クローゼットの高い戸棚に、ずらりとハイヒールを並べている。脚立に乗らないと手が届かない位置で、特別なときしか取り出さない。東京に住んでいた頃は日常的に履いていた7センチ、8センチ、9センチ、ニューヨークではほとんど出番がなく眠っている。理由はすこぶる単純で、道路が悪すぎるのだ。
マンハッタンはとくに、あちこちに地下鉄の通風孔が開いていて、犬の糞尿や生ゴミや汚水が撒き散らされているかと思えば、二百年前のゴツゴツした石畳をそのまま残している通りもある。そもそもアスファルトの目が粗いというのか、往来の舗装にいきなりひび割れや断層が生じていたり、唐突にぽっかり穴が開いていたりする。細いヒールはすぐダメになり、靴修理にかかる代金は日本に比べておそろしく高い。
ドアマンにリムジンを呼ばせてパーティ会場のレッドカーペットに到着するまで二十歩しか歩かない、といった暮らしのセレブリティでもない限り、この街を駆けずり回るのにオシャレで華奢で世話の焼ける靴は向いていない。真夏はフラットサンダルかスニーカー、冬は靴底に防寒機能のついた雪に負けないロングブーツ、残りの季節は泥や埃を簡単に落とせる安くて丈夫なショートブーツ。足首から下の美観はすっぱり諦めて、毎日似たような靴を履くのが賢明だ。
かかとの高い靴を使って「背伸び」
同じ街に住む大先輩、佐久間裕美子さんの著書『ピンヒールははかない』にも、そんな話が書いてある。全力で走れない、誰かの支えがないとよろめいてしまうようなピンヒールの靴は、あちこちで女性が強いられる窮屈な既成概念の象徴。それを、否定形の「履くな!」でも同調圧力の「履きたくないよね!」でもなく、「私はこうして脱いでみたよ?」と読み手に語りかけるようなエッセイ集である。
本文を読むまでは「Never wear pumps」、二度と○○しないぞ、という決別宣言のタイトルなのだと思っていたが、英題は「Take off your heels」。実際、今でもたまにはヒールも履くと書いてあって、ああ同じだ、とホッとする。仕事のために、恋愛のために、頑張って履いているその靴は、いつでも自分で着脱可能なものであることを忘れずに、というニュアンスだ。
ぺたんこ靴を履いて悪路をがしがし歩いていると、いつまで経っても自分が小さく縮んだような錯覚が抜けない。なぜかって? 若い頃の私は、足を痛めながら毎日ハイヒールを履いていた。自分の目の高さを、実際よりも数センチ上に置いて世界を眺めていたからだ。身長を水増しして存在を大きく見せる。文字通り「下駄を履かせる」ために踵の高い靴を使って、そして文字通り、世界に向かって背伸びをしていた。
ヒールを脱いでみると、そのことに気づく。なんだ、私の「等身大」って本来こんなにちっぽけだったんだな、と拍子抜けしてしまう。それから、自分の重心が、案外と下のほうに据わってきていることを知る。吹けば飛ぶような小娘の足取りと違って、丹田から肉体を動かすような感覚だ。肩で風切ってカツカツ歩く若々しさは失ったかもしれないが、代わりに、多少のことでは挫けたり躓いたりしないぞ、という貫禄を得たのかもしれない。
「とっておき」の時に履く気まんまん
それで思い出すのは、西村しのぶさんのコミックエッセイ『下山手ドレス〈別室〉』の「オシャレは足裏」というエピソード。室内では五本指ソックスと布ぞうり履きを徹底、ストレッチを欠かさず足裏の健康に気をつけていたら、若い時分には痛くて痛くて歩けなかったブランド物の10センチヒールが、年齢を重ねた今こそすいすい履けるようになった、という話だ。
子供の頃には彼女の描くひたすらきらびやかでバブリィなファッション道楽の様子に憧れていたものだが、中年になってじっくり読み返すと、目に止まるところも変わってくる。ヒールを履かなくなるなんてオシャレ魂を捨てることだ! と叱りつけるのではなく、いくつになっても好きなヒールをオシャレに履いていたければ惰性での無駄撃ちはおよしなさい、と諭す。40代までに、この「抜き」の加減を身につけたい。
私はもう、20代の頃のように毎日毎日、踵の高い靴を履いて働きに出ることはないだろう。すっかり習慣化していたあれは、無意識のうちに「等身大」をごまかす目的が強かったんだな、とようやく気がついた。それはそれとして、古いハイヒールを捨てずにいるのは「とっておき」、体を痛めない程度にまだまだ履く気まんまんだからでもある。時にはちょっとした非日常の自分、ワンランク底上げした「こけおどし」をかましたくなる日だってある。これから素敵な50歳、60歳、70歳になって、或る日突然レッドカーペットからの招待状が届いたりするかもしれないのだから。
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