おしゃれは一点豪華主義でいい、ネイルサロンが消した劣等感

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 雑誌編集者をしていた10年近く前、経済評論家の勝間和代さんを取材したことがある。待ち合わせ場所にあらわれた彼女は、著作で読んだ通りの姿だった。スーツにデイパック姿で都内ならどこでも自転車移動、愛車を抱えたまま会場入りして、うっすら汗ばんだ素顔に、手元だけばっちりとアートネイル。超多忙な合間を縫って、気分転換のネイルサロン通いだけは欠かさないとのことだった。

 いわゆる「女らしさ」からは距離を置いて見えた彼女の、手元の爪だけがやけにキラキラ輝いているのが印象的だった。正直に言おう。当時まだ、ものすごく頑張って化粧と格闘していた私は、それを見て「すっぴんなのに」と思った。えっ、すっぴんなのに、行ってもいいんだ、ネイルサロン。

 私が初めてジェルネイルの施術を受けたのは、その取材の数週間後だ。自宅から一番近いところにあるサロンを調べて、公式サイトでおそるおそる、時間枠だけ予約した。メニュー表を見ても何が何だかさっぱりわからず、電話口では自分の希望を言語化できないと思ったからだ。

「美のメンテナンス」他人に委ねる

 子供の頃から私は、考え事をするときに爪を噛む癖がある。十本指はすべていつでも深爪で、肉にめり込んだ爪が保護機能を果たさない丸裸の指先はつねに赤く、ちょっとした刺激を受けてもじんじん痛んだ。ひどいときは血が出ることもあった。自分で安いマニキュアを買ってみても、頑張って塗った爪をそれでもガジガジ噛むのがやめられない。

 予約当日も、もちろん深爪のまま行った。正直に言おう。オシャレがどうとか関係ない。私はただ、プロにお金を払って派手なアートネイルを施してもらえば、その高額な代金を惜しんで、二、三週間くらいは爪を噛む癖をやめられるんじゃないか、と思ったのだ。ところがネイリストからは意外な言葉が返ってきた。「お客様、健康で丈夫なお爪で、塗りやすそうですよ。もっと短い方だっていらっしゃいますし」。えっ、私よりひどい深爪なのに、来てもいいんだ、ネイルサロン。

 次々とカラーチップが出され、「お仕事上の制約がないなら、ネイビーとかグリーンとか、濃いめの色を置くとお似合いですよ。お爪の長い方だと、少々くどくなっちゃいますけどね」と言われた。美しく整った長い爪を持つ女性たちにずっと底知れぬ劣等感を抱いていたのに、この世には、彼女たちよりも「私のほうが似合う」爪色もあるのだという。

 私はずっと深爪のまま生きて死ぬのだと思っていた。化粧もろくにマスターしていない自分が、ネイルなどという上級者オシャレを楽しむ資格はないと思っていた。ちょっとした癖が、長年のコンプレックスとなり、ひいては未来まで縛ってしまっていたことに、そのとき気がついた。

 ちびた十本指をコバルトブルーに塗られた帰り際、「次はペディキュアも是非」と言われる。「いや、足の爪だったら、家で自分で塗れますし……」と漏らしたら、「あら、フットケアこそ、プロにお任せいただくと、持ちが全然違いますよ? 施術中に寝ちゃっても構いませんし、頭からっぽにしてリラックスできますよぉー」と笑われた。

 あれから10年経って、今はその言葉の意味がよくわかる。あれこれ思い悩まずに手足を委ね、頑張れば自分でもできなくはないような美のメンテナンスを、すっかり他人にお任せしてしまう。その解放感や、リラクゼーション効果も、代金のうちに含まれているのだ。

ネイルサロン通って化粧薄く

 化粧は社会性の鎧である。プロに外注するネイルは、最薄最小最軽量で、しかもなかなかに防御力の高い、一点豪華主義かつスーパーミニマルな鎧である。Tシャツにジーンズだと二十歳過ぎまで男の子と間違われていた私が、爪にポップな色を置くだけで、カジュアルな服をフェミニンに着られるようになった。職業柄あまり派手なアートはできないという人も、ハンドケアをしてクリアコートしてもらうだけでずいぶん手元の印象が変わるはずだ。

 何でも自分で完璧にこなさねばならないと思っていた20代後半、私は勝間さんと近所のネイリストのおかげで「爪を噛むのをやめる」ことに成功した。そのときに、そうか、苦手なことや、自力で解決できないことは、他人に丸ごと頼んでしまえばいいんだ、と目から鱗が落ちた。セルフネイルの機材を買い込んで、自宅で「頑張って」爪を塗っていたのでは、この発見は得られなかったと思う。

 ネイルサロンへ通うにつれ、化粧がだんだん薄くなり、やがてすっぴんで出歩く頻度も高くなった。「手元にこれだけ気を遣っているんだから、顔はちょっとくらいアレでもいいだろ!」の精神である。毎日ばっちり化粧している暇はないが、今よりはもう少しだけ高い頻度で「美人」な気分も味わいたい……そう考える女性には、なかなかおすすめの投資だ。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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