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 「家事」という言葉から、いつも連想する情景がある。深夜2時3時、首都高速を駆け抜けるタクシーから眺めた光の帯だ。街並みは死んだように静かなのに、重なり合って見え隠れするビルの灯りの一つ一つに無数の勤め人が息づいている。どんなブラックな闇の底でも死なない生命、水圧に耐える深海生物みたいだ。

 車はしゃあしゃあ音を立てて幾つも曲線をなぞり、そのたび遠心力を強く身に受けながら、高速道路は戸越出口へ抜ける。私より遅くまで残業を続けている、一生顔を見合わせることのない、年齢も性別も知らないモーレツ社員たちに、一足お先に失礼します、と口の中で唱える。たたり神をまつっているようでもある。くわばらくわばら、ふと助手席の背面部分に挿されたチラシが目に入る。

 左側から乗り込んだ後部座席の客がすぐ手に取れる位置に、頭髪の植毛とワキの脱毛をうたうクリニック、迎車サービスの自社宣伝などに挟まって、「世帯年収700万円以上なら家事代行!」というのがあった。どんな不況でも領収書さえ切れば会社経費でタクシーに乗れる人、ばりばり働いたぶん料金を気にせず帰宅手段を選べる人。そんな我々乗客に向けて「他のことだって、お金で買えるんだよ」と甘くささやきかける広告だった。

 当時の私はアラサーで独身の会社員、年収はとても700万には届かず、毎晩深夜に寝に帰るだけの自宅は見事に荒れ放題で、そのことに支障も感じていなかった。それでも具体的な数字を示して強めの断定を下されるのは心地よい。聖書の言葉や童歌などと同じように、一度刷り込まれたら頭を離れない。人生の階段をもう一段か二段上がることができたら、私にも家事を「やめる」選択肢があるのだ。

家事代行業者の女性も「働く女性」

 実際、次々と結婚して順番に産休育休をとる同年代の女友達たちは、産前産後のドタバタのなか、結構な割合で家事代行サービスを利用していた。超のつく大富豪ではないが、物価と給与水準の高い都会暮らしが長く、夫と同じくらい稼いで、等しく家事を分担し、自分だけキャリアを捨てる気はさらさらない、という女性たちだ。

 ある代行業者はメインターゲットが高齢層で、いかにも家政婦然としたベテランが来るから安心、という評判もあれば、それが逆に姑みたいで落ち着かない、という声もあった。別の業者は時間制で料金も安く、お試しで使うのに罪悪感が薄いよ、とも聞いた。年若いスタッフが多く、力仕事には男性を指名できたりもして、職場のアルバイト君に雑用を頼むノリで抵抗なくいけるそうだ。

 そう。誰だって家事のアウトソーシングにはやっぱり「抵抗」が、「罪悪感」があるのだ。「うち本当に汚いから……お掃除の人を家へ上げる前に、まず掃除しとかないと……」とうめく本末転倒な消極派もいた。暴れる2歳児を抱きかかえた積極派が首を振り、「私も最初はそう思ってた、でも慣れちゃえば、恥ずかしさとかなくなるよ」と言う。「だって田舎の義母にヘルプに来てもらっても、換気扇の丸洗いまでは頼めないじゃん。遠くの親戚より近くの他人、最高だよ」と。

 結婚直後の何かと慌ただしい時期、我が家でも家事代行サービスを利用したことがある。小柄な女性がやって来て、業者指定の制服に着替えて時間をきっちり計り、夫婦揃ってお手上げだけれど実家の親になんか頼めない、そんな雑事をあれこれ片付けてくれた。謎のひみつ道具で水回りの汚れがピカピカになり、窓や鏡が磨かれて家中が明るくなった。ベッドメイキングだけは苦手と見え、笑顔で見送った後、自分たちでそっと直したりもした。

 業者が派遣してきた彼女もまた、私と同じ「働く女性」だ。私物のカバンからのぞくキャラクターグッズで、小さな男の子のいる母親だと想像される。我々夫婦が支払った代金は彼女の稼いだ賃金で、それは息子を預けた保育園へまわり、保育士がまた給与として受け取る。得意先企業に勤める仕事相手の女性と変わらない。それぞれがそれぞれの労働に対価を支払うだけのことだ。

自分ができないことは違う職能を持った人に

 私の母は「専業主婦」という、歴史が浅く極めて特殊な職に就いた。戦後に生まれてサラリーマンの夫と結婚し、外へ出て働くことなく家政を取り仕切って、数十年。きっと今でも「家事にお金を遣う」発想を持たないだろう。執事や乳母やメイドやコック、住み込みの使用人に銀食器を磨かせる貴族のご主人様、といったイメージを抱いて、「うちにそんな余裕ないわよ」と笑うに違いない。

 かたや娘の私は、毎晩のように深夜残業でタクシー帰宅、この生活で母のように完璧なハウスキーピングは到底無理だと諦めていた。独身時代、女友達とよく「ヨメが欲しいなー」とボヤき合った。こちらのイメージは漫画『パーマン』に出てくるコピーロボットだ。仕事から疲れて帰ると手料理をあたためて待ってくれている、身代わり。鼻のボタンを押すと電源が切れ、文句一つ言わぬ人形に戻る。

 若い私も私の母も、結局それぞれの立場から「家事」を一段低く見てその従事者をナメきっているのだった。わざわざ他人に頼むほどじゃないから自分でやるとか、自分でやるのは嫌だから他人にタダ働きさせたいとか。乳離れの済んでいない独身男性と話すとさらにひどく、私が欲しがった在宅ロボットの役割を、意思と人格を持った生身の人間女性に押しつけようとしたりする。

 しかしながら、家事もまた労働である。一時的にでも代行サービスを使ってみて、それを視覚的に実感することができた。2時間で数千円、たしかにちょっと高い。でも美容院やマッサージ屋にも同じくらい支払うし、クリーニング屋にはシャツを渡してアイロンがけを外注している。トイレ掃除やレンジ磨き、納戸の整理に費やす時間だけが無償と見做みなされるはずはなく、メイドを雇うのに比べたら破格に安い。

 私が「家事」という言葉から連想するのはもはや、風呂のカビ取りや庭の手入れにぶつくさ言っていた母の背中ではない。制服に着替えた代行業者の女性の姿だ。自分には到底できないことを、違う職能を持った別の人に委ねる。正当な対価を支払って、自分は自分で得意なことを頑張る。そうして社会全体を効率化していった先に、全員が幸福になる未来がひらけているのではないか。

 人生の階段を一段か二段上がることができたら、不得意なことは「やめる」。今すぐは無理でも、せめて40歳くらいまでには。深夜のタクシーに揺られながら、一枚のチラシを手にそう考えていた。今は会社を辞め、別の街で別の生活をしているが、家内で手に負えないことが起きたらまた代行業者に頼るだろう。それは誰にとっても、罪悪感をおぼえることではないはずだ。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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