虚礼より実利を…アラフォー世代が挑む「礼儀改革」

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 1998年に買った携帯電話は、月賦購入したノートパソコンと共に、大学生の私が初めて手にした個人情報端末だった。モノクロ液晶の画面幅が、たった3行。それでも、電子メールの送受信が可能な最新機種だ。時まさに「IT革命」の頃、こんな小さな機器で電子メールまで受け取れるなんて! と胸がはずんだものである。

 ダイヤル式の黒電話を使い続ける実家から、常時接続のインターネット回線を自由に利用できる大学へ通い、情報処理の授業を受けた。通信技術の歴史を学ぶと同時に、「これからの時代はコミュニケーションの在り方が劇的に変わる」と教わった。紙に印刷された文書を交わし、切手を貼って投函して返信を待つような、悠長なやりとりは廃れていく。秒刻みの高額料金を気にしながら手短に国際通話することもなくなる。欧米では有能な人間ほど電子メールの文面が短く明快だとされている。などなど。未来は、今より、ずっとよくなる。

 それがどうだ。どうしてこんなことが起こるのだ。あれから20年も経っているんだぞ!? と、手元のiPhoneXを叩き割りそうになる。2018年現在、日本から届くメールには「盛夏の候、岡田様におかれましては益々ご清祥のことと心よりお慶び申し上げます。」なんて文字列が、まだまだ平然と躍っていたりするからだ。早く滅びて!

若者相手に虚礼を打ち切る

 「時候の挨拶とか、今時、要らないですよね?」とだけ言って回ると、伝統文化への敬意に欠けたけしからん奴だと、まだまだ非難されがちである。ちなみに私は老舗出版社で社会人教育を受け、仕事の依頼は榛原はいばら鳩居堂きゅうきょどうの便箋にペリカンの万年筆で書き送り、独立と同時に意気込んで名入り用箋を特注したりもしてきた人間だ。やっぱり定型の書式から入らないと締まらないよね、という局面があるのも理解しているし、とっくに形骸化していようと、白紙の便箋を1枚足して封をする癖が抜けない。だが、そうした限定的シチュエーション以外では、もう十分じゃないですかね、と言うのである。

 日本社会で40歳を過ぎると、礼儀を「払う」以上に「払われる」機会が増える。敬老精神にもとづいた目上とのコミュニケーションならいざ知らず、私に対して何か特別なコストを費やそうとする若者が相手には、「要らん」と拒むことも可能になる。かつて半信半疑で実践してきた虚礼の数々を、少なくとも下方向へは、「この代で終わりにしましょうね」と打ち切る権利を手に入れたのだ。これを行使しない手はない。

 新入社員だった2004年頃、上司から「岡田さん、このホームページのURLを、あのデザイン事務所へファックスして」と手書きの付箋紙を渡されて、膝から崩れ落ちるほどの絶望をおぼえた。それでも私は紙片に記されたURLをボールペンでまた丁寧に書き写し、時候の挨拶から始まる送付状を添えて、FAX番号をプッシュして複合機から送信した。新人は指示された通りに雑用をこなさねばならない。それは、取引先はもちろん、同じ職場で私の指導に貴重な時間を割いてくださる、先輩に対する礼儀でもあった。

 こんなことを続けているからヒューマンエラーが減らないのでは……と思えども、「対面>手紙≧電話>ファックス>>>(超えられない壁)>>>電子メール」という当時の社内の序列は覆せなかった。なにせ、手書きのほうが「心」が籠もる。頼み事のためにいちいちメーラーを起動させるなんて「失礼」だ。ファックスは早朝深夜など「非常識な」時間帯に送ってはならないし、携帯電話に「不躾ぶしつけな」連絡をする前に、固定電話へ留守電を吹き込むのが筋だろう。完パケデータはMOに、テキスト原稿はフロッピーディスクに格納し、物理的に手渡すのが「作法」である。

 掟は掟なので表向きは従うフリをしたが、不良会社員だった私は、数年も経てば仕事相手と「Dropbox経由でいいですよね?」「正直そっちのほうが助かります!」なんて密約を交わすようになっていた。礼節を重んじる先輩方の目を盗み、こっそりショートカットできる抜け道を探りながら、約20年。この時が来るのを待ちわびていた。40歳目前、自他ともに認める立派な中年となり、若輩の頃よりは社会に響く大きな声をもって、「ここから、やめよう」と言えるようになる時を。

「相手の時間を奪わない」を重視 

 メールも電話もファックスも、世界を便利にするためにこそ開発されたのに、なぜかそこに旧時代のモラルを当てはめて回りくどく事を運ぼうとする人たちが後を絶たない。時候の挨拶を略すのはよくても「了解しました」という返信は無礼だとか、同報メールはCCされたうち最年少の者が最初に返信すべきだとか、既読スルーや無言RTは万死に値するとか、次々と謎のマナーが考案されていく。今から20年後にはさらに便利なプラットフォームができているはずだが、そこでも新たな「失礼」が発見され、誰かが苦言を呈するのか。それが50代60代になった自分たちだったら、と考えると恐ろしい。

 私は「実利」と「虚礼」を天秤にかけて、後者を選ぶような大人にはなりたくない。インターネットに触れて人生観が変わった最初の世代、ポストに投函した御礼状や年賀状の数をメール送信数が上回り、いつの間にかデジタルネイティブの部下を束ねるようにもなった私たちの世代から、率先して礼儀の在りようを変えていくべきだろう。それは、「この俺様にLINEスタンプで業務連絡を寄越すなんて、不届き者だ!」と説教したり、「今の子は何でもスマホでラクしてダメね、たまには昭和生まれと同じ苦労を味わいなさい!」と無体を強いたり、しないということだ。

 VRエヴァンジェリスト(伝道師)・GOROman氏が提唱する「礼儀2.0」という言葉がある。時間を奪い合うばかりの礼儀1.0に別れを告げ、「相手の時間を奪わない」ことを重視しよう、という考え方である。礼儀なんか要らない、と言うのではない。定義をアップデートするのだ。早いほうへ、簡便なほうへ、無駄のないほうへ、負担の少ないほうへ、そして、自分自身のために使う時間を最大化するほうへ。10代の頃に夢と描いた「便利な未来」をこの手に掴めるか否かは、我々アラフォーの意識変革にかかっている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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