占いや験担ぎ「信じているフリ」をやめられない心理

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 昔、私は懸命に占いを信じている「フリ」をしていた。かつては雑誌のホロスコープ欄を欠かさず読んでいたし、テレビ番組の「今日の運勢」に手を止めて見入っていた。月の後半に仕事運アップ、週の前半に運命の出会いあり、ラッキーカラーは紫で、ラッキーアイテムはカエルグッズ。

 真面目に読めば読むほど「し、信じられない……」との気持ちがもたげてくる。人生の命運がカエルグッズの携行に左右されるなんてこと、到底ありえないだろう。でも、みずから進んで目にした以上、得た情報は活用しなければならない気もする。ダメダメ、信じなくちゃ。それで頑張って「紫、カエル、週前半」などと反芻はんすうしながら家を出るのだが、電車に乗る頃にはすっかり忘れてしまっている。当然だ。ランダムすぎて、無根拠すぎて、まぁ根拠はあるのかもしれないがあまりに説明不足すぎて、九九の暗記より難しい。

 広瀬香美が「ロマンスの神様」の中で「よく当たる星占い」について揶揄やゆしてみせたのは、1993年のこと。今週すぐに幸福が訪れたら、来週からは占いなんか読む必要なくなるはずだよね。このヒット曲を口ずさみながら中学生の私も、頭ではそうわかっていた。それなのにと言うべきか、だからこそと言うべきか、やっぱり、やめられない。

 西洋占星術に姓名判断、手相に人相、四柱推命と動物占い、血液型、タロット、風水、夢占い、具体的な情報が何一つ思い出せないなら最初から読まなきゃいいのに、なぜか読んでしまうのが、占い師サマのお言葉だ。いつか訪れるかもしれないアタリの手応えを求めて、どれだけハズレても真に受けたフリをし続ける。私たちがやめられないのは、占いを信じることというよりは、信じているフリをすること、なのだろう。

「運不運はコントロール不可能」と思いたい

 ちょっとした選択に迷うとき、人は誰しも、運を天に任せ、自分以外の誰かから与えられたお告げに、物事の判断をまるっと投げてしまおうとする。そんな行為が、みんな大好きなのだ。タロットカードをめくってじっくり深読みする女性も。一瞬で決まるコイントスの裏表におとなしく従う男性も。二叉ふたまたに分かれた道で棒が倒れた方角へ進む迷子の子供も。

 あらゆる指し手が理詰めで進む囲碁や将棋の対局さえ、先手番と後手番を決めるのは、ニギリや振り駒の結果。公平を期すため、偶然性に委ねるのが正式なルールとなっている。それどころか我々は、対局相手のいない自分一人のゲームにさえ、こうした「賭け」要素を加えることがある。

 予算オーバーの高額商品を購入する際、よその売場をうろうろ見回って時間を稼いでから、「あの店に戻って、もしまだ売れ残っていたら、買う」なんて博打ばくちをかけたことはないだろうか。あるいは大きな決断を下すとき、「あの扉を開けて最初に入ってくるのが男だったら、する。女だったら、しない」などと、突然の丁半を始める人もいる。欲しいものは最初からパッと買い、やりたいことはやればいいのに、わざわざ偶然性を加味して、そこに天の采配を見出そうとする。

 連日連夜、一定のクオリティを保つことが求められるスポーツ選手や演奏家の多くは、験担ぎを大事にする。たとえば靴を必ず右足から履くという決め事が、昨夜と同じだけのパフォーマンスを今夜も保証すると信じている……というのも「フリ」だと思うけれど、今更それが「やめられない」心理も、よくわかる。あまりにも長く続いた神様との縁起のキャッチボールは、そう簡単に打ち切ることができない。

 占い、コイントス、験担ぎ、世間ではそれぞれ別のものと捉えられているが、私にはどれも同じと思える。人生の運不運は、自分自身の力だけではコントロール不可能なもの。人は誰しも、そう思っていたいのだ。そのほうが「すべて自己責任だ」と言われるよりも、よほど安心できる。だから自分以外の誰かから降ってくる、お告げや、采配や、約束事に、依存したくなるのである。

 人生初の手痛い失恋を経験した後、とあるブログに毎朝必ず、水瓶座の恋愛運を覗きに行っていた時期がある。それは当時の私にとって「身だしなみを整える」のによく似た行為だった。過去の感情が清算できていること、次の恋愛に準備万端であることを指差し確認する儀式だ。こうした習慣が続くと、占いというより、もはや験担ぎのようになる。あるいは、「いつか新たな恋が訪れたら、このブログには来なくなる」と賭けて、ハズレの裏面ばかり出るコインを投げ続けるようなものだ。欠かさず読んで毎朝胸に刻んでいたはずの金言の数々を、今、一つも思い出せない。

お告げは「適度に忘れる」のが大事

 そんな私がどうして「占いをやめた」かというと、じつは「アタリの手応え」を得てしまったからだ。30歳頃だったか、下北沢の居酒屋で、たまたま居合わせた占い師を自称する中年女性に、氏名と生年月日を書かされ、手相を観られ、「あなたは33、34歳で結婚して、30代のうちに退社して独立し、40歳までに海外へ移住する」と断言された。何を聞いてもすぐ忘れる私が、ずっとおぼえている占い師の言葉は、後にも先にもこれだけである。

 お互いひどく酔っていたし、酒を一杯おごる代わりの遊び半分の鑑定だったし、もう二度と会えないから、「あの占い、ピタリと当たりましたよ!」と感謝を述べる術もない。それが逆によかったのだと思う。もしあのとき連絡先を交換し、定期的に会うような関係になっていたら、私はきっと今も彼女の言葉にずっぽり依存してしまっていただろう。カエルグッズの代わりに、高価な壺か何か買わされていたかもしれない。

 最近は毎年のお正月、初詣のとき百円かそこら出して、一回だけおみくじを引く。大吉かな、大凶かな、とギャンブル感覚で楽しみ、戒めをその場で熟読し、後腐れないように境内に結んで帰る。向こう一年分の占い、コイントス、験担ぎを、全部1日で片付けて、あとの364日は思い出さずに過ごす。人間の口を借りて天から降りてくるお告げとの付き合い方、一番大事なのはこの「適度に忘れる」ってところじゃないかと、今はそう考えている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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