運転せずに生きられる……クルマの「義務」から解放される日

岡田育「40歳までにコレをやめる」

  私は車の運転に向いていない。そう確信したのは自動車教習所に足を踏み入れた一日目。運転適性検査の結果には、「些細なことで神経質になり調子が狂い、冷静な状況判断ができなくなる」傾向と書いてあった。道に迷って交通標識を見誤ったのかと思案しているところへ、子供が飛び出してきたらアクセルとブレーキを間違え、慌ててハンドルを切り中央分離帯に突っ込む。我ながら、そんな姿が容易に想像できた。

 路上教習では、その想像が現実となった。高速教習では死ぬかと思った。他の車の動きが読めない。教官の話を聞きながらハンドルをさばけない。どうやって試験を通過したのか思い出せない。合格と聞いてゾッと震えが走った。前回コラムに書いた通り、親の金で免許を取ったということは、親のためにたくさん運転させられることを意味するのだ。

 ところが、である。生まれてから19年間「あなたも早く免許を取りなさい」と呪いの言葉をかけてきた両親でさえ、娘と出かけた初めてのドライブで「やめて! 路肩に寄せて! 代わるから!」と叫んだ。詳細は忘れたが私は、右折すべきところを幅広の反対車線へ入って逆走しかけたのだ。東京タワーの真下を走る道だった。今もタクシーで通るたびにヒヤッと記憶がよみがえる。

 「せっかく免許を取らせてもらったのに悪いけど、我が家の長寿健康と、世界人類の平和のためには、私、運転しないほうがいいよね?」と問うた長女に両親は深く頷き、以来、親のクルマを使わせてもらったことは一度もない。

「クルマ大国」でクルマのない生活

 その後も私は、運転しないで生きている。都心に暮らせば日常生活は電車と地下鉄で事足りる。小旅行には日頃の運動不足解消も兼ねて自転車で出向く。地方出張時は事前に各地でのタクシーの呼び方を調べておく。長距離ドライブの際は地図の準備から眠気覚ましの相手まで、助手席で運転手のサポートに徹する。

 「なぜニューヨークへ?」と質問されるたび、「夫も私も、車の運転が苦手なもので」と答えている。ご存じの通り、アメリカ合衆国はクルマ大国だ。自家用車がないと生きてはいけないような地域が、広大な国土の大半を占める。クルマなしでも死なずに済む街を選んだ、というより、他の街を選べなかったのだ。

 郊外に住む友人たちは、「都会と違って自然が多くて最高よ、でも、一軒家とクルマの維持費が大変」と嘆く。こちらはこちらで「物価が高くて最低よ、でも、運転を免除されるための税金か何かだと思うことにするわ」と返す。どちらへ転んでも何かにお金がかかるのが人生。だとしたら我々夫婦は、クルマを持つコストではなく、持たないコストを支払い続けよう。

 先日、友人とマイアミへ遊びに行った際も、レンタカーは借りずにUberやLyftのシェアだけで回りきった。スマホアプリでどこにでも呼び出せる配車サービスの「乗り合い」だ。運転手を除いて最大四名掛けの座席を、行き先の近い赤の他人と共有する。料金は経路次第で、一番安いときは15分ほどの距離を二人で3、4ドルだった。ニューヨークの地下鉄(一律2.75ドル)とあまり変わらない。乗り合わせるのは観光客のほか、スーパーで夕飯の買い物を終えた仕事帰りの女性や、老婆と幼い孫娘などもいた。荷物が多いとき、迎えを待つのが煩わしいとき、市内を「チョイ乗り」する現地住民たちだ。

 これはいわば「運転手付きのカーシェアリング」である。これからの時代、こうしたクルマの使い方が当たり前になっていくだろう。自家用車を持つ人が減り、レンタカーすら利用せず、必要なときに必要なだけ、人と融通し合いながら、呼び出したクルマに目的地まで運んでもらう。そのうち運転手もいなくなり、人工知能が操縦する本物の「自動」車が迎えに来るに違いない。

無人操縦車が台頭する未来

 子供の頃から憧れて、頑張って免許を取って、念願の愛車を手に入れ、好きにカッ飛ばすのが何よりのストレス発散、たとえ無人操縦車が台頭しても、最後の最後まで自分でハンドルを握りたい。そんなふうに心からクルマを愛する人たちもいるだろう。その趣味を奪うつもりはない。

 けれど少なくない残りの人々にとって、「できれば運転せずに生きていきたい」というのが本音じゃないだろうか? だとすると私たちは、そろそろこの「義務」から解放される。

 「18世紀から21世紀前半までは、無人操縦技術が未発達で、人間がすべて手動で運転していたんですってよ」「まぁ野蛮、人為的な交通事故が多発するじゃない。酔っ払いや高齢者が運転したら危険だし、台風や大雪の日にはどうしていたのかしら?」

 ……そんな会話が聞こえる日も、きっとそう遠くない未来だ。そのとき私は、37歳にして「運転をやめた」ことに、今ほどの罪悪感や後ろめたさを感じずに済むのだろう。長い長い人生の後半戦、「いやぁ、私も昔は、手動運転が苦手なのをずいぶん気に病んでいましたよ」と笑うその日まで、無事故無違反のペーパードライバーとして長生きしたいものである。

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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