名刺に電話番号を載せなくなったワケ

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 もう何年も、名刺に住所と電話番号を載せていない。氏名、電子メールアドレス、ウェブサイトのURLだけ。初対面の相手に手渡す情報としては十分だろう。一昔前までは、「名刺に住所や電話番号を明記していないフリーランスは信用を落とす」なんて言われていたものだが、今はむしろ、誰彼構わず仔細しさいな個人情報を配って回る人間のほうが「危機管理能力が低いのかな……」と相手を不安にさせもする。そんな時代が、やっと到来した。赤の他人に電話番号なんか教えて何になる?

 米国で片時も離さず持ち歩いているiPhoneに、着信があっても、私は取らない。大半がアドレス帳にない番号から掛かってくる、自動音声のセールス電話、あるいは間違い電話、そして間違い電話を装ったセールス電話だ。どこか悪徳業者に電話番号が漏れているのだろうが、私は普段、仕事相手はもちろん友達や親戚とも通話しないので、だまされない。ごく稀に知人からの緊急着信もあるけれど、大概はテキストメッセージが先に届く。電子メール、SMS、Twitter、Facebook、LINE、チャンネルは他に幾つもあるし、そちらにはすぐ目を通すので、今のところ事足りている。

 日常生活に欠かせないiPhone、その画面上でも「通話」アイコンはフォルダの奥底に小さくしまってあり、もう日常生活から欠け落ちていて、めったにタップしない。私は電話をやめた。世界人類を着信拒否しているのだ。

通信技術の進歩に逆行

 2010年頃までは、仕事で頻繁に電話をしていた。各種メッセンジャーが今ほど発達普及していなかったし、名刺記載の携帯電話番号なら、いきなり鳴らすことも許容されていた時代だ。もちろん受けるときだって即、勤務時間外に鳴らされても即、3コール以内にお受けせねばならない。もともと私的に契約した携帯電話だったが、あらゆる取引先に番号をバラまいていたから実質「社用」である。飲み屋にいても、寝床にいても、通話ボタンを押した途端に仕事が始まる。圏外に逃げたり電源を切ったりしない限り、私が会社員として過ごす時間は、果てしなく延びていった。

 たとえば「お世話になっております、今さっきメール送ったので、文面ご確認くださーい!」と、わざわざ電話してくるクライアントがいる。慌てて応急処理しようとすると「あ、お返事は明日以降でいいんで」。通話中の時間を奪うのみならず、「郵便と違って瞬時に送信され、電話と違っていつ開封してもいい」電子メールの利点までぎにかかってくる。無駄も無駄、通信技術の進歩に逆行しているだろう。

 「今日のお打ち合わせ内容、議事録にまとめてお送りしますね」と言われて終わる長電話もげんなりする。最初からメールで確認事項をくれていたら、Yes/Noで回答してすぐ返信したのに。あるいは、うやむやにぼかしたい用件ばかり口頭の会話に落とし込む悪い大人もいる。金銭や契約の話になると連絡手段がいきなり電話へ切り替わり、物的証拠を残さない。仕方ないので「先日のお電話の通り、総計でこの金額になりますよね」と記録を書きつけて送り、了承の言質を取るのにまた手間がかかる。

 突然掛かってくる電話の九割九分以上が、まるで緊急連絡ではない。飲み屋や寝床にいるならまだしも、一刻一秒を争う大事な作業に集中しているときだって当然あるし、やむなく受けると途端にテンションが途切れてしまう。実際に通話した時間よりもはるかに長い間、集中力や生産性が著しく落ち込み、なかなか回復しない。考えなしに何でもすぐ電話してくる連中が、そのコストを補償してくれたためしがないのだ。

 それでも深夜に早朝に、「わざわざご丁寧にご連絡くださって恐縮です!」と虚空へ向かってぺこぺこお辞儀しながら通話を切り、そのたびに漫画『東京BABYLON』を思い出していた。作中に「電話回線が繋がると、二つの空間は霊的にも繋がってしまう」というエピソードがあるのだ。ひとたび受話器を取ったら、離れた場所からもダイレクトに生霊が手を伸ばしてきて、呪詛じゅそ攻撃を食らってしまう。防ぐにはどうすればいいか。回線を塞いで、電話を「やめる」しかない。

他人の時間をいきなり奪う行為

 旧時代的な世界では、日時を決めてスーツに着替えて電車を乗り継ぎ、直接お目にかかって礼儀を尽くすのが、最も素晴らしい行いだとされてきた。メールじゃ何だからお電話しましょう、お電話じゃ何だからお会いしましょう。お互いのために専従的に、一対一で莫大な時間を使えば使うほど、誠実で心がこもっているのだと教わる。

 しかし、たとえば誰かに大変なご無礼をはたらいてお詫びにあがる際、いきなり自宅へ押しかけて門前で土下座する馬鹿はいない。古来、カンカンに怒らせてしまった相手には、まずは書中にて、次にお電話で、経緯を説明してお許しを頂戴して初めて、対面で謝罪する機会をいただく。遠回しにおそるおそる「最も相手の時間を奪わない」方法から試して、手順を踏むべきだとされている。

 つまり、みんな本当は、もうずっと大昔から、薄々気づいているはずなのだ。「蓋を開けてみるまでどんな用件かもわからない連絡手段で、他人の貴重な時間をいきなり奪うような行為は、『礼儀』ではなく『失礼』である」ということに。それなのに、怒らせた相手ではなく、温厚なお人好しや親しい間柄、弱い立場の人間ならば、いくらでも「いま大丈夫?」と呼びつける。矛盾していないか。用件も明らかにせず、喫茶店で、電話口で、「やっぱりこうして直接話すのが一番ですよねー」と朗らかに笑う人たちは、あれは自分が仕事をサボッて時間を浪費したいだけなんじゃないのか。

 私だって思春期には、固定電話を子供部屋へ引っ張り込み、大人に隠れてだらだら長電話するのが楽しみだった。同じ世代の友達からは「久しぶりにちょっとおしゃべりしない?」なんて懐かしいお誘いもある。だが、一度塞いだそのチャンネルを開くと、5年前、10年前に断ち切ったはずの招かれざる亡霊たちまでもが、また回線をい寄ってくるに違いない。

 私は電話をやめた、私にとって「電話の時代」は終わっているのだ。だから今おしゃべりするのは無理だけど、今度ゆっくり時間をとるよ、とテキストメッセージを打ち返す。それで壊れてしまう礼儀や友情なら、そもそも虚構に過ぎないだろう、そう自分に言い聞かせながら。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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