「お悔やみ」の機会は増えるけれど……喪服を手放したワケ

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 20歳になった頃、喪服が買い与えられた。自分で選んだ記憶はまったくないのだが、私には私の着るべき喪服があった。おそらくは、母親が百貨店のセールか何かで、勝手に見繕ってきたものだろう。膝下丈のブラックフォーマル、胸元から袖にかけては透ける素材が使われていて、本人が試着していないので肩幅が少し大きすぎた。クローゼットに吊るしておいても、好きだとか嫌いだとか感想の湧かない服だった。

 それでも私はホッとした。高校生までは法事のほとんどに学校の制服で参列していたのだ。毎日着ているくたびれたセーラー服が、子供にとって一番きちんとした服装とされていた。卒業後、落ち着かない空白期間をおいて、やっと新しい「制服」を手に入れた。これからは誰かが死んだら何も考えずにこれを着ればよいのだ、と安心した。今思えば、ちょうど祖父が体調を崩して余命を宣告された時期だったかもしれない。

 先日、私より一回り若い前田エマさんという人の書いた素敵な文章を読んだ。大切な人が死んでから適当な服を買いに走るのは嫌だから「正解」の喪服を買ったのだと。かつて似た感覚を抱いたことがあるから、とてもよくわかる。喪服を手に入れるとは、若者が死を身近に引き寄せて、大人になる儀式のようなものである。

 けれど私は、じつはもう、その喪服を持っていない。30代半ば、引っ越しのついでに処分してしまった。

「駆けつけで済ます」ライフスタイルに

 大人のものと思われがちなドレスコードは、じつは若者のためにこそある。彼らには迷いが多い。広い世界の片隅でたった一人、乏しい経験値と直感だけを頼りに戦わなくてはならない。海図も羅針盤もないまま大海へ漕ぎ出す小舟のようだ。だからこそ、揃いの制服や既製のフォーマルが役に立つ。軸になる「正解」がわかれば、迷いを削いでいくことができるからだ。一生に一着や二着は、そんな服を用意しておいてもいい。

 だけど私はもう、「駆けつけでどうにかなるものは、駆けつけで済ます」ライフスタイルに移行していきたいのだ。まだまだ着られる、けれども、喪服以外にはまったく用途のない単機能のドレスを手放してしまったのは、そんな心情からだった。

 香典には新札を包まない、というマナーがある。今、どれだけの人が守っているかはわからない。祖父の葬儀で精算を手伝ったときにも、知ってか知らずか、手の切れるようなピン札を香典袋に入れてくる大人は少なくなかった。しかし幼い頃に教わった由来、「あらかじめわざわざ新品のお札を準備して、死ぬのを待ちわびていたように見えてしまうから」というのは、強く印象に残っている。

 結婚式には、新しい門出を祝うぴかぴかの新しいお札を。お葬式には、取るものとりあえず慌ててお悔やみに駆けつけたことを示す、財布の中から取り出したばかりの、くたびれたお札を。服装だって、それと同じ考え方でいいんじゃないか、と思うのだ。

手持ちの黒い服で乗り切る

 会社勤めをしていると、突然の訃報に職場がざわついた後、重役たちがロッカーから黒いネクタイを取り出して、慌てて弔問に参じる光景をよく目にした。大企業の総務部や秘書室勤務となるとそれが毎日のように起こるから一年中ずっと真っ黒いスーツを着ているそうだが、普通はそうもいかない。

 大人になるにつれ、誰かの臨終に「駆けつける」機会はどんどん増える。気の抜けたカジュアルな服装のまま、帰宅して着替える間もなく、お悔やみに飛んで行ったこともある。さすがにまずいと駅前で三千円の上着を試着せずに買い、その場で羽織ったこともある。行く道すがらは自分でもきまり悪いが、実際に故人と対面し、遺された者同士で哀しみをシェアしているうちに軽いためらいは忘れてしまう。眼前にもっとずっと重い死が横たわっているのだから。

 かつて一緒に生きていた人が死ぬ。そのことを悼む気持ちを表明するのに、「正解」を探ったり「制服」に頼ったりする必要も感じなくなってきた。だから喪服文化なんか要らない……とまでは言わないけれど、大人になるにつれ、つまり、自分もまた一歩ずつ死に近づいていると考えればこそ、「駆けつけ」へのきまり悪さは、減じてきた。

 それに、若い頃にはまるで自腹で買う気がしなかった、膝下丈の黒ワンピースやシンプルなローヒールパンプスも持っている。ここから先は、どんな葬式も、ぼろぼろのお札を包むように、手持ちの黒い服で乗り切ろう。厳密なマナーからは多少外れていたとしても、なんとか乗り切れるだろう、と考えている。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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