「ちゃんとしすぎない」大人の流儀

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 私は元来、非常に時間にルーズな性質で、いわゆる遅刻魔である。意図してそうなったわけでもないのだが、ずっと治らない持病のように付き合いが長い。一応弁明させていただくと、夕飯の開始が数時間遅れ、旅行の出発が半日遅れるようなこともザラにあった実家の家庭環境においては、私は誰より時間に正確で、のろまな家族にイライラし、自分にだけは社会性が備わっていると信じていた。世間一般の基準から見ればそれでも全然足りなかった、という話だ。

 数年前に結婚した夫は反対に、大変パンクチュアルな人間である。何か約束を交わすと、必ず定刻には定位置についている。素晴らしい習慣なので是非とも見習おうと意を決し、まず家庭内で意識して時間前行動を心がけるようにした。ところが、待ち合わせ場所へ5分前に到着しても、10分前に到着しても、20分前に到着しても、必ず夫のほうが先にいるのだ。「ごめん、また待たせちゃって」と詫びながら、なんだか釈然としない。今日の私は「遅刻」したわけではないのにな。

 いったいいつからここにいたのか?と夫に尋ねると、「一時間ほど前から」などと答えが返ってきてギョッとする。忠犬ハチ公か。時間に余裕を持って行動するのは大変結構だが、共同生活を営む同士、もう少し時間感覚の歩幅を揃えられたらよいな、お互い携帯電話を持っているのだし、到着してからの連絡さえつけば別の場所で時間を潰してくれていたっていいのだし……。

 そんな私の言葉に感化され、今度は夫が「遅刻の練習」という独自訓練を始めた。「君を見習って僕も上手に遅刻できるようになるよ」と、5分10分遅れての登場を目指すのだが、どんなにのろのろ支度して出かけても、いつも定刻の2分前までには到着してしまうそうだ。「わざと狙って遅刻をするって、本当に難しいことだねえ」と真顔で言われて呆れてしまった。今までの私の遅刻がわざとじゃないことも、少しはご理解いただけただろうか。

やりすぎ、刻みすぎの習慣を見直す

 何事も、上には上がいて、下には下がいる。東京では時間にルーズと言われていた私も、アメリカに住んでみると「時間に厳しい日本人」扱いを受けたりする。公共交通機関に時刻表はあってないようなもの、宅配が時間通りに届くなんて滅多にないし、個人営業の店は開店時刻に開かず、閉店時刻より早くに閉まる。鍵を持ったボスが定時出社しないので朝一番のオフィスに入れないとか、友人宅の玄関先で二時間待ちぼうけとか、電気工事の作業員が約束した日に来ず、そのままドタキャンされる、といったことにも慣れた。

 地下鉄が来ない、渋滞がひどい、ご近所トラブルに巻き込まれた、など遅刻の言い訳も大雑把で、誰もがそれを「私のせいじゃない」と考えている。代わりに、飛行機の搭乗時刻といった厳密な約束があると、何時間も前から現地に詰めていたりもする。「私のせいじゃない」遅刻リスクを回避するには、社会全体がパンクチュアルな日本以上に、大げさに気を配らないといけないのだ。

 私もズルズル影響を受けて、5分くらい遅刻しても謝らなくなったし、20分待たされても怒らなくなったし、うっかり30分前に着いてしまっても、誤差の範囲内と感じるようになった。物事は予定通りに進まなくて当たり前、という感覚さえ共有できていれば、損したとも得したとも思わない。まるで実家に帰省したかのような脱力感をおぼえて、やけに落ち着く。

 ボヤ騒ぎに巻き込まれた知人の職場は、消防士に打ち壊された扉が撤去され、壁に穴が開いたまま何か月も営業を続けていた。最低限の施錠はしているが、申請した修復工事がずっと「遅れて」いるのだという。日本に住んでいた頃なら我がことのように怒り狂っただろうが、今は「そうか……ドアがなくても、死にゃあしないんだな……」と感心する。先日ようやく新しい扉が付いていたが、ペンキは今も塗りかけのままだ。

 いい歳をした大人なのだから、ちゃんとしていないよりは、ちゃんとしていたほうがいい。遅刻魔と呼ばれるくらいなら時間前行動ができたほうがよいし、職場のドアだって、ないよりはあったほうがいい。でも、さまざまな環境に身を置いて人生経験を積むにつれ、「ちゃんとしすぎなくても、いい」と思うことも増えた。大人になったからこそ、過剰にやりすぎていたこと、細かく刻みすぎていた習慣を、大らかに見直してみる。そんな発想で「やめる」ことを探してみるのも、よいのではないか。

礼儀が「行き過ぎる」社会

 日本の職場で新人研修中、「5分前には出社しておくように」と言われたので、鵜呑みにした私はいつも定時の5分前に出社していた。一週間経つと私だけが上司に呼び出され、「君の同期の優秀な彼は、同じことを言われて、毎朝15分前に出社している。恥ずかしいと思わないのか?」と叱られた。恥ずかしかった。当時二十歳過ぎの私は、とても若く、社会常識がなく、注意してくれる上司を有難いと感じ、もっとちゃんとしなくては、と己を戒めたものだ。

 ところが自分が大人になった今は、「いや、5分前と指示されたなら、5分前出社で十分だったでしょ。それ以上の要求は、労働基準法違反だよ」と思う。あの優秀だった同期の彼は、今もどこかで時間前行動を心がけ、1時間も2時間も早く出勤した挙句、時間外労働などさせられたりしていないだろうか。私たちの社会は至るところでそうやって「行き過ぎる」きらいがあって、気が気でない。

 40歳を目前にした今、自分が時間前行動を心がけるのと同じかそれ以上に、他人に対してあの上司のような言動をとらないように、気をつけている。遅れて来た若者が過剰に恐縮していたら、私は気にしないよと笑い飛ばす。定時なら定時、15分前なら15分前と、指示は明確に下す。大半のことは「死にゃあしない」問題であり、他人にイライラするのは、自分自身の価値観が固着化しているからだと捉え直す。

  約束に遅れないのは最低限のルールだ。したら謝り、されたら怒り、契約違反ならペナルティを科すのもいい。けれど、「若いもんは空気を読んで早く来い」となると、就業規則でも何でもない。自分が大人になった今こそ、不必要に肥大化した「礼儀」は積極的に省いて、「ちゃんとしすぎるのを、やめる」空気を作っていければと思う。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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