人類はなぜ時代が進んでも虚礼を繰り返すのか?

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 『礼儀2.0』の著者GOROman氏は、莫大な時間を費やす「礼儀1.0」を廃し、相手の時間を極力奪わない「礼儀2.0」へアップデートすべきだ、と説く。一例を挙げると、かつて丁寧な連絡手段とされていた「電話」は、受け手の都合を考えずに突然掛かってくるという意味では、もはや時代錯誤。迅速で無駄の少ないSlackやメッセンジャーへ移行していこう、と呼びかける。数年前から「電話をやめる」を実践してきた私も、これには大いに賛成だ。ところが最近は、各種チャットやメッセンジャーさえも、なんだか「文字の電話」めいて感じられるのが気がかりでならない。

 グループウェアやビジネスチャットの画面を開きっぱなしにする勤務形態は、複数回線を繋ぎっぱなしにする長電話とよく似ている。長所も、そして短所も。専門性の高い少数精鋭のチーム内なら「デスクに出向いて話すより早い」と感じるけれど、部外者が増えてくると足並みが揃わず、同じ説明が二度三度と重複し、「集まって会議したほうが早くない?」と思うこともある。一対一で交わす単純な質問や事実確認のスピードは抜群だが、言った言わないの議論には不向きだ。誰かが話を一つ脇道へらすと、議題が二つ三つ四つに散逸し、一覧性や検索性も如実に低下する。

 電子メールなら淡々と処理できることが、十数倍の頻度でじゃんじゃん届く通知だと煩わしい。「ランチどこ行こっか」なんて私語のほうが多い奴もいる。顔文字やスタンプや笑いが飛び交い、コミュニケーションのためのコミュニケーションの応酬が始まると、翌日の集合時刻とか、新規の追加修正とか、近過去の重要情報がみるみる押し流されてしまう。それでもいちいち手を止めて、今現在の作業に関係ある業務連絡か否かを、チラとでも確認せねばならない。

 「電話1.0」の通話に比べたら、テキストメッセージはずっと合理的で時短にもなる。だが利用者の意識が追いついていない状態では、前時代的な煩雑さやダラダラした空気、あるいは虚礼だって一向に減じないのだ。この調子じゃ所詮しょせんは「電話2.0」止まり、「礼儀2.0」の実現にはまだ程遠いんじゃないの? と思えてしまう。道具を新調するというより、人類の側のアップデートが求められている。

儀礼的なやりとりにへきえき

 十数年前、ソーシャルプラットフォームのmixiが「mixi年賀状」というサービスを始めたとき、私は「意味がわからない!」と天を仰いだ。ここはインターネットなのに、国境を越えて全世界と瞬時に繋がる自由で平等なウェブ空間なのに、なぜ旧時代の遺物であり島国土着の風習である「年賀状」なんかを電子移植するのだ。私たちは、年末進行が迫る最も多忙な時期に連日サービス残業しながら何通も何十通も何百通も宛名書きを続け、年が明けたら一瞥して3秒で捨てられるようなハガキに丁寧に丁寧に定型文をつづる、そんな実社会にほとほと嫌気がさしたからこそ、「Hello, World!」で挨拶の片付くネットワーク社会に明るい未来を夢見たのではなかったか。

 日本固有の問題かというとそうでもなく、米国発のFacebookでは「誕生日祝い」が同様に悩ましい。フレンドという関係性にある誰かの誕生日や記念日が訪れると、人々は自動通知に促されて続々とコメント欄にお祝いメッセージを寄せる。肉親も、同僚も、先週一緒に食事した人も、10年前に一度名刺交換しただけの人も、大親友も、ゴマすり野郎も、異口同音に「おめでとう!」。自分の頭で日付を記憶していたわけでもないのに、何歳になったかも知らなかったりするくせに、ただ通知を辿たどって反射的に、私信でもいいのにわざわざ人前で見せつけるように、いいね、いいね、お友達って素敵だね。

 あれこそが新時代の虚礼の象徴だと思う。職場チャットで無駄口を叩く人々を「長電話2.0」と呼ぶなら、Facebookのお祝いコメント大洪水は「年賀状2.0」だ。年に一度か二度、機械的に、さして親しくもないけれど存在を忘れているわけでもないよと送り送られる、儀礼的なやりとり。無駄なく便利に合理的に、生産性を高めて個人の幸福を増大すべく開発されたはずの最新技術を駆使して、私たち愚かな人類は、信じられないほど不毛な行為を、飽きずに繰り返す。

 突然の電話も、年賀状も暑中見舞いも、お中元もお歳暮も、ゆるやかにほどよく廃れつつあるのに、どうして私たち愚かな人類は、一つ苦しい義務から解放されるとまた新たなしんどい義務を発見し、嬉々としてそれに縛られようとするのだろう。「たしかにめんどくさいけど、みんなやってるし、去年も一昨年もやったし、別に悪いことじゃないし、やらないよりやったほうがよくない?」なんて、まったく理由にならない理由で。

礼儀のアップデートを

  「礼儀2.0」とは、礼儀の定義そのものを更新する、という意味である。まだ誤解している人もいるかもしれないので、もう一度だけ書いておく。親機や子機や公衆電話の「電話1.0」が、無料通話アプリなどの「電話2.0」に代わって便利、と喜んでいても意味がない。くじ付きハガキを赤いポストに投函する「年賀状1.0」が、開封すると音声付きアニメーションが動く「年賀状2.0」になったから新時代だ、というのも勘違いである。アップデートをかけるところが間違っている。

 日進月歩で新しくなるコミュニケーションの在りようを、いつまでも旧式の延長で把握しようとして、そして昔の様式を当てはめたがる。職場での私語にノッてこない無愛想な部下とは仕事がやりにくく、あけおめメールが一通も届かないのは寂しいし、「第一、俺に失礼じゃないか」と思う。そんなあなたは、どんなスマホの最新機種を購入し、どんな最新アプリを使いこなそうとも、まだ「礼儀2.0」には至っていないのだろう。

 LINEもFacebookも提供するのはサービスだけで、私たちの意識までは新規開発してくれない。待っていて自動的に切り替わるものではないのだ。私は一足お先に「礼儀」をアップデートしてゆきたい。慣れ親しんだ古い礼儀をやめるのは難しいことだが、感覚を磨き、抵抗を試み、挑戦を続けたい。それでも、どうしても、何と言われようが古い世界に留まりたい方たちは、私の話などお好きに「既読スルー」なさって結構です。それって別に、失礼なことじゃないですよ。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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