ロングかショートか「女の命」のとらえ方

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 私は新しもの好きで、突発的衝動に流されやすく、気まぐれで、保守的という言葉からは程遠い。そんな私にも、幼いうちに心に決めて以来ずっと動かさずにいる、きっと今後とも変えることがないはずの、固定化したスタイルが幾つかある。傍目はためにもわかりやすい例は、髪を短く切り揃えておくこと。

 新しもの好きで、突発的衝動に流されやすく、気まぐれだからこそ、しょっちゅう髪を切って気分転換している、と言うこともできるし、幼い頃からかたくなに、ずーっと「髪を伸ばさない」という一つの決め事を、珍しく飽きずに実行し続けている、と言うこともできる。

 子供時代、私自身に髪型の決定権はなかった。大抵は風呂場でハサミを持った母に、たまには父の通う近所の理髪店で、いつも同じおかっぱ頭に整えられる。長い髪を毎朝きれいに編み込みやおだんごにして登校する、いかにも女の子らしい同級生たちを、羨ましく眺めていた。

 でも一方で、そんなことより大切なのは、毎日をラクに生きられるってことじゃないのか、とも思っていた。いついかなるときも長い髪がきちんと結い上げられていないと落ち着かない人生より、いついかなるときも乱れたらサッと手櫛で整えられるような人生のほうが、いいんじゃないか。そう結論づけたのは、8歳のときだ。

出産を機にショートヘアにする友人も

 美しく豊かな長い髪をたたえた女友達はみな、「美容院に行くのが面倒で、切っていないだけよぉ」と謙遜する。でも、騙されない。長い髪を長いまま維持するほうが、ずっと面倒で大変なことだ。私だって肩につく長さまでなら、伸ばしたことがある。最初は8歳のとき。毎朝のブローやセット、入浴後に髪を乾かし、乱れたら結い直す、といった日常の手順だけでも大変なもので、音を上げてまたすぐおかっぱに戻してしまった。

 「ショートカットは維持コストがかさむから、オシャレじゃないと続かないわね」とも言われるけれど、世間一般より頻繁にお金を払ってメンテナンスを外注しているのは、オシャレというよりズボラゆえの習慣だ。髪について思い悩む時間は短ければ短いほうがいい、と考えると、髪そのものも短ければ短いほうがいい。ただ、刈り上げやモヒカンを試したときはさすがに持ちが悪すぎて続かなかった。今は、前髪をなくして耳にかかるくらいのショートにしている。

 「私、短いのは似合わないのよ」「あなたと違って、勇気がなくて」云々うんぬんと言い訳をつけて短髪を忌避してきた友人たちの多くが、30過ぎた途端に続々とショートボブ派へ転向しはじめた。多くが出産のタイミングだ。「子供が生まれてからしばらくは自分の髪なんか構っていられないし」と口を揃える。ほらね、いくら謙遜してみても、やっぱりロングよりショートのほうが手がかからない。

 大人になった今、乳飲み子を抱えた幼馴染に「短いとラクだねえ〜」と言われて、「やっと気づいたの? 中学の頃から言ってるでしょ!」と笑い返す。ところが、時々、笑顔を返せない相手もいる。同じく乳飲み子を抱え、「もう、髪を長く伸ばすことなんて一生ないんだろうな……」と深く深く溜息をつく別の女子たちだ。

長い髪の力で「美の増強」試みる女子たち

 髪は女の命。20世紀の終わりに同じ女子校の教室で青春時代を過ごした同世代にだって、平安時代から続くその思想を継承している女の子たちはいた。腰まで届く黒髪ストレートをなびかせて「姫」と渾名あだなされていた子。授業中ずっと切り取るべき枝毛を探し続けている茶髪のギャル。あるいは、癖毛をわざとふわふわに伸ばして、顔のコンプレックスを覆い隠すようにしている子。長い髪の力を借りて、どうにか「女としての美しさ」を増強させようという試みだ。

 教室の多数派は、雑誌付録のヘアカタログを見てはアレンジを楽しむロングヘアーの子たちだった。ひときわオシャレなごく一部の子たちは、ベリーショートにしたり前髪ぱっつんにしたり蛍光緑に染めたりと、積極的に髪型を変えていた。そして私のようにずっと似たようなショートカットで過ごす子が、ほんの少数。「髪を短くする」というよりは、「髪を長くするのをやめる」という選択をした女子たちだ。

 みんなが同じ思想だったとは到底思えないけれど、少なくとも私が髪を切ることで一緒に断ち切りたかったものは、耳元で「髪は女の命」とささやき続ける、妖怪のような何物かだ。そいつは風が吹けば乱れ、水に濡れれば顔にへばりつき、時々は開けた口の中に紛れ込んできたりもする。サラサラたなびいて美を増幅するというよりは、もっさりと重たくのしかかってきて不快指数を増す。己に絡みついていつまでも離れない、それは「女性的なるもの」とでも呼びたくなる、髪束の形状をした妖怪だ。世の多くの人々は、それと上手に折り合えているらしいのだが、私はどうにも、そいつと相性が悪い。

髪を伸ばす未練をハサミで断ち切る

 放っておけば、髪は伸びる。歳を重ねるごとに身にまとう「女性的なるもの」は増量していって、切らずに放置しておけばどんどん長くなり、太くなり、濃くなって、私はいつか身動き取れなくなってしまうだろう。

 8歳の私は記念写真の中、頑張って肩につくまで伸ばした髪を高くツインテールに結ってもらい、親戚の結婚式用におめかしして、誇らしげだ。その写真を見返しながら「もう、こんなに髪を長く伸ばすことなんて一生ないんだろうな……」と深く深く溜息をついたこと、私だって幾度かはある。けれどそのたびに、頭の中で大きなハサミを持ち出して、その溜息ごと未練を断ち切ってしまう。

 完全になくしてしまいたいわけじゃない。だが、どんなに「美しい」とされている「よい」ものだって、際限なく、惰性で伸ばし放題にしておくわけにはいかない、という気持ちが、いつもどこかにあるのだ。自分の手で、自分の意思で、定期的にハサミを入れておかないと、いつまでも望む姿に整わない。そんな気がして、今日も美容院の予約を入れる。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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