冠婚葬祭マナー「満点」じゃなくちゃダメですか?

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 前回の「喪服をやめる」話に対して、あまりにも反響が多く、かつ、誤解されることが多かったので、続きを書く。世間一般の常識に対して「別にそこまでちゃんとしなくても、やめたっていいよね〜?」と言いがちな連載なので、誤解が生じそうなところだけは「ちゃんと」書いておきたい。

 まず、私が書いたのは「喪服を捨てて普段着で弔問に行く」ではなく、「喪服以外に使い道のない服を手放して、黒い服もパンプスも、兼用のものにした」という話だ。具体的には、黒無地の七分袖襟付きジャケットと共布の膝下丈ワンピースのセットで、葬儀や法事の他に、自分が脇役に回る式典や、仕事の面接、会食などにも着ていく。ただの地味な黒い服だが、小物次第で準喪服と略喪服の中間くらいにはなる。

 かつて学生の私に買い与えられたドレスも分類で言えば準喪服だし、アラサーにさしかかると素材のヘタりが気になる安物だった。リクルートスーツの喪服版、と言えばわかってもらえるだろうか。清水の舞台から降りる想いでバーニーズニューヨークへ行き、冠婚葬祭全天候対応の「黒い服」を買ったとき、それは「喪服」ではなかったが、私は自分の手で「正解」をアップデートできたようで嬉しかった。

 といって、数十年単位でずっと同じ喪服を着続けている人たちを責める気だって、ない。滅多に着ないし流行もないから、いいものは長持ちしますもんね。

斎場は「ドレスコード世界一決定戦会場」ではない

 ありあわせの服で葬儀に参列するのは礼を欠く行為だ、という「非常識」の大合唱が、こんな言い訳では止まないことは承知している。告白すると私自身も、吊るしの喪服を着ていた若い頃は、今よりずっと他の葬儀参列者の服装にうるさかった。事前にマナーブックを読んで頭に叩き込み、NGとされる振る舞いの大人を見かけては、「ちゃんとしていない!」と憤っていた。「着物警察」ならぬ「喪服警察」である。

 化粧をして来る女、ストッキングの薄い女、金の縁取りをしたバッグの女、ウイングチップの男、光沢のあるタイの男、シャツまで黒い男、香典袋の包み方や焼香の作法がなっていない大人たち、普段着で騒ぐ子供たち。それに比べて自分はとても「ちゃんとしている」、その確信を増強するためにも、いちいち見とがめては呆れていたものだ。

 とはいえ、斎場はドレスコード世界一決定戦会場ではない。目を潤ませながら遅れて駆けつけた男がノータイだったことがある。派手な柄物のネクタイを外して仕事先から飛んで来たのだろう。その痛ましい表情に、「黒ネクタイを買って翌日の告別式に来い」とは思えなかった。通夜振る舞いでビールをこぼした幼い子供が、その場で軽装に着替えるのも見た。柄物のTシャツ姿は浮いていたが、二つ無いから一張羅なのであって、「着替えを準備しておいた親は賢明だな」と思う。

 大人になるにつれ、さまざまな葬儀を経験する。規模も違えば宗派も違う、故人が急死か大往生かでも違う。とくに自分が遺族側に回る機会を幾度も幾度も重ねていくと、服装について些細なことは気にならなくなってきた。繰り返しになるが、あの場において一番大きなものは、そこに横たわっている一つの死だ。お悔やみを言いに来てくれただけで有難い……そう実感するたび、世慣れた大人たちが年若い自分ほど「喪服警察」めいた責め咎めをせずにいる意味を理解した。

「満点の正解」を目指す不毛な競争から、少しだけラクに

 「さすがにこの兼用喪服ではまずいという事態に遭遇したら、そのときには新しく買えばいいか」と思ったきり、もう何年も、一度もそんな事態に見舞われない。たとえば私は、全員が最上級礼装で参列するような王侯貴族の葬儀に招かれる交友関係は持っていないし、古くからのしきたりが厳格に決まっているような田舎に親戚もいない。遠隔地に住んでいて友人の死に目に逢えないことも多く、ずいぶん経ってから墓参りに出向く際などは「黒い服」がちょうどよかったりもする。

 つまり、やってみると案外いけちゃうものなんです……と書くとまた怒られるかもしれないが、ブラックフォーマルを脱ぐと同時に「喪服警察」も卒業し、ずっと心が軽くなった。こってりマスカラを塗った喪服の女も、ただの黒い服に数珠を巻いただけの私も、畳のヘリを踏んで歩く喪主も、咄嗟とっさのコスプレにしては上出来の部類じゃないか。たしかに100点満点ではないけれど、これ以上の点稼ぎが、故人を偲ぶ行為にどれだけ関係あるのだろう。

 心底びっくりしてしまうのが、最近「ちゃんとしていない人たちの声が大きいと、ちゃんとしている自分が責められたように感じる」とか、「頑張らないでよい特権を振りかざす人たちから、頑張っている自分を否定されたように感じる」といったことを、真顔で言う人たちが増えたように思うこと。ちょっと真面目すぎませんか。

 「満点の正解」を目指す不毛な競争から、一緒にもう少しだけラクになりたいな、と思っている。正礼装なら思考停止できるという人も、兼用やレンタルで開き直るほうが悩まないという人も。ちゃんとした人はちゃんとしたまま、そうでない人はそれなりに。最低限のマナーと、もう少しだけ甘めの判定で。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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