スマホから飛び出す「♡(いいね)」、ラーメンの麺をすくい上げる瞬間、太巻きずしの断面……。思わずほほ笑んでしまう刺しゅうの作品が、ウェブ上で話題を集めています。
作品の数々は、よく見ると点描画のように表面が小さな粒で埋め尽くされています。作者は、刺しゅう画家のipnot(イプノット)さん。30代の女性です。

手芸店に駆け込み、独学で作家に
「あまり見せすぎないスタイルで活動しており、想像を楽しんでもらいたい」と、作品はもっぱらインスタグラムやツイッターとユーチューブで披露しています。かわいくてどこかユーモラスな作品に、世界中から反響が寄せられるようになりました。
もともとは粘土でミニチュアの作品を作ってイベントなどに参加していたそうですが、あまり人は集まらず。「作るものにオリジナリティーがなかったんですね」
そんなとき、偶然書店で見かけたムック本に掲載されていたシロクマの刺しゅうに目が留まりました。ざっくりとしたタッチに、「こんな感じでいいんだ」と思ったそうです。というのも、自身のイメージする刺しゅうとは異なっていたからです。
ipnotさんは幼いころから祖母が刺しゅうしている姿をそばで見てきました。とても丁寧で美しく芸術品のようだったので、できたらいいなと思いつつも、難しいだろうなあと勝手に思い込んでいたそうです。
シロクマの刺しゅうを見て、そうでなくてもいいとわかった瞬間、急に挑戦したくなって手芸店に駆け込み、針と糸と丸い木枠を買いました。独学で縫っていたら、「楽しくてのめり込んでいきました」。
粘土の作品を並べたイベントで、暇つぶしに刺しゅうをしていたところ、人が集まってきて、さらに注文まで入りました。「刺しゅう作家としてやっていこうと決心しました」

フレンチノットの粒々でつくる表情

刺しゅうにはさまざまな縫い方がありますが、ipnotさんは針に糸を巻き付けて小さな糸の粒を作り、布に刺していくフレンチノットで作品を作ります。粒が集まっていくうちに表情が変わっていくのが魅力だそうです。
今、力を入れているのが、2015年に始めた「501エンブロイダリー」というプロジェクトです。エンブロイダリーは英語で刺しゅうという意味。500円玉サイズの大きさの円形にいろんな絵を刺しゅうで描くという計画です。501個の作品を目指し、毎日こつこつ縫っています。

なぜ円形なのか。「丸い形のものはなんだか気持ちが落ち着くので好きなんです」。着想は、インスタグラムの丸いアイコンだそう。「いろんな人の丸いアイコンを眺めていると、工夫がたくさんあって、楽しくなってくる。なんか小さな惑星みたいに見えてくるんです」
題材には、食べ物が多いのが特徴です。食べ物を刺しゅうするのはとてもクリエイティブでイメージが次々に湧き、五感を刺激するからだとか。「子どものころよく遊んだおままごとの時の楽しい気持ちを思い起こさせてくれます」

リアルなタッチには、「針でどこまで絵を描けるか」という挑戦があります。その挑戦を支えるのが、500色の刺しゅう糸です。刺しゅうは絵の具と違って、色を混ぜることができないため、糸の色を少しずつ変えて、影や濃淡をつけていく。それがまた醍醐味でもあるそうです。
温かさと緻密さが同居するipnotさんの刺しゅう。これからどんな作品が登場するか、要チェックです。
(読売新聞編集委員・宮智泉)
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