ペットボトルがぶ飲み女子に見た「やめる」合理性

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 前回の「ハイヒールをやめる」に引き続き、靴の話を、もう少し。アメリカの女性は、隙あらばハイヒールを脱ぐ。映画『ラ・ラ・ランド』のヒロインも、パーティーが終わるとすぐかかとの高い靴を履き替えた。次の場面で踊り出すためのシークェンスなのだが、デートやパーティーの行き帰りで同じようにする女の子をしょっちゅう見かける。オシャレのための靴は、歩くための靴じゃない、という扱いだ。

 平日昼間のオフィスでも。一流企業のひしめくビルのエレベーターで、年収の高そうなバリキャリ女性が、ブランド物のバッグからむきだしの勝負パンプスを一足にゅっと出す。コンサバティブなスーツとは不釣り合いな足元の、履き潰されたバレエシューズやスニーカーを脱ぎ替えてまた、書類や財布やノートパソコンと一緒にカバンへ突っ込む。目的階へ着くと、何食わぬ顔でカツカツとヒールを鳴らして、得意先との商談へ向かう。そんな姿は、よくあること。

 正直あまり気持ちのいいものではないが、目くじら立てて怒るほどの無作法とも思えない。だって私は、一日中ハイヒールを履いて歩き回るのがどれだけ大変だか、身をもって知っている。ここ一番の「勝負事」のときだけビシッと装着したら、あとはなるべく取り外しておきたい武器だよね。一日に何件もの打ち合わせをこなす働く女性なら、移動時間はスニーカーで駆け回ったほうが理にかなっている。「然るべきときにだけ、ちゃんとしていればよし」というこうした思想が、私は好きだ。

不要なコストは容赦なく切り捨て

 年齢を重ねるにつれ、身体にかかる負担を極力避けたいと考えるようになった。ハイヒールが好い例で、若い頃には好きでしていたはずのことに肉体が追いつかなくなってくる。深夜にシメのラーメン屋へハシゴする後輩たちと駅前で別れる。おしゃれな代わりにずっしり重たい年代物のコートが億劫おっくうになる。内勤だとわかっている日は化粧をする気も起きない。誰のために。何のために。

 30歳前後から徐々にそんな気分に襲われるようになり、当初は「ヤバい、老いだ!」と焦っていた。少女時代にはぴちぴち持て余していたはずの、光り輝く何かのエネルギーを、私は失いつつあるのだと。そのたびに、心を落ち着かせるために繰り返し思い出す光景がある。

 28歳のとき、とある同人誌即売会の企業ブースで勤務中、休憩時間に慌ただしく場内を見て回った。そこで一見ごく普通のお嬢さんに見える参加者が、2リットル入りのペットボトルで麦茶をラッパ飲みしながら歩いているのとすれ違った。

 とてもかわいい女の子だった。20歳そこそこだろうか、ふわふわと乙女チックな服を着て身だしなみを整え、男の子にもモテそうな容姿外見だ。それが戦利品のぎっしり詰まったトートバッグを抱え、笑福亭鶴瓶の笑顔が貼られた巨大なペットボトルを片手でごくごくあおりながら、大きな歩幅で一心不乱にずんずん歩いている。彼女は普通のお嬢さんではなく、精鋭なるオタクなのだった。

 オタクにはいつも時間が足りない、ついでにお金も足りていない。少しでも余裕があったらすべて道楽に費やしたいと考えているから、優先度が低く実益がないものにかかる不要なコストは容赦なく切り捨てていく。そのときだけ、カリスマ経営者のように判断力が高まる。

 ベランダで育てたハーブをブレンドした自家製のお茶をおしゃれな水筒に入れて持ち歩く、ということが、能力的にはできなくないのだが、そんな暇があったら好きな同人誌とジェーンマープルのワンピースに注ぎ込みたい。500ミリリットルのお茶を四回も買いに行くのは割高で非効率だ。今日のこの日に大切なのは、熱中症で倒れないためのこまめな水分補給、ただそれだけで、最低限の条件をクリアする手段を考えた末の、2リットルがぶ飲みなのである。

エネルギーの浪費を抑え、人生に疲弊しないように

 以来あの女の子は私にとって、「合理性」について考える際のアイコンとなった。見渡す限り、好きなことに熱中没頭するオタクしかいない空間の中、はちきれんばかりの彼女の若さは、麦茶ごときではまったく損なわれていなかった。これは「老い」じゃない。

 考えてみれば、本当にその深夜のラーメンを食べに行きたいわけでもない。コートは軽くてあたたかいほうが機能的に決まっているし、化粧だって毎日しなくたって死にはしない。ハイヒールなんか数時間履くのが限界だ。「オシャレは我慢だ」なんて言ったのは誰だ、私はいったい、誰のために、何のために、そんなことをしている、いや、させられてきたんだ?

 「見苦しい」でも「はしたない」でも「女を捨てている」でもなく、何かをやめるとはただ、人生のコストカットを断行するという、それだけのことに過ぎない。何のために、誰のために? 自分の時間と個人の幸福を最大化するために。

 加齢による喪失を恐れることはない。むしろ、経験の積み重ねから獲得した「合理的判断」を信じて進むべきだ。光り輝くエネルギーの無駄な浪費を抑え、いつまでも失わないように。道半ばで人生に疲弊しないように。そう思いながら、40歳を目前に、一つ一つ「やめた」ことを数えている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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