ポイントカードをすべて破棄したのは愚かな決断か?

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 地球の皆さん、お得なポイントカードを賢く活用していますか? お買い上げごとに貯まるポイント、店舗限定で使える割引クーポン、いつでも5%引きのメンバーズカード、有益情報満載のチラシやシークレットセールのお知らせが届くメールマガジン、便利ですね、最高ですね、知れば知るほどお得に生活することができます、よねー?

 もちろんかつては我が財布にも、その手のものがあふれていた。ポイント目当てに入会した複数枚のクレジットカードがギチギチに並び、都心に一店舗しかないブティックから自宅近所のスーパーから全国展開のカレー屋まで、ありとあらゆる特典のカードで、パンパンに膨れ上がっていた。紙幣以外のものがたくさん挟まっていると現金が幾ら入っているのか把握しづらいし、他のところが厚みを増しているのでコインケースがうまく閉まらない。

 10年ほど前、意を決してすべてを断捨離したとき、スカスカになった財布のくったりした感触に、空恐ろしい気持ちになったものだ。これから私は、他の人々が受けているさまざまな恩恵をすべて失うことになる。熟慮に熟慮を重ねて残留させたカードの発行元、世界堂とビックカメラ以外、どこへ行っても一人だけ割高な買い物をする羽目になる。その差額は生涯にわたってとてつもない金額になるだろう。これは愚かしい決断で、取り返しのつかない損をすることになるのではないか。

 しかしながら、「毎日持ち歩く財布がスッキリ軽量化することのほうが、よっぽど大事」というのが現在の実感である。スマホアプリも同様で、個人情報を吸い取られた挙句に一回百円程度の割引に喜ぶくらいなら、惰性で続けているソシャゲの課金を何度か我慢したほうがよっぽど倹約になる。あとは気の持ちよう、自分が「損して口惜くやしい」と思わないようにすること。

「お得」という名の憑き物を落とす

 会社員時代のある日、私は自分が心の底から某天丼屋チェーンで食事をしたいわけではなく、ただただ財布の中の割引券を使いたい一心で、その週じつに三度目の野菜天丼を食べようとしていることに気づいてしまった。行けば割引券が使えるが、またその場で割引券が発行される。似たようなことは、5回来店で1回無料のサービスを提供していた某サンドイッチ屋でも起きた。思考が停止してしまう。

 ひどく寒い大雨の日に某喫茶店まで歩くうち、体温を奪われ、靴下までずぶ濡れになったこともある。どうして今そこにあった自動販売機で缶コーヒーを買って職場へ戻らないのか。コーヒー1杯無料券と引き換えに、私の手からみるみる何かがこぼれ落ちていく。それでも私は歩みを止めなかった。財布の中の紙片に行動をコントロールされ、肉体が制御不能に陥っていたのだ。自分が自分で自分の足を止められない、さすがにちょっと、まずいだろう。どう考えても一般的な食い意地の範疇はんちゅうを超えている、お得がどうこう以前に、ほとんど依存症の初期症状ではないか。

 いつでもいつも考えすぎの私が、ポイントカードや割引クーポンをすべて破棄したのは、そんな経緯からだった。「お得」という名のき物が落ちると、財布と同じく気分がスカスカして、肉体もくったりと力が萎えた。しかし徐々に体力が回復してみると、「節約」の魔手から逃れて生命の危機を脱したことを実感した。

 ここまで読んで、何を大袈裟なことを……と感じたあなたは、きっと大丈夫。あちこちのメンバーになってポイントを貯めてクーポンをゲットしても、私のように精神をむしばまれることはないだろう。「節約には、向き不向きがある」というファイナンシャルプランナーの金言を思い出す。コツコツ貯めるのが日々の励みや楽しみになる人間もいれば、ケチケチ貯めることで日々の活力や喜びを削がれてしまう人間もいる、それだけのことだ。

 初めて入る出張先のマッサージ屋で、「会員カードをお作りしますか?」と訊かれて、いつものように「結構です」と答える。私はこの土地の者ではない。この地方都市のこの店に二度と来ることはないだろう。すると「ご入会いただければ全国50店舗で使えますが……」とさらなるアタックをかけられる。ぐらっとよろめき、「お願いします」と言いかける自分を制して「大丈夫です」と笑顔を返す。いいんです、損しても。私はこの土地の者ではない。節約星の住人ではない。ポイントが貯まらなくても困らない、そういう別の惑星から来た、異星人なのです。

正規料金を払うのは「損」ではない

 そうやってポイントカードの断捨離に成功すると、私は自腹でタクシーやグリーン車に乗ることにも躊躇ちゅうちょしなくなった。地下鉄で行くほうが安いとか、自由席のほうが安いとか、関係ない。ぐったり疲れた私は今、お金を出して快適な移動時間を購入する。そこに正規料金を支払うのは「損」ではないのだ。ネットで事前予約できる早割より高くつくことだって、仕方ないのだ、今、地球に着いたばかりの異星人なのだから。

 あるいは、バーゲンセールの期間外に新作の洋服や靴を買うことにも抵抗がなくなった。セールまで待てば半額近くになる、その代わり、サイズがなくなり在庫も限られて、望むものを入手できるか否かがギャンブルと化す。いつも忘れそうになるが、その服の本来の値段は、割引後の価格ではない。定価が高くて手が出なければおとなしく引き下がればよいし、ぎりぎりいけそうな値段なら、迷わずその場で買えばよい。次はいつ地球に買い物に来られるかわからないんだぞ、異星人だからな。

 そういえば、私がポイントカードを捨てたのは、「ごはん、少なめで」と言えるようになった時期とも重なる。おかわり無料の店で、大盛りの白飯を美味しそうにかきこむ地球人は、見ていて気持ちがいい。食欲旺盛、大いに結構。私のことは気にせず、どうぞ「お得」を満喫してください。大丈夫、我々異星人は、食が細いという設定なのです……この自己暗示に結構なダイエット効果を感じつつ、私は今まで自分がいかに「惰性」でごはんをおかわりしていたかを思い知った。

  「お得」と「節約」をやめた今、私は店頭でサッとポイントカードやメンバーズアプリ、はたまた几帳面に切り抜いた紙のクーポン券をかざす人などを見ると、なんだかまばゆい気持ちになる。かつて自分が振り回されていた「魔」を、きちんと制御して使いこなす人たちがいる。「損して口惜しい」でも「得してズルい」でもなく、ただそのように感じるのだ。それは、別の惑星にむ人々に特有の、自分にはない美しい所作を眺めるような、うっとりとした気分である。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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