朝メイクに2時間…化粧の「鎧」を着るのはハンデか?

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 顔を洗って保湿をしたら、下地兼用の日焼け止めとリップクリームを塗って、全体に軽くパウダーをはたき、眉を描き足して、必要とあらば口紅をつける。毎日の身支度はだいたいこんな感じで終わる。休日など興が乗ればアイメイクを足すこともあるが、マスカラを塗るとピエロみたいになるし、フルコースで頑張るとドラァグクイーンみたいになって、どうにも望む美しさが得られない。

 要するに、私は化粧が下手なのだ。初めて買ったメイクアイテムはおそらく眉墨、もう25年以上も格闘しているのに、いまだに左右対称に上手く描けたためしがない。向上心がないから上達しないのか、面倒くさいから言い訳にしているだけなのか、塗れば塗るほどボロが出る気がする。欠点をカバーするどころか、厚化粧した日ほど顔面へのコンプレックスが増して憂鬱だ。

 35歳を過ぎて友達から「どうしたの、今日すごく顔色が悪いよ?」と心配されたのを境に、チークにだけは気を遣うようになった。加齢とともにくすんでいく血色と、最低限の身だしなみを整えて、人並みに健康そうな外見を保ち、じろじろ顔をのぞき込まれないようにする。私にとって化粧とは、社会性のよろいにすぎない。鎧はなるべく軽いほうがいいし、いつでも「脱げる」ほうがいい。

毎日2時間のハンデ負う

 もう大人なんだから、毎日きちんとお化粧して出かけなくちゃ。そう考えて頑張っていたのは、二十歳前後の頃だ。ウエイトレスから塾講師まで、大学入学と同時に始めたアルバイトの職場へは、すっぴんで出向くのがはばかられる空気が流れていた。制服やスーツを着て働いてお給金をもらうのだから、その服装規定は顔面にも及ぶだろうとも考えた。ドラッグストアで一式買い揃え、見様見真似であれこれ塗りたくった。

 この調子でメイクを続けるのは間違っているのではないか、と考えたきっかけは二つある。一つ目は友達と泊まりがけで遊びに行ったとき、女子部屋の起床時間が男子部屋よりも二時間早く設定されていたこと。早起きの女の子たちは楽しそうに朝の身支度をしていたが、五分でやることがなくなった私は輪に加われず、そしてなんだか不平等だと思った。大学構内では男女の学生は対等な扱いを受けているのに、その手前で我々女性だけ、人生に毎朝二時間分ものハンディを負わされている気がしたのだ。

 もう一つは、化粧品会社のモデルとしてアルバイトをしたこと。どこにでもいる素人の顔に二種類のメイクを施して、こんなに劇的に印象が変わりますよ、と比較するシリーズものだった。実際、それは劇的な体験だった。陰影をつけて鼻を高く小顔に見せるのに三十分、アイシャドウは七色近くをブレンドする。安物をあてずっぽうで買って適当に塗っている普段の自分が、ひどく間違ったことをしているように感じられた。

 こんなに技術力に差があるのなら、プロのメイクアップアーティストにお任せするのが一番だ。心の底からそう思った。そしてこのとき「お肌の状態がいいから、ファンデなんか要らないくらいよ」と言われたのを真に受けて、ファンデーションをやめたまま現在に至る。

プロのメイクで一日限りの美と自信買う

 社会人になると、本職のプロにメイクを施される経験が増えていった。最初に生の素顔を触られながら、「お肌がきれいですね、何か特別なことをなさっているんですか?」と世間話が始まる。お世辞半分、誰にでも言う台詞せりふだろうが、残り半分は彼女たちの職業的探究心でもあるだろう、毎回必ず、同じ質問だ。

 「特別に何か『している』ことはないけど、強いて言えば、普段はほとんど化粧を『していない』ので、肌が疲れていないんでしょうかね」……私の答えも、いつも同じ。大抵は「それが何よりですね」と当たり障りのない反応で、時には「あははは、私もそうですよ!」と笑われる。

 化粧品売場の美容部員たちなどは、歩く商品宣伝看板としてばっちりメイクをしているが、テレビ局のヘアメイク室などに常駐するスタッフは、すっぴんで働いている人も多い。雑誌の美容記事を担当する編集者やライターも、常日頃から厚化粧している人は見たことがない。眼科医がコンタクトレンズを装用しないという話にも似て、それを生業とする人ほど、よくわかっているのだろう。しないで済むならそれに越したことはない、と。

 東京にいるとき、仕事で人前に出る日や、長く残る写真を撮られるような日には、街場のサロンを予約してプロにメイクしてもらう。自分の肌に似合う色、眉の形の最新流行など教わりながら施術を受けても、せいぜい二、三千円程度。シーズンごとにブランド物の高額化粧品を自腹購入し、早朝から鏡に向かって自分の顔と長時間格闘し、結果として出来の悪さに落ち込むくらいなら、このお値段で一日限りの美と自信とを買ったほうが、断然「安い」と思う。

 ニューヨークにいるとき、在宅作業日に近所で済む用事へ行く程度なら、日焼け止めだけ塗ったすっぴんで出歩いている。道行く女性たちは肌色からしてばらばらに個性的だから、化粧をしようがしまいが周囲から浮くことはない。いつも大ぶりで派手なサングラスを掛けているのもあって、顔が地味でもなんとなく間がもつ。

 化粧とは、社会性の鎧である。これからも長く続く人生、加齢に負けじと圧倒的な美と自信で武装すべく、重厚で立派な鎧が必要になるシーンも多々あることだろう。それでもやっぱり、鎧は鎧にすぎない。疲れたとき、忙しいとき、気分が乗らないとき、いつでも気楽に脱げるようにしておくのがよいと思う。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。最新刊は「天国飯と地獄耳」(キノブックス)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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